落語日記 先代が亡くなった後も続いている一門会
第5回入船亭一門会
5月30日 池袋演芸場
九代目入船亭扇橋一門が、年に一度集まる一門会。九代目の存命中は「扇橋一門会」を開催していた。九代目が旅立たれてから、扇治師匠が中心となって池袋演芸場で年に一度集まって「入船亭一門会」を開催している。今回が5回目となり、私は初参加。今回は直弟子の他、孫弟子の扇蔵師匠も出演。
毎回オリジナルグッズを作っているそうで、今回は九代目の俳句が書かれたクリアファイルをロビーで販売していたので、私も記念に購入。
柳家小じか「道灌」
柳家小せん門下の前座さん。髪型が特徴的で、月代をそったように見えて、後ろには短い丁髷を結っている。農民出身の雑兵のような、もしくは落ち武者のような前座さん。一度見たら忘れられない、芸人にとっては有利な髪型だが、どうやら自然の姿のようだ。
声が大きく、リズムも良く聴きやすい語り口。
入船亭扇蔵「たがや」
まずは九代目の孫弟子、扇遊門下の扇蔵師匠から。
前座の小じかさんは25才です、皆さんが心に思っている疑問に対する答えをお伝えしました。そんなマクラから始まり、会場爆笑。落語協会は、前座入りする際の年齢制限があるので当然のことながら、小じかさんの風貌イジリはお約束か。
マクラは、先日行ってきた歌舞伎観劇の話から。コロナ禍は、大向うの掛け声が制約されていた。元の状況に戻りつつあるという話から、落語家への掛け声、そして花火の掛け声という定番のマクラ。旧暦上では、既に川開きは過ぎた時期、最近は夏を感じられる日々、ということで、まずは夏の噺から。
親孝行の箍屋、物見高い江戸っ子の野次馬たち、かなり間抜けな侍主従、それぞれの性格や風情を演じ別け、町人階級の憂さ晴らしの気分を上手く伝えてくれた。まずは、季節感を感じられる一席で一門会の幕開け。
入船亭扇治「働かせ蜂」
寄席で拝見して以来、久しぶりに拝見する扇治師匠。ここからは九代目の直弟子が続く。
マクラは、落語界は階級社会という話から。人間界だけでなく、昆虫の世界にも階級社会が存在する。それが、蜜蜂の世界。蜜蜂の生態について、詳しい扇治師匠。100匹の集団があるとすると、1匹が女王蜂で1割がオスの蜂、そして残りがメスの働き蜂という構成らしい。それぞれの蜂の役割りを詳しく解説。それが、この後の本編の前振りでとなっていて、筋書きを理解するうえでの予備知識にもなっている。
その本編は、扇治師匠作の新作。日本橋蛎殻町のべっ甲問屋が舞台。真面目でお人好しながらノンビリ屋の手代の松吉と、ずる賢くお店の乗っ取りを企む悪人の番頭の対決が主軸の噺。蜂の巣を処理させられた松吉の耳の穴に、ひょんなことから入り込んだ働き蜂の八(はち)。この八が言葉を話し、松吉に話しかけ、その行動を操るようになる。虫が喋るというファンタジーでもあり、また松吉の幻想とも解釈できる不思議な噺。この八の考案した策略を指示されたとおりに動いた松吉の活躍で、番頭の悪事がくじかれるという大団円を迎える。
ネットで調べると、第15回(2000年)NHK新人演芸大賞落語部門で扇治師匠が入賞を果たしたときの演目。かなり掛け続けてきただろう演目。なので、登場人物それぞれのセリフがかなり磨き込まれていた印象を受ける。虫が喋る演目は、疝気の虫以外では初めてだ。
入船亭扇好「短命」
一門のベテランが続く。この公演の前日は、先代扇橋師匠の誕生日にあたり、命日ではないのに一門が集まって墓参りに行くという慣習があるというマクラから。命日の墓参りはよく聞くが、誕生日に合わせての墓参りは珍しい。一門の弟子の皆さんの師匠に対する思いや仲の良さを感じる話だ。
扇治師匠の噺を受けて、こちらは現実の落語界の身分制度の話。ご自身の二ツ目時代の思い出から、今の若手たちとの違いを話してくれた。ご自身の二ツ目時代は、今のように若手が熱心に会を開催していなかった。落語家の人数も今ほど多くなく、業界全体がノンビリしていたという時代。なるほど、時代の違いで落語家の活動も変わってきているというのは、頷ける話。
