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ジョン、ポールの愛と涙

 ジョン・レノンとポール・マッカートニー。少年時代に知り合い、切磋琢磨し、ビートルズの屋台骨を支えた二人。
 そんな二人はライバルであったが兄弟のように互いを愛し、ビートルズ時代には泣きながらお互いを愛していると話したこともあったくらいだ。
 盟友だった二人の愛だが微妙だった時期が、1970年のビートルズ解散後だった。ジョンとポールはそれぞれ歌に相手へのメッセージを込めた。
 ポールの71年5月リリースのアルバム『ラム』収録の「トゥ・メニー・ピープル」がまずそれだ。これはジョンがグループ解散後に行った告白的インタビュー「レノン・リメンバーズ」(草思社)への返答だった。
 ジョンがビートルズの負の側面や、ポールとの間の確執について手厳しく語っていたのにポールが応えたのだという。
 「地下に潜る人が多すぎる」「行いについて説教する人たちが多すぎる」「それが君の最初の間違いだった/君は自分の幸運をふたつに壊してしまった/今君のために何が出来ようか/君はそれをふたつに壊してしまったんだ」といった歌詞が並ぶ。


 ポールは言った「放送電波を通して伝えるジョンへのメッセージだったのだ」と。「ジョンが、人々は何をなすべきか、どう生きるべきなのかということに関して少し偉そうに説いているところがあると思って、当時は、その一部が少し偽善的だと感じていたんだ」(『ラム』スーパーデラックスエディションのライナーノーツによる)。
 ジョンはこれに即、反応した。71年9月リリースの『イマジン』に収められた「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」でだ。
 彼のもっとも攻撃的で辛辣な面が出たナンバーで「きみがやったことをいえば「イエスタデイ」だけだ。今となってはもはや「アナザー・デイ」ってわけさ」と、ポールの代表曲の一つと解散後のソロ作品のタイトルを引き合いに出して、彼を攻撃している歌詞である。


 ポールはさすがにショックを受けた。だが、彼は「目には目を」という対応をとらなかった。「ジョンには確かに残酷なところもあった・・・でもぼくは、ジョンの「平和を我等に」の側面も知っていた」とポールは語った。
 ポールはウィングスの最初のアルバム『ワイルドライフ』(71年12月)の中の「ディア・フレンド」を答えとした。
 ポールは「悪口についてすべてを打ち明けろという挑戦状」的な姿勢をジョンに対してとることも出来た。だが、ポールはもうひとつの方法をとったのだーー。「一緒に座って、黙って、ワインを飲まないか?こんなくだらないことをするには、僕たちはお互いのことを知りすぎている」と「ディア・フレンド」で語りかけた(『ウィングス 1971-1973』スーパーデラックスエディションより)。
 ポールはこの歌について「ビートルズの解散について口論した後にジョンと話した」ことだと説明した。
 「歌詞に「まさに若い新婚夫婦のようだ」という一節があるのだけれど、これを聴いていると「なんてことだ。まさにそういうことだ」と思うんだ。ジョンに言おうとしていたことは「まぁ、いいや、ワインでも飲もう。冷静になろう」ということだった」とポールは語った。
 「自分が手を差し出した曲だったんだ」。


 その後は表向きには作品を通しての二人のやりとりはなりを潜める。ビートルズをめぐるビジネス面でのしこりがほぐれてきたことが背景にあろう。
 ジョンがロサンゼルスで「失われた週末」という時期を送っていた頃、ポールと久しぶりに会っていた。
 75年からジョンがショーンを育てるため「主夫生活」に入ってからもポールはジョンたちの家ーニューヨークのダコタハウスを訪れた。ジョンは話していたーポールは約束がなくてもドアマンにあれこれ言って入ってきちゃう。もう60年代じゃないんだからって。
 そして訪れたジョンの突然の死。5年ぶりに音楽シーンに復帰したジョンを襲ったのがマーク・チャップマンが放った銃弾だった。80年12月。
 ポールは「馬鹿の中の大馬鹿」(Jerk of All Jerks)という暗殺犯に宛てた詩を書いて、それを詩集「ブラックバード・シンギング」(プロデュース・センター出版局)に収録した。
 「僕はピストルを持つ男/君の親友を撃ち殺す/僕のせいじゃないよ/だって僕は狂っているんだから」。
 その詩は悲しみと怒りが入り混じったものだったが、ジョンに対してのやさしさと愛情あふれる「ラブレター」を書いたのはジョンの死後直後だったという。その作品「ヒア・トゥデイ」は82年の『タッグ・オブ・ウォー』に収録された。


 ポールはサセックスにある自分のレコーディングスタジオで、ジョンとの若い頃からのいろいろなことービートルズとは関係ないことーなどを思い返していたのだという。そこの二階の部屋にアコースティックギターを持ち込んで弾きながら作ったのが「ヒア・トゥデイ」だとポールは言う(「The Lyrics」Liveright)。


 「僕らが泣いた夜はどうだった?」という歌詞があるが、それについてポールは振り返った「ビートルズの(最初の全米)ツアー中、フロリダのキーウェストでの出来事だった。赤道近くの場所だけど、ハリケーンが接近していたため、僕らはジャクソンビルでの公演をキャンセルしなければならず、キーウェストに向かった」(『タッグ・オブ・ウォー』スーパーデラックスエディションのライナーノーツ)。
 小さなモーテルの部屋で「とにかく僕らは飲みまくり、泥酔してディープな会話を交わした・・・何日かそこに滞在しなければならなくて、僕らは基本的にずっと酔っ払っていた。すごくエモーショナルだった・・・僕ら(ポールとジョン)が一緒に泣いたのはそのときだけだ。泣きながら、お互いにいかに相手のことを愛しているかって話したのだ」。
 「僕はコンサートでいつも「ヒア・トゥデイ」を演奏している。ものすごくエモーショナルな曲だから、さまざまな思いが呼び起こされるよ・・・コンサートで僕はこの曲を「僕らが交わすことのなかった会話」として紹介しているけど、だいたいそれで間違いないよ」。
 

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