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リンゴのオールスターバンド
リンゴ・スターとオール・スター・バンド(Ringo Star and his All-Starr Band)がツアーを始めてから今年で35周年。
リンゴ自身がビートルズ時代、ソロ時代の代表曲を披露するのはもちろん、ロック界の強者どもをまとめ、60-80年代版アメリカン・グラフィティともいえる彼らのヒット曲を惜しげもなく演奏する夢のような楽しいステージをっ繰り広げて来た。
第一期オール・スター・バンドの旗揚げは1989年7月のこと。ツアーの構想が具体的に発案・着手されたのは、それから1年にも満たない頃のことだったようだ。
プロモーターとして白羽の矢が立てられたのは、ニューヨークを基盤とするデビッド・フィショフだった。
84年にオールディーズ・ショー「ハッピー・トゥゲザー・ツアー」を指揮し、86年にはモンキーズの20周年記念ツアーを成功させていたフィショフに、これまた大成功を収めていた「ダーティ・ダンシング・ツアー」でスポンサーを務めたペプシから「新しいアイデア」を求められたという。
フィショフはその際に「リンゴの名前を挙げた」という。
80年にジョン・レノンを失ったリンゴ。翌年、映画で共演したバーバラ・バックと再婚したものの、同年のアルバム『バラの香りを』が不振、83年の『オールド・ウェイヴ』も英米でリリースされないという冷たい扱いを受け、そんなこともあり、夫婦ともどもアルコール依存症で苦しんだ。
フィショフがリンゴにアプローチしたのが88年秋のこと。リンゴとバーバラがアリゾナのリハビリ施設での治療から解放された時期であったのが幸いだった。フィショフはリンゴ宛てに手紙を書いた。
数週間後にリンゴから電話があり、彼らは会うことになった。
フィショフはいう「その頃、彼(リンゴ)は本当に何もしていなかった。彼とバーバラはリハビリ施設から出たばかりで、何かすることを探しているところだった」(2018年6月7日付エルサレム・ポスト電子版)。
最初の会合から数週間後、承諾の返事がリンゴ側から来た。リンゴ自身も何かやらねばならないと考えを巡らせていたようだった。
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再び顔を合わせ、メンバー選びに入った。
フィショフによると「リンゴは(イーグルスの)ジョー・ウォルシュ、(ザ・バンドの)リヴォン・ヘルムを入れてくれと言った。私はニルス・ロフグレンと(ブルース・スプリングスティーンのEストリートバンドのサックス・プレイヤーの)クレランス・クレモンスを推薦した」。
「そして私はビリー・プレストンとも連絡を取り始めた」。
リンゴも自分の電話帳を取り出し、何人かと連絡を取っていた。
米音楽誌「ローリング・ストーン」も89年8月24日号で「リンゴ・スターが生まれ変わった(Ringo Star is reborn)」と題した記事でバンド発足騒ぎを伝えた。
会見場には「ダイエット・ペプシがお届けします。すべての世代のためのコンサート:リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オール・スター・バンド」とののぼりが用意され、会見の終わりまで「俺たちはツアーに出るぞ」という声が聞こえていたという。
リンゴが表舞台に戻って来るやいなや、さっそくビートルズについての質問を投げかける人々が押し寄せた。
ある日、「ひとりの女性が僕に「アイ・アム・ザ・ウォルラス」を歌う予定があるのかとどうか知りたいと聞くのだ」とリンゴ。「さすがに言わなきゃいけなかったよ「ごめん、あれは」僕が歌う歌じゃない」って。
「それからジョージやポールは同行するのかと質問し続ける人たちもいた。僕は本気で言うのだけど「もし彼らが同行するなら、私たちはリンゴ・アンド・ヒズ・オール・スター・バンドと名乗ることはできないだろうと思うよ」。
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彼のオール・スター・バンドはビートルズの影に隠れることはなかった。なにせ、今日までメンバーを入れ替えながら25年も続いてきたのだ。バンドの楽曲で全米ナンバーワンヒットだけでもおよそ15曲。
「グルーヴィン」(ヤング・ラスカルズ)、「ピープル・ゴット・ビー・フリー」(ラスカルズ)、「フランケンシュタイン」(エドガー・ウィンター)、「ラウンド・イン・サークルズ」(ビリー・プレストン)、「ロコモーション」(グランド・ファンク)、「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」(アベレージ・ホワイト・バンド)、「ノックは夜中に」(メン・アット・ザ・ワーク)、「アフリカ」(TOTO)、「キリエ」(Mrミスター)など。
その他も名曲そろいだ。例えば「ならず者」(イーグルス)、「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」(ピーター・フランプトン)、「ホワイト・ルーム」(ジャック・ブルース)、「オール・バイ・マイセルフ」(エリック・カルメン)、「ロジカル・ソング」(スーパートランプ)。
鬼籍に入ってしまったスターたちもいる。
コロナ禍が過ぎた。リンゴたちは再びやってきてくれるだろうか。
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