ジョージアの旅⑧
時間を遡る。10月14日(土)の古都ムツヘタの祭りでの加藤登紀子さんのライブについてはすでに報告した。その日の観光についても書きたい。
この日はまずムツヘタの町が一望出来る標高600メートルにあるジュヴァリ教会を訪れた。素晴らしい光景だ。
見下ろすと左に見える山の頂上にかつてはアルマジの偶像があったという。そしてその山の側にムツヘタの町はあった。
紀元前8世紀に町は作られ、西暦4世紀にイスラム教のイベリア王国の都となった。ムツヘタは二つの川の合流地点にあったため、貿易拠点になる。
見下ろすと先に高速道路が見えてくる。全長8800キロ、フランスからウズベキスタンにまで達する道で、中国企業がさらに建設を進めている。中国が進める新たなシルクロード「一帯一路」の一環だろう。
さて話を戻す。現在、ジュヴァリ教会が建っているところには聖ニノが木製の十字架を建てた。そして6世紀に教会が砂岩ブロックを使って建設された。かつては城壁も鐘楼もあったが、破壊されてしまった。
聖ニノはムツヘタに入ると定住した。そのために4世紀に小さな教会を建てた。サムタブロ教会だ。地震が起きる度に壊れた。13世紀の大地震で壊れて、17-18世紀に復元された。
この教会の中にはミリアン王と女王が埋葬されている。
東側に祭壇があるが、女性は入ることが許されない。唯一の例外はジョージアのタマラ(女)王だった。タマラは最盛期の王だった。
次に訪れたのはジョージアでおそらく一番有名な教会であるソヴェツヴェリツヴェリだ。世界遺産に登録されている。
ジョージアには昔から多くのユダヤ人が住んでいた。ある時、会議が開かれて、イエス・キリストが本当の神なのかどうかを議論された。
4人のユダヤ人が参加した。一人はエリオスという人だった。その姉がシドニアで、イエスが大好きな女性だった。
エルサレムに行った。しかし到着した時にはもうイエスは他界してしまっていた。エリオスはジョージアに戻った。シドニアはイエスの遺骸を包んでいた布「聖骸布」の一部を抱いて亡くなってしまった。
そこから杉の木が生えてきたという。油がそこから流れ出て、病を治したという。4世紀にその杉の木を切って、それを使い教会を建てようとした。6本の木材を使い、7本目となった時に、空に飛んで行ってしまった。
それを元に戻すために聖ニノが祈りを捧げると、天使たちが7本目を元に戻してくれたという。それゆえ「命の木」といわれる。
外壁には2匹のライオンがある。これは強さの象徴である。また2本の葡萄の木。その左に聖ジョージ。真ん中に十字架。右に二羽の鳩。
ムツヘタに遷都したムツタング王が埋葬されている。
教会内教会がある。これはイエスがエルサレムにある教会に埋葬されているが、誰もが訪れることは出来ない。その代わりに15世紀に建てられたもの。エルサレムでなくても、ここを訪れることが出来るようにとのことだ。