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洋楽あれこれ:ドゥービーズ
ドゥービー・ブラザーズほど音楽スタイルを変貌させたグループはそうはいないだろう。初期の、切れがいいギターカッティングが特徴的な、どこか土臭いサウンドで、力強く男臭いトム・ジョンストンのボーカルによって歌われた作品の数々。
それに対し、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)的とでもいうのだろうか、ジャズ・フュージョンの味わいもあるシンセサイザー中心の都会的なサウンドが、ソフトなテノールのマイケル・マクドナルドの歌唱が乗せられた後期の作品の数々。
人によって好みや評価は分かれるだろう。しかし、ドゥービーズの歴史のおいて彼らを音楽シーンの頂点にまで押し上げたのは1978年のアルバム『ミニット・バイ・ミニット』の大成功とシングルカットされた「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」の大ヒットで間違いないだろう。
カリフォルニア州サンホセで産声を上げたグループは71年のアルバム『ドゥービー・ブラザーズ・ファースト』でデビューした。
翌72年にリリースされた第二弾アルバム『トゥールーズ・ストリート』から最初のヒット曲が生まれる。今でも人気が高い「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」である。
73年のサードアルバム『キャプテン・アンド・ミー』で彼らはさらなる成功を手にする。グループの代名詞ともなったギターのシャープなカッティングが聞かれるナンバー「ロング・トレイン・ランニング」(全米8位)と「チャイナ・グローヴ」(同15位)である。
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いずれもトム・ジョンストンのボーカルが印象的なナンバーだ。
74年には第4弾アルバム『ドゥービー天国(What were once vices and now habits) 』が発売され、シングルカットされた「ブラック・ウォーター」が初の全米チャート首位を獲得した。フロントマンのトムに次ぐ男といってもいいパット・シモンズの作品で、彼のアコースティックギターがフューチャーされた南部色が強いナンバーだ。
ドゥービーズは75年にアルバム『スタンピード』を制作する。しかし、まもなくグループは創設メンバーであり実質的なリーダーだったトムが健康上の理由で脱退の意向を表明する。
後任として白羽の矢が立てられたのが、シンガーソングライター、キーボーディストのマイケル・マクドナルドだった。
マイケルの加入でドゥービーズの音楽は一変する。76年リリースのアルバム『ドゥービー・ストリート(Takin' to the streets)』の表題曲はそれまでのウェストコーストサウンドとは程遠い、キーボードが印象的な、ソウルフルなナンバーだった。
シングルカットされ全米ヒットチャートで最高位13位。
77年には『運命の掟(Livin' on the fault line)』を発表。
マイケル・マクドナルド路線のドゥービーズが最高潮を迎えたのはアルバム『ミニット・バイ・ミニット』である。アルバムチャートで1位に輝き、シングル「歩ワット・あ・フール・ビリーブス」も全米首位を獲得してグラミー賞3部門を受賞した。
82年にバンドは解散。89年の本格的再結成後もアルバムを次々に発表、ライブではトムとマイケルの両雄が並び立つようになった。