落語日記 老舗の落語会で会場を沸かせた白酒師匠
第660回 落語研究会 6月23日 国立劇場小劇場
前回5月2日の第659回に引き続き参加できた。テレビ番組「落語研究会」の放送用素材を収録する目的でTBSが主催している老舗の落語会。今回で660回というのも凄いこと。
コロナ禍で制限のあった入場券も、今回から一般向けの販売も開始し、一席ずつ空席にする客席の制約も廃止されている。5月8日から5類相当に移行しているので、規制が緩和されて通常の運営に戻りつつあるようだ。ただし、常連の皆さんが元通りに戻っているかどうかは、分からない。この日も満席ではない。これは、寄席も同じ。
コロナ禍が治まってきたようだが、この国立劇場が建て替えで10月末をもって使えなくなる。まだ正式な発表はされていないようだが、会場を移して開催していくものと思われる。
と、日記を書いている途中で、感染が再び広がってきたようだ。まだまだ油断出来ない状況が続いている。
春風亭一花「雛鍔」
マクラでは、珍しく気持ちが高ぶっているような顔色で、いま浮足立っています、と始める。この落語研究会という大舞台で、二ツ目がマクラを振るというのは生意気ですが、どうか話させてください。何事かと客席も一花さんに注目すると、この会場に来る途中で四千円を拾いました。そんなエピソードだった。
道の途中にいた警察官に報告すると、預かれないので届けてくださいと言われたが、この会の出番も迫っているので困っていると、演芸評論家の長井さんが通りかかり、落語家であることやこの後に国立劇場に出演することを伝えくれて、その場を離れることが出来た。この高座の直前のリアルな出来事を、早速マクラにする一花さんの手腕に感心。
本編の演目は、NHK新人落語大賞に挑戦する際も掛けたように、一花さんご自身も自信がある得意な演目なのだろう。主催者もそれを知ってのネタ出しのオファーだったと思われる。私もこの噺を一花さんでは何度も聴いていて、好きになった噺でもある。
悪知恵の働く金坊が父親を手玉に取る場面は、ほのぼのとした滑稽噺の様相を見せる。しかし、私が好きな場面は、植木職人である父親と得意先の商家の大旦那との関係を描く場面だ。この出入りの職人と得意先の関係は、経済的な上下関係だけではない、人と人との信頼関係が存在することが描かれている。NHK新人落語大賞のときは、時間の関係かカットされていた。でも、ここが一花さんの雛鍔の見せ場でもある。この日はカットせずに、きっちりと聴かせてくれた。
三遊亭兼好「犬の目」
落語家の符丁で「逃げ噺」と呼ばれる噺があるという話題から始めるマクラ。小噺に少し毛の生えた程度の軽い演目の事を「逃げ噺」と呼んでいる。寄席の初席のような出演時間の短いときに掛ける噺、すぐに終わる短い噺、そんな演目のこと。これから演る噺も逃げ噺なんですが、そんな前置きで本編が始まる。
ところが前置きに反して、逃げ噺などと呼んで言訳するようなレベルではなく、オリジナルなクスグリたっぷりで、笑いどころの多い中編の滑稽噺だったのだ。
元々は逃げ噺と呼ばれるように短く軽い噺であっても、兼好師匠の手に掛かると充実で爆笑の一席となる。逃げ噺宣言は言訳ではなく、そんな噺でも面白くするという兼好師匠の自信の現れに違いない。
命に係わる仕事である医者の緊張感は、我々の商売とは全く違うもの、ところが落語に登場する医者は、まったく緊張感が無い。そんな話から始まる。本編に登場する目医者は、まさにそんな医者。兼好師匠は、この出鱈目な医者の診療風景を活き活きと楽しそうに演じてみせる。
この医者は、駄洒落が大好き。思いついた自分の駄洒落を、診察の合間に逐一メモして喜んでいる。この医者は目医者なので、目がつく言葉の駄洒落を思いつくのだが、この駄洒落の馬鹿々々しさが突き抜けていて爆笑を呼ぶ。
最後の登場する目玉を食べたのは白犬で、名前が忠四郎と落語ファンを喜ばせる。
柳家小里ん「五人廻し」
この会は出演者全員がネタ出し。なので、皆さんマクラは本編に由来する話から始められている。と言うことで、小里ん師匠は吉原の話から。あと5年の後であれば、赤線廃止前に間に合ったのに、残念。昔の吉原には行っていないが、落語家になって先輩たちから実際の吉原の話が聞けたという世代。
今は、廃止前の吉原を知っている人がいなくなった。誰も事実を知らないので、かえって演りやすい。なるほど感心させるマクラだった。
本編は、この噺の手本となるような基本の型。登場人物も、江戸っ子、軍人、田舎者、尊君と続き、最後に登場したのが喜瀬川花魁の傍らにいる田舎者のお大尽。このお大尽を入れて、まさに五人の廻しとなる。
