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ビートルズ研究所の本多さん

 「ビートルズやジョン・レノンではメシ食われへんぞ! 勉強しないといい大学に行けないし、いい会社に入れないぞ。ビートルズなんか聴いていると路頭に迷うぞ!」
 関西の人であれば誰もが知っているようなスパルタ教育の有名進学校。英語の授業にトマス・ハーディやジョージ・エリオット、J.D.サリンジャーの文献を持ち寄り、第2外国語にはドイツ語が必修であるような高校だった。
 本多康宏(ほんだ・やすひろ)さんは「Let It Be」や「Imagine」の歌詞を持っていったが、先生は「これは文学じゃない。ビートルズなんて文化じゃない。いい大学に入るためにこの学校に来ているのに、お前はビートルズと大学とどちらを選ぶんだ」と言い放った。
 その時、本多さんは言われるがままであった。
 話は本多さんの中学校時代にさかのぼる。ある日、クラスメイトの石井君がビートルズのLP『(ミート・ザ・)ビートルズ!』を持ってきて、そのレコードを聴いた。
 1曲目の「抱きしめたい」で、「いきなり“何だこれはっ!すごい!”となった。皆さんと同じですよ」と本多さんは振り返りつつ語った。

『(ミート・ザ)ビートルズ!』


 本多さんはビートルズの現役時代をリアルタイムで体験した「第1世代」ではなく、ディープ・パープルやクイーンなどを聴いていたという。
 しかし、「その瞬間、ビートルズがぼくの中に入ってきたのです」。

大企業をクビになって
 
スパルタ教育の高校に通って、医者を目指していた本多さんだったが、ビートルズと出会って「勉強よりもビートルズのほうに傾いて、だんだんと成績が降下していきました」。
 結局、単位が取れずになんと高校を卒業できなくなってしまったのだという。本多さんは大学入学資格検定試験を受けて合格した。どうしても東京に出たかったので、浪人して東京の大学に進学した。その頃、本多さんは20歳。髪の毛を伸ばして、丸眼鏡をかけ始めた。
 親の期待を背負っていたので、就職をした。「かなり大きな企業でしたが、なじめずに毎日がきつかった」と本多さんは言う。
 会社に入る前に地元のおじさんから言われた言葉を思い出したという——「我慢が8割、自分の思うようになるのが2割。それが社会だよ」。
 だが、3年くらい経ったら出社拒否になってしまい、会社を辞めた。
 本多さんは語る。「大企業をクビになった段階で、もう思い切って学歴を捨てて、ビートルズをやってみようとなったのです。そして、その後にいろいろあって、数年後、イギリスへ修行行脚に繰り返し行きました。ロンドンでは日本人が1人もいない“諸国からの外国人だけの”英語&ビジネスの学校で、もう一度英会話をやり直しました」
 「イギリスではビートルズのことだけでなく、銀行関係の署名や小切手の鑑定などやアンティーク鑑定、レコードの生産工程、レーベル印刷などもいろいろと勉強しました。アメリカでは数多くの贋作を目撃しました。英語で学んでいるうちに細かいことも次第にできるようになったのです。そこが鑑定のスタートラインになりました」と本多さんは言う。
 鑑定士としての推薦をもらって選ばれて、テレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団」スタート直後から毎年1、2回のペースでビートルズのサインなどお宝グッズの鑑定をすることになった。「そのおかげで活動をやってこられたので、感謝しかありません」。

並大抵な厳しさではない鑑定士の世界
 「1970年ごろまではビートルズのコレクション市場は日本にはなかったのです。しかし、80年にジョン・レノンが凶弾に倒れた後、ビートルズのものがレガシーになっていきました。古いグッズやオリジナル・レコードが見直されて、収集されるようになったのです」。
 「現在進行形だったビートルズが止まったので、かつてあったものを大事にすることを通してビートルズを知ることになっていきました」。
 鑑定の世界の厳しさは並大抵ではないと本多さんは言う。例えば、AとBのレーベルの違い、ジャケットの違いなど80年代後半からいわれるようになったのですが、「ビートルズの現役時代にはそんなことを分かっている人はいなかった」。
 「アマチュアは、モノを見えることだけで、見比べている。そしてプロの鑑定とは違う“思い込み”で見ていることが多いのです。例えば、AとBがあって、Aが偽物ならばBは本物だと判断しがちですが、それが思い込みなのです。よく考えてみたら、AもBも偽物かもしれないし、どちらも本物かもしれない。それが私の鑑定の切り口です」
 「間違えないように間違えないように石橋を叩くように密度濃く鑑定しています。大切なのは集中力、見たことを記憶する力、微細なことへの執着と、それらの長年にわたる継続と蓄積」だと本多さんは語る。
 レーベルやジャケットも、同時期に作られたものでも印刷工程の配置が異なれば違ってくるという。本多さんは「活版印刷やオフセット輪転機のことなど印刷所についても、紙の裁断についても、インクについても、酸化や経年劣化についても勉強しました。版が複数存在すればオリジナルも複数存在することになるのです」と述べた。

