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コロナ禍在宅看取り14(最期のとき前編)
父の誕生会の日、とてもよく食べ、よく笑いっても楽しそうすごしていた母。みんなこのままガンがなくなって元気になるんじゃないかと思いたくなるほどに楽しく過ごしました。
しかし予想は的中し、翌日には高熱が出て急変してしまいました。
誕生日の翌日を境に、母の容体は転がり落ちていきました。
在宅医療に入ってからの私たちは、知らぬうちに日々気を張って過ごしていたんでしょう、宴会大好きな我が家でしたが、気がつけば呑んでも呑んでも誰も酔わなくなっていたことにこのあたりで誰とも言わず気づき始めました。
妹2人は自宅も距離があったため、夜の晩酌をやめていたし、集まって呑んでも、母が寝た後はみんな気分が落ち込んで、お酒はすすんでも誰も酔わない。
とにかく気づかないうちに、家族中が常に神経を張っている状態になっていました。
今思えばわかることですが、実際の日々ではそんなこと誰も気が付いてませんでした。
そんな中での急変でしたが、次の日には熱も下がり容体は落ちつきました。ただ食欲はほとんど回復せず、あまり会話もできず、笑顔も消えていきました。
フェントステープ(麻薬パッチ)だけでは痛みが抑えられず、レスキューと呼ばれる医療用麻薬のオキノームも追加で飲むようになりました。
父の誕生会から1週間経つ頃には、便に白いものが混じり始め、内臓の機能が大幅に落ち始めていることを示していました。
この頃には氷やアイス、フルーツやそうめんを舐める程度しか食べることができず、ボルダレンやリリカなど神経系や筋肉痛の痛み止めなどが増えていました。
麻薬パッチはもちろん貼っていましたし、どこが痛むのか、どのような不快感なのかもなかなか聞き取ることも難しくなっていたので、母は体の所在がないというような感じになっていました。
ただ痛さで暴れたり、混濁してるような様子は見られず、この頃に訪問看護の方に亡くなっていくときの手引書のようなものもいただきました。
ただ私たちは在宅看取りを決めた時から、常に母にとっての最善を尽くしたかったので、早い段階で在宅看取りについての書籍を読み漁っていました。
これを知っているか知らないかで、後の後悔は大幅に違うと思います。
余命宣告を受けたらすぐにでも読んでおいてほしいとさえ思います。
もしも奇跡が起きて回復したら知識として残るし、奇しくも宣告通りになった場合には慌てず見守ることができるから。