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「福田村事件」の著者が語る

 昨年秋、辻野弥生(つじのやよい)さんの著書「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」(五月書房新社)にインスパイアされた映画「福田村事件」(森達也監督)が公開されて大きな話題となった。
 オウム真理教を取り上げたドキュメンタリー映画などで知られる森監督だが今回は初めての劇映画だった。
 辻野さんの本はもともとは2013年に千葉県流山市の小出版社から出した本だったが、その会社は潰れてしまった。
 が、ある編集者が「絶版にしてはいけない」として、昨年、関東大震災からちょうど100年目に「再出版」することが出来た。
 「結局、(映画のベースともなった)福田村事件を一冊にまとめたものはこれしかなくて、いろいろなメディア、それこそ新聞、テレビ、週刊誌からラジオまで、取材に来ました」と辻野さん。

辻野弥生著「福田村事件」


 辻野さんは2024年6月1日(土)、ジャーナリスト浅野健一さんの「人権とメディア」連続講座の一環として「スペースたんぽぽ」(千代田区三崎町3-1-1)で、「なかったことにはできない 関東大震災・知られざる悲劇 福田村事件」と題した講演をした。
 福田村事件とは、1913年9月1日に関東大震災が起こったが、その数日後、福田村(現在の千葉県野田市)で香川からの薬売りの一行が行商用の鑑札を持っていたにもかかわらず朝鮮人と決めつけられて村人らに殺された事件のこと。
 背景として、1910年に日本は朝鮮を併合したが、1919年に3.1独立運動が起こり200万人が参加した。日本の朝鮮総督府はこれを弾圧し、7500人が死亡、16000人が負傷、46000人が検挙された。
 そのため、朝鮮人を恐れる気持ちが日本人の中には生まれていたという。その表れとして、関東大震災後の混乱のなか、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの流言飛語が飛び交い、多くの朝鮮人や中国人が虐殺された。
 辻野さんがこの虐殺事件のことを知ったのは1999年のこと。その事件を取り上げようと思ったのには2つ理由があったという。一つは「在日3世のミュージシャンとの出会いでした。全国で反差別、反戦、平和を訴えて路上で歌っていたんです。あまりにもピュアな歌声に感動しました」。
 彼は日本人にどれほどいじめられてきたかを歌にしていた。「客の中には「そんなに日本の悪口を言うならさっさと韓国に帰ればいいじゃん」という人もいて、ショックだったんです。歴史を知らない人の言葉だって」。
 もう一つの理由は辻野さんが流山に住んでいる95歳の女性の一代記を書いていた時に「資料を漁っていて朝鮮人虐殺という資料に出くわしたんです。こういう歴史を学校で習ったこともないし、自分が知らなかったことにとても衝撃を受けました。書けばもっと詳しく知ることができる」。

辻野弥生さん


 当初は福田村事件に関する資料がなく、取材先の口も重たかったという。突破口となったのは事件現場近くの園福寺というお寺を訪ねて住職に食い下がってようやく犠牲者名簿を見せてもらったことだった。
 最初は「その件は勘弁してください」とにべもなかったという。
 映画は紆余曲折を経て、森達也さんが監督を務めることになり、クラウドファンディングによる資金集めを経て制作され、昨年9月に公開。
 全国で200を超えるミニシアターでロングランを記録して、のべ20万人もの人が観たという。日本アカデミー賞にノミネートされ、韓国や中国でも高い評価を得た。著者の辻野さんは「80を超えたおばあさんが急に脚光を浴びて、自分ではないような一年でした」と語った。

映画「福田村事件」のポスター


 辻野さんによると、おおむね好評だった映画も、観る人によってさまざまなようで、「差別を助長拡大すると考えられるところがある」というクレームが届いているようだ。
 製作者側からは「特定の民族、団体、個人に対する偏見、差別を助長する意図はございません」と回答したようですが、解決の糸口がみつかったかどうかわかりません、と辻野さん。
 「私からみれば、制作側の人たちは、差別をするどころか、むしろその対極にある人たちだと信じています。しかし、こういう映画を作った宿命かもしれませんね」。

ジャーナリストの浅野健一さん(右)と司会の安田真理さん


 だが、福田村事件は今日的な問題ともつながっている。
 小池百合子東京都知事は就任翌年の2017年から、歴代の都知事が行ってきた朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付を取りやめ、今年も送らなかった。また、昨年、政府内に福田村事件に関する資料はないのかと問われた松野博一官房長官(当時)は事実に反して「ない」の一点張りだった。
 また今年1月、群馬にあったダムや鉄道建設のために駆り出された朝鮮人たちの犠牲に対する追悼碑が撤去されてしまった。辻野さんは「怒りしかありません。あそこに書いてあったのは「記憶」とか「友好」など素晴らしい言葉だったのにそれを撤去するなんてとんでもない」という。
 いくら流言飛語があったとしても、映画の中のセリフにあるように「朝鮮人なら殺していいのか」というのが映画が言いたいことだと思うと辻野さんは話した。また「弱い者はさらに弱い者を搾取して生きていく」というセリフが映画にあるように「とても悲しい物語」でもあるという。
 森監督が言いたかったのは「テレビが言うからとかではなく、自分というものをしっかりと持って、「あれっ、これは本当かな」と自分に問いかける気持ちを持ってもらいたいということだと思います。森さんは常に個を大事にしようと訴えているんです」と辻野さんは話す。
 ライターとして辻野さんは「何を書くにしてもそこに愛情と思いやりの気持ちがないといけない。とんがった気持ちでは書けない」。
 「父や母を見ていて人を差別してはいけないという(ことを学んだ)根本。人間はみんな同じだという気持ちが根本にあるのです」と話した。

会場となったたんぽぽ舎の入り口

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