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ロネッツ大好きジョン・レノン

 【スピリチュアル・ビートルズ】ロネッツのロニー・スペクターはジョン・レノンの大のお気に入りだった。ジョージ・ハリスンも同じくロネッツのエステルと近しい仲になっていた。
 「ロニー・スペクター自伝 ビー・マイ・ベイビー」(シンコーミュージック)によると、1964年1月英国でロニーらはビートルズの4人と会った。彼らが米国に上陸して人気が爆発する前のことだった。
 ロネッツはニューヨーク出身の3人組ガールズ・グループで60年代前半にフィル・スペクターのプロデュースで絶対なる人気を誇っていた。「ビー・マイ・ベイビー」などのヒット曲がある。
 あるパーティに行くと4人はすでにきており、みんなロネッツのファンだと紹介してきたのは、ロニーたちにとって「ものすごい衝撃」だったという。ロネッツの面々とビートルズの4人はすぐに意気投合。
 ロニーが気づいたのは4人はアメリカのレコードをずいぶんと聞きこんでいて同じくらいにアメリカの音楽に詳しいということだった。
 「ビートルズはあらゆるガールズ・グループが大好きで、モータウンから出た曲はひとつ残らず知っていた」。


 ロニーはジョンに頼まれていろいろなダンスのステップを教えた。
 「彼(ジョン)がわたしを気に入っているのだと察するまでにあまり時間はかからなかった。エステルがジョージから同じシグナルをもらうようになってから、わたしたちは女子トイレで落ち合って情報交換をした」。
 ロニーはフィル・スペクターと付き合っていたが、「わたしたちは若くて、しかも外国にいたから、置いてきたボーイフレンドのことは忘れてちょっと楽しむことにしたのだ」。
 そのうちにロニーはベッドルームに引っ張って行かれた。するとすでに部屋の中にエステルとジョージがベッドに座っていたのだという。
 ジョンはとにかく冗談を連発していたという。
 いつの間にかロニーとジョンは窓際の椅子に座って数秒間キスをしていた。ロニーはその時、フィルのことを思い出したのだという。
 ロンドンを出るまでにロニーとエステルはダブルデートを何回かした。ロマンティックなレストランに行ったが、話すのはアメリカのロックンロールの話ばかりだったという。
 1月の終わりにフィルがロンドンに現れた。口にはしなかったものの、フィルはロニーらがビートルズと親しくしていることを快く思っていなかったとロニーには分かっていた。

バージンだったロニーには衝撃的
 ロネッツのメンバーがイングランドから帰って来てから数日後の1964年2月7日、ビートルズがJFK空港に降り立った。ロニーは書いたーー「テレビを見てフィル・スペクターがビートルズの後について飛行機を降りていくのを見た時、私は卒倒しそうになった」。
 フィルはビートルズ人気のおこぼれにあづかったのだ。
 「フィル自身がスターになりたくてたまらなかったことにわたしが気づいたのはその時が初めてだった」とロニー。
 ビートルズはプラザ・ホテルのワンフロアをまるまる借り切って泊まっていた。ジョンは言っていた「ぼくたちはここの囚人なんだ」。
 暗くなり、ビートルズがローディ―のマル・エヴァンスに合図を送ると、彼は部屋から「そこにいるべきでない人たち」を追い払っていった。しばらくすると驚くべき光景が展開された。
 ビートルズおつきの一人がセックスをみんなの前で始めたのだ。まだバージンだったロニーは、セックスそれもシックスナインやいろいろな体位があることを初めて知ることになったという。
 「わたしたちはジョンのプライベート・ベッドルームに入っていった」。
 ロニーによれば、あと一歩ではあったが、ジョンと関係を持つことはなかったのだという。ロニーはジョンに言ったという。二人の間には「素晴らしい友情」があって、でもジョンのことは「ボーイフレンド」というより「ブラザー」のように思っているのだと。

「失われた週末」のジョンと会う
 1974年秋、ジョンは愛人メイ・パンとニューヨークのウェストサイドのアパートで暮らしていた。ジョンがヨーコと別居していた、いわゆる「失われた週末」の時期である。
 外で偶然メイと会ったロニーはアパートに引っ張って行かれてジョンと会った。ジョンはマリファナを吸いながらレコードを聞いていた。
 ジョンはロニーをハグしながら「ちょうど君のことを考えていたところだったよ」と言ったのだという。
 フィルが手がけて、出たばかりだったシェリーのシングルを手にした。それを聞いてジョンは「フィルが迷走している」と思い、「いったい何がフィル・スペクターに起こったのだろう」と話した。
 その2年後、ダコタの近くでロニーはジョンと会った。でもジョンはすっかり痩せていて最初は分からなかったぐらいだったという。
 ジョンがメイと別れてヨーコの元に戻った。ヨーコからロニーのところへは何度か電話がかかってきて、話をするうちに親しくなったという。
 ジョンは1980年12月8日、自宅ダコタの前で撃たれて亡くなった。
 そしてロニーの元夫フィル・スペクターは殺人罪で収監中、2021年1月16日に亡くなった。ロニーは追悼文で「素晴らしいプロデューサー」だったが「ひどい夫」だったと述べていた。
 そんなロニーも2022年1月12日、この世を去った。

フィル・スペクター(左)



 

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