頭に叩き込んであるビートルズのサインのクセ
 
「これで間違いないとか、そういわれているとか、思い込みや刷り込みや言い訳でモノを見ないこと。ひとつひとつの事象を独立させて検証すること。それらの点を後で線につなげる。決して最初から一緒くたにしない。(鑑定を依頼してくる)コレクターの人たちは、“本物であってほしい”という思いから色眼鏡で見てしまいがちです。しかし、本物の鑑定はもっとシビアで緻密で複雑なのです」と本多さんは語る。
 直筆サインの鑑定の難しさについて本多さんは「世界でもきちんと鑑定できる人は少なくて、サザビーズやクリスティーズといった有名オークションでも鑑定の精度はさほど高くない。今でもそういうところにプロフェッショナルといえるような人はいなくて、真贋争いが起きると私を含めて外部の人たちが意見を求められているのです」と言う。
 鑑定を複雑にしているのはプロとアマチュアの贋作者の存在だ。「アメリカとイギリスに贋作者が多い。日本にもいて、偽物をつくってインターネットで売っている人たちがいます。贋作者には贋作者のそれぞれのクセがあります」と本多さんは語る。
 「鑑定は進化していかなければいけません。贋作者も“勉強”をしてきています。いたちごっこです。一般的にいって、ネットオークションでは偽物をつかまされることが多い。オークションに出される中で本物は5%以下でしょう。宝くじを買うようなもの。そう簡単に本物は出てこないし、売りに出されません」。
 「そもそも数も少ない。なぜネットなのかといえば、ネットでないとさばけないからです。誰かが見ているネットの世界にあなただけの秘密の掘り出しものは存在しません」。
 本多さんはビートルズのメンバーのサインのクセやニュアンスを頭に叩き込んでいるという。「一人一人のクセを多岐にわたる要素で見ています。使うペンの種類によっても、書いた文字の大きさによっても、書いた時の体勢によっても変わってきます」
 「人は字を書く時、手で書いているのではなく、目と頭で書いています。だからクセが残っていきます。筆圧の強さ、筆圧の変化、その時々のつながり、間隔、バランスなど、それら所々のニュアンスは、もちろんメンバーそれぞれ、時代が変われば変わってきます。例えば、1963年のサインといわれていても、ジョージ(・ハリスン)だけ65年のパターンになっているとしたら不自然です」

「ビートルズ研究所」立ち上げ
 「自分の中で本物の要素や気配が多い時、違う要素を一つ一つつぶしていく。おかしいところを説明できなくてはいけない。数学の証明のようなもの。鑑定というのは論理的、弁証法的、帰納法的なのです」。
 「過去の事例とどこが一致するのかしないのか、どのケースなのか。頭の中にある検索からあたりをつけてから、過去の鑑定の膨大な資料に向かい、部分検索します。百科事典ができるぐらいのボリュームからです」。
 偽物のデータも国ごと、贋作者ごとにあります、と本多さん。例えば、180年代にアメリカの東海岸を荒らした「ジョー・ロング」。「悪魔のように悪い奴。最初はビートルズで、どんどんと派生していき、筆跡を研究すると、モンロー、プレスリー、マイケル、ストーンズ、マドンナ、マイケル・ジョーダンなどの偽物もやっていたことが分かりました」。
 「しかし、なぜか消えて、2005年くらいから“奴の新作”は出てこなくなり、今市場で出回っているのはそれまでのもの。その後、他のプロの贋作者がウジャウジャと湧いてきて、James、John、通称デイブA、デイブBというのもいて贋作をたくさん書いています」。
 本多さんは、これまで30年近くの間に3000点以上を鑑定してきたという。95年秋、本多さんは「ビートルズ研究所」を立ち上げた。レコードをはじめ、書籍、グッズ、サイン、貴重品など、世界中から集められたファン垂ぜんのアイテムが並んでいる。

ビートルズ研究所


 「ビートルズ好きで、この25年で、延べ10数万枚のビートルズのレコードやアイテムに来る日も来る日も触れて、関わって来たスタッフが数名常駐しているので、いろいろな人に来てもらいたい。ビートルズは、それぞれのみんなのビートルズです」と本多さん。
 ビートルズ研究所の住所は、東京都新宿区下落合1-3-16 ジョリーメゾン407(最寄り駅はJR、東京メトロ、西武新宿線「高田馬場駅」)。営業時間は正午から午後8時。定休日は火曜日と水曜日 (祝日の場合は営業)。電話番号は03-3366-5661。
 「学校の先生はうそをついたと思っています。やっぱり先生はうそを教えるんだなと。ジョンも言っていたけれど、大人は大人の価値観を大人の都合で押しつけて子どもの可能性を摘んでしまうって。それが私にはよく分かるのです。好きなことを一生懸命やれば何とかなる——それがビートルズから教えてもらった一番の財産です」と本多さんは言う。
 「ビートルズではメシを食われへんぞ!」と言い放ったその高校の英語の先生ががんから「復活」したと聞いて、本多さんは普段は出ることのない同窓会に顔を出したのだという。
 先生は「本多がわざわざ東京から来るなら、あの時のことで自分に何か言ってくるだろうなと思っていた。当時はまだ20代後半だったので、生徒たちに勉強をさせるので必死だった。若気の至りだった」と“言い訳”した。
 それに対して本多さんは返した。「私の今日(こんにち)があるのは、先生の“ビートルズでメシは食われへんぞ”のおかげです。感謝しています」。

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