落語日記 仲間を巻き込んだ独演会が遊かり流
三遊亭遊かり独演会 vol.6
3月14日 江戸東京博物館小ホール
遊かりさん自ら主催されている独演会が、今回で6回目。今のところ皆勤賞。
緊急事態宣言が延長され、コロナ禍対策で、客席は市松模様で60名限定。指定席で、前方の見やすい席に当たった。この会もご常連さんが多く、この日もほぼ満席。
今回のゲストは、圓楽一門会の三遊亭好の助師匠。遊かりさんの大好きな兄さんだそうだ。この会のゲストは、遊かりさんご自身が大好きな落語家さんたち、尊敬する先輩の方々にお願いしているようだ。なので、頼まれたゲストの熱量も高く、遊かりさん自身もゲストの高座を楽しみにされている。ゲストに来てもらったことだけで、遊かりさんがテンションアップされてる様子が高座に溢れている。それがこの会をより盛り上げる効果となっている。
三遊亭あら馬「英会話」
おそらく初めて拝見する前座さん。三遊亭とん馬師匠の弟子なので、遊かりさんと同じく遊三一門。5月から二ツ目昇進が決まっている。
登場早々、客電を落としてください、もう少し明るくしてくださいと、舞台袖にいる遊かりさんに指示を飛ばす。なかなかの度胸を感じさせる前座さんだ。
遊かりさん主催の会だからか、前座さんには珍しく長いマクラ。それもご自身のプロフィールを紹介しながら同時に笑いも起こるネタになっている。あら馬さんにチャンスをあげたことで、遊かりさんが可愛がっていることが分かる。
あら馬さんは元々女優志望で、遊かりさんと似た経歴。アナウンサー、PTA会長と経歴が面白い。家族は夫と娘二人、遊かりさんに勝った、遊かり贔屓を前に大胆な発言にも会場は大受け。人生経験と強心臓がこの芸風を生んでいるのだろう。遊かり姐さんは、着物をくれる良い姐さんです、と持ち上げることも忘れない。伊達に年を重ねていない。
本編は、柳家金語楼作の新作で、芸協ならではの噺。古今亭寿輔師匠に習ったようだ。
デタラメ英語で会話する家族が馬鹿々々しい噺。翻訳した英語の出鱈目さが可笑しい。本編もなかなか達者で、二ツ目での活躍が楽しみだ。
三遊亭遊かり「つる」
いつもの様に神妙な表情で登場。この時期の来客にまずは感謝のお言葉。
あら馬さんの高座を受けて、あら馬さんの話題から。遊かりさんもあら馬さんと同じく、長い前職時代を経て、落語家になった。二人とも年齢を重ねてからの入門。元々芸協は入門時の年齢制限は無かったが、現在は前座になれるのは35歳までとなっている。そんな制限の無かった頃、人生経験を積んだ女性が前座になった先駆者が、遊かりさんだったのだ。この道筋を付けたのは私なんです、に満場の拍手。
そして、ゲストの好の助師匠を紹介。今までのご縁のエピソードが楽しい。好の助師匠は圓楽一門会だが、真打昇進の際には、何故か遊かりさんは披露口上の舞台に並んだそうだ。協会の垣根を超えた交流は、お二人の人柄からだろう。
好の助師匠の芸風として、さわやかに語る下ネタがあるとのこと。この後の高座が楽しみだ。
ゲストを迎えるホストとして、遊かりさんが語るゲストとの個人的な繋がりやエピソードの数々。これが、ゲストに対する何よりの歓迎となっている。そして、前座やゲストの高座とともに、この歓迎が何よりこの会の雰囲気を作っている。
まず一席目は、短めの前座噺から。掛け慣れた噺だからだろうか、落ち着いた一席。
三遊亭遊かり「締め込み」
いったん高座を降りて、羽織を着替えて再登場。
泥棒の小噺二題から泥棒の演目へ。二席目は、泥棒と夫婦の三人の思惑が交錯する噺。気が短く焼きもち焼きの亭主を好演。落ち着きがありながらも、感情が高ぶると我を忘れる女房の激しさも面白い。なんせ、この遊かりさんの一席では、鉄瓶を投げるのは、亭主ではなく女房の方なのだ。この感情的な女房、遊かりさんの任に合っている。
遊かりさんの高座は、マクラと本編では語り口のスピードが変わるようだ。本編が早口になることがある。このスピードが演目に合うと効果的だが、この「締め込み」の場合は、もう少しゆっくりでも良かったかも。
仲入り
仲入り中の影アナはあら馬さん。最後に「元アナウンサーでした」のひと言で会場を沸かせる。
三遊亭好の助「付き馬」
好の助師匠は、両国亭での真打披露興行以来、久々の拝見。高座の佇まいから落ち着きというか、貫録を感じさせる。
マクラでは遊かりさんとの思い出話。協会が違っても交流があるのは、お二人の人柄にもよるのだろう。出演者の中では最年少だけど、芸歴は一番長いと説明。なるほど、高座の落ち着きは芸歴の長さ由来なのか。
遊かりさんの前振りを受けて、今日はゲストなので下ネタはやりません、と宣言。わっーと沸かせておいて、その後、錦糸町の風俗店の話。ご自身の実体験をネタに笑いをとるという身体を張った芸風。しかし、その風俗のマクラから巧い流れで、本編は廓噺。
この噺は色々な型がある。この日の好の助師匠の一席は、私の好きな志ん朝師匠と同じ型。騙す男と付き馬役の妓夫の会話でリズミカルに噺が進む。この噺のお約束をどう聴かせてくれるのか、そんな風に楽しめた一席だった。
三遊亭遊かり「崇徳院」
いつもの様に、ゲストの高座受けのマクラから。ゲスト選び自慢しているように聞えるところは、遊かりさんの可愛らしさ。
まずはこの演目についての解説。コロナ禍の影響で、昨年から今年にかけて、この時期の季節の噺を掛けることが出来なかった。今日、久々に掛けます。思えば、コロナ禍が襲ってきた昨年の2月頃から、この一年はあっという間だったし、四季の行事が奪われた状況によって我々も季節感を奪われた一年だった。落語は、季節が重要な要素である芸能、それをコロナ禍によって演者も観客も痛感させられた一年だった。
私にとって「崇徳院」は春の噺という印象はなかった。舞台は上野のお山の清水観音堂へ参詣の帰りの茶屋。そこで、桜の枝から短冊が落ちる。そんな設定は桜の名所上野が舞台となれば、季節は当然春、春の噺とされている。
落語の世界では、恋煩いは純情な若者が罹る流行り病。この病に罹ると大概、誰にも言えず布団にこもる。幾代餅、紺屋高尾、搗屋無間、みかんに恋煩いした千両みかん。
みな、お約束の面白さ。遊かりさんは、このお約束のところはきっちりと。その後、お嬢様探しに奔走する熊さんの奮闘ぶりが聴かせどころの一席。
この熊さんは、最終日になって女房に言われて床屋と銭湯へ行くという型。間抜けぶりが強調される型だろう。こんな風に少し抜けてるけど悪戦苦闘する人物、遊かりさんが好んで演じる人物だと思う。そんなことを感じさせてくれる一席。
途中、楽屋からの話声が聞こえるアクシデントも上手く取り込み、遊雀師匠ばりの臨機応変さも見せた。終演後、遊かりさんに促されての好の助師匠への感謝の拍手に、私服姿で好の助師匠登場。お二人に高座から見送られて、観客は帰路についた。