下げも、お大尽が振った四人分の玉代四円を支払い、喜瀬川花魁が私にも一円下さい、この一円を返すから帰ってください、との古典そのもの。この下げが聴けて嬉しかった。特に前半の四人の嘆きや嫌味が古典の風情があって、その雰囲気によって、この古典的な下げがより効果的に効いてくる。
以前この落語研究会で聴いた喜多八師匠のこの演目が強烈な一席だったので、私にとっては爆笑の印象が強い演目だったが、小里ん師匠のようなしみじみとした風情を味わう「五人廻し」も味わい深い。
仲入
柳家蝠丸「江ノ島の風」
マクラは、この日のネタ出しが珍しい噺であることから、寄席の演目を記録するネタ帳の話。寄席の楽屋で前座がネタ帳を書くのであるが、経験の浅い前座なので、書き間違うことがよくある。若手で人気の某真打は、前座の頃によく書き間違いをしていた。彼が前座のときは、どんな風に間違うのかが楽しみだった。名前は出されなかったが、私も含め会場の皆さん、どなたかは想像がついている。
以前、落語マニアのご贔屓さんからのリクエストが、珍しい噺を演ってください。そんな切っ掛けで、以前に桂藤兵衛師匠から習った噺がこの日のネタ出しの演目。歴史あるこの会でも、この日が初演となるくらい珍しい噺。上方落語の「須磨の浦風」が江戸落語に移されたもののようだ。それが蝠丸師匠の一席は江戸の風情が漂う、この日のような暑い気候にピッタリの珍品だった。
筋書きは、暑い夏の日々を殿様に涼しく過ごしてもらおうと出入りの商人の芋問屋が、江ノ島の海風を長持20個に詰めて江戸まで持ち帰るというもの。こんな軽くて馬鹿々々しい噺は、飄々とした蝠丸師匠にぴったり。飄々さの根底にある本格派の技量、蝠丸師匠の魅力全開の高座だった。
桃月庵白酒「お化け長屋」
この日の主任は白酒師匠。落語会にしては大箱の会場だが、そんな大舞台と感じさせない堂々とした高座上がり。客席の期待を感じる満場の拍手で迎えられる。
まずは、この国立劇場の建て替え中、この落語研究会も会場を替えて続けられるらしいとの会場をめぐる話。この国立劇場は、皇居と最高裁判所に挟まれた立派な場所にあり、立派すぎて落語には相応しくないとお得意の自虐話。
そこから、何でも立地は大切。ここで突然登場した地名が、なぜか池袋要町。そこは池袋に近く、落語家が多く住んでいる。この要町の話から、そこから離れて白酒師匠が前座から二ツ目にかけて住んでいたアパートの思い出話。この四畳半一間で、家賃16000円の部屋。このアパートには4部屋あり、自分以外は皆外国人。このアパート、どの部屋も同じ鍵で玄関が開くというビックリな実話。結構いい加減な大家だったらしい。どんなエピソードも笑いに繋がり、マクラだけでも楽しい白酒師匠。
本編に繋がるマクラが、長屋は埋まりすぎても良くない、大家が威張るからという話。なるほど、この噺の根底にある長屋の住民が空き家を埋めさせたくないことの動機が強く印象付けられる。
本編に入ると、空き店の借り手たちを脅かす杢兵衛さんが、芝居っ気たっぷりに怪談を語る奇妙な口調が可笑しい。林家彦六師の物真似のような、震える声で驚かす。
二人目の借り手は、杢兵衛さんの怪談にもいちいち突っ込む。江戸っ子野郎の威勢の良さが、これも現実を突き抜けている表現なので、爆笑が引き出されてしまうのだ。
後半の場面は、この江戸っ子野郎が脅しに屈せず引っ越してくるところからの騒動が描かれている。この後半部分を演らないで切ってしまう演者が多いので、この日は後半もあるフルバージョンを白酒師匠で聴けるという幸運の日となった。
実は私、この噺の後半の幽霊騒動の場面は、初見なのだ。今まで、この江戸っ子野郎が財布を持っていくところで下げとなるパターンしか聴いたことがない。なので、本来の下げも、この日初めて聴く。
この後半の場面で、この江戸っ子野郎が実は気が小さい臆病者であることが分かる幽霊騒動が描かれる。真相を知っている長屋の二人が、引っ越してきた江戸っ子野郎を偽物幽霊で脅かして追い出そうと企てる。協力者は、与太郎と糊屋の婆さん。そして、後半の見どころがこの二人の演じる間抜けな偽幽霊だ。
ここは「不動坊」の偽物幽霊騒動と似ている場面。馬鹿々々しい田舎芝居の幽霊なのに、結局は江戸っ子野郎は怖がって逃げ出してしまい、作戦は大成功。前半で粋がって強気だった江戸っ子野郎が、間抜けな幽霊を怖がるところの落差が笑いを増加させる。
糊屋の婆さんは、青海苔を緑の髪の代わりにした幽霊役。年齢は違うが同じ化け物という白酒師匠の感想、これが私的ツボだった。
見てきたように幽霊の噂話を語り、間抜けな演技の幽霊を見せてくれる。これらは、まさに白酒師匠の表現力の凄技からこそ爆笑が起きる。言葉だけではない表現の破壊力。筋書きだけでは、面白味が少ない噺。あらためて白酒師匠の凄みを感じた一席だった。