長寿と長命の違いなどの説明から本編へ。ベテランらしい本寸法で、心地良い一席。察しの悪い男に辛抱強く諭すご隠居が、温和で優しい。これも心地良さの理由。
仲入り
入船亭扇里「おもち」
クイツキは、九代目の末弟子の扇里師匠。日記を検索すると、扇里師匠は数年前に「ざこ八」を聴かせてもらっている。三木助師から九代目という系譜を感じる演目で、なるほど九代目一門だと感心したことが記してあった。
マクラは、一門会らしく師匠との思い出話から。師匠とは年齢差が45歳もあり、入門したての頃は、何を話してよいかも分からず、なかなか話もできなかった。師匠の趣味と関われば、共通の話題として話ができるのではと考えた。当時、師匠の趣味は俳句とカメラと競馬。その中でも、扇里師匠が出来る趣味といえば、競馬しかない。そこで、師匠と話が出来るように、競馬を一生懸命勉強した。そのおかげで、競馬場へ師匠のお供で行くこともできた。一門会にふさわしい思い出話だった。
本編は、林家きく麿師匠作の新作。老人たちの会話で進行する噺。この老人たちが、不思議な雰囲気で、どこかつかみどころの無い、奇妙な間合いの会話が続く。会話が進むにつれて、じわじわと可笑しさが出てくる。気付いたら笑っているという状態。これは、まさにきく麿マジックだ。そして、そんな奇妙な噺を自家薬籠中のものとしている扇里師匠。噺の不思議な雰囲気は、扇里師匠に合っている。
入船亭扇辰「麻のれん」
今回の主任は扇辰師匠。池袋の下席昼の部に顔付けされているので、この日は一日中、池袋演芸場にいるので、出番を待つのに疲れたとのボヤキから始まる。
前日に行った師匠の墓参りの話。直弟子で行ったのは、自分と扇里の二人だけで、他は孫弟子たち。兄弟弟子を前に、またボヤキ。
一門は目出度いことが続いている。今年5月下席に扇遊門下の扇ぱいさんが二ツ目昇進し扇七と改名、11月上席より扇辰門下の辰ぢろさんが二ツ目に、来年9月下席より扇遊門下の遊京さんが真打昇進。だけど、その当事者は、今日誰も来ていません。ここでも険しい顔でのお小言、これには会場爆笑。この日のマクラは、扇辰師匠の憎々しい表情をたっぷり堪能させてくれた。
一門会なのに、誰も師匠の噺をしない、私がします、と宣言して本編へ。師匠の噺は、軽くてなんてことのない噺という前振り。しかし、これは逆に言うと、筋書きよりも人物描写の難易度が高い噺だと言える。実際に聴いた後の感想としても、この演目で楽しませるのは「なんてことのない」ことはなく、かなりの技量が必要と感じた。
この噺は、以前に扇辰師匠と扇蔵師匠の二人からしか聴いていない。他の一門の落語家では聴いたことのない噺。確かに一門の噺なのだろう。
噺に登場する按摩の杢市は、自らのハンデで人に迷惑をかけたくない、他人の助けを受けたくないという、負けず嫌いで自尊心が強い男だ。悪く言うと、頑固者で意地っ張り。そんな性格が巻き起こす、何気ない失敗を描いた演目。しかし、視覚障がい者の失敗談を題材とする噺だが、決して障がい者をあざけるものではない。
揉み療治の得意客である大店の旦那は、杢市の技量と共に人柄も気に入っていて、杢市を暖かい視線で見守っている。それを分かっていても、旦那に対しても意地を張る杢市。この強情っぷりが、どこか憎めず、生来の人の好さを感じさせる。また、旦那の人柄の良さも、終始一貫している。そんな関係性が見えるので、気分を悪くすることなく笑える噺になっている。
杢市が、美味そうに酒を飲み枝豆をつまむ様子。ハンデを感じさせながら、嬉しい美味しいという杢市の感情が伝わる扇辰師匠の所作は見事。
メディアに乗りにくい演目ではある。口演中も、視覚障がい者を意味する放送禁止用語は使われない。この辺りも扇辰師匠の配慮を感じる。
蚊帳が使われなくなった現代で、筋書き自体が伝わりにくくなっている。そんな演目でも、一門の噺、師匠の噺として受け継いでいる入船亭一門。改めて、九代目の偉大さを感じた一門会だった。