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落語日記 時短営業下での寄席の日常

末廣亭 3月上席夜の部 三遊亭遊雀主任興行
3月5日
先日の宮治師匠のお披露目に続いて、芸協の定席にお邪魔してきた。今回は、ファンである遊雀師匠の主任興行。恒例となっている遊雀師匠の末廣亭の主任興行だが、コロナ禍の影響で終演時間が8時となり、主任の持ち時間も20分と、かなり短縮されての開催となった。
5時すぎに途中入場。観客数は数えられるくらい。そこにはコロナ禍の外の日常とは隔絶された、ノンビリとしていて静かな空間がある。流れる時間もゆったりとしているようだ。同じ寄席でも、宮治師匠のお披露目とは、まったく異なる空間であり、あのときの熱狂とは別の日常がそこにある。お披露目がハレなら、ここはケの場。こんな空間に居て、ゆったりと流れる時間に身を任せるという贅沢さを味わうのも、寄席の楽しみなのだ。

この日のコロナ対策は、テケツで検温と手指消毒、マスク必着、市松模様の座席。最前列は市松模様の制限あるが座れるようなのに、誰も座っていなかった。
普段は桟敷席の後ろが戸板で仕切られ、通路が縁側のような断熱効果を発揮している。しかし、コロナ禍によって換気のためにこの戸板も開けられ、窓も少し隙間が開いている。暖房は入っているが、隙間風が吹き込んでいて、かなり寒い。場所によっては、コートを脱げないくらいだ。でも、換気のためには我慢。
飛沫飛散防止対策として、高座前に透明なアクリル板が設置されている。これを寄席で見るのは初めて。高座と客席が近い末廣亭ならではの工夫。このアクリル板による観づらさは無かった。

途中入場

ビリ&ブッチィー クラウンショー
まねき猫先生の代演。道化師コンビのパフォーマンス。お二人はもちろん、道化師のショー自体、寄席で拝見するのは初めて。音楽に合わせてパントマイムでコントを演じている。子供がいたら大喜びしそうな内容だが、寄席の空気にはなかなか馴染めないかも。

立川談之助「選挙管理委員会からのお知らせ」
立川流のゲスト枠で、この日は談之助師匠。ぺー先生もびっくりのピンクのサテンの着物。外様なのを意識されてか、出で立ちから外連味たっぷり。
談志師の選挙をめぐる漫談。落語家が政治家になった顛末を面白可笑しく。応援演説に先代三平師が来られた話から、当代三平師匠イジリ。芸協の芝居なので、ちょっと違和感。

三遊亭遊史郎「辰巳の辻占」
フワフワした芸風が楽しい遊史郎師匠、遊雀師匠の兄弟弟子として主任をアシスト。
遊史郎師匠のフワフワした感じが若旦那の源ちゃんの性格にピッタリ。遊び人でもなく、大人でもない、純情すぎる若者が手玉に取られる悲劇が喜劇となる楽しさ。岡場所の飯盛女のお玉の強かさと対象的。お玉のイイ加減さも遊史郎師匠の芸風にピッタリ。短い時間でも、楽しい充実の一席。

やなぎ南玉 曲独楽
高座ではいつも姿勢良く、きれいな佇まいが素敵な南玉先生。淡々と進める見事な曲芸は、寄席芸人らしさがあふれている。

神田紅「お富与三郎~出会い」
講談は紅先生。この日の出し物は連続物の初回。講談は連続物が特徴、切れ場を作って「噺はここからが面白くなるのですが、丁度お時間となりました。この続きはまた明日」と噺を切る。こうして翌日も観客を呼ぶという昔ながらの手法。これを味わえるのも寄席ならでは。
運命の出会いといえるシーンでは、ベートーベンの運命の曲を口でジャジャジャジャーン。本寸法の語り口に挟まれる楽しい工夫の紅先生。

三遊亭遊三「高砂や」
仲入りの出番は、重鎮の登場。遊雀師匠の大師匠。昭和13年生まれの御年83歳。お元気な様子で嬉しくなる。
「高砂やこの浦舟に帆を上げて」の後の歌詞を度忘れされるというハプニング。楽屋から助け舟が出て、その後はすらすら歌詞が出てきて、楽屋客席一同ほっとする。これがまさに、この噺の下げと同じような状況。下げが一層可笑しくなるという効果。こんなハプニングも寄席の楽しさ。

仲入り

笑福亭羽光「ん廻し」
くいつきに二ツ目が上がるのは珍しい。もうすぐ真打ということでの登板か。羽光さんの公式サイトを拝見すると、「お笑い芸人、漫画原作者での挫折を経て、34才で中年前座になった笑福亭羽光が、2021年真打に昇進することになりました。」と経歴が書かれている。経歴をみると、なかなかの苦労人。
平成19年に鶴光師匠に弟子入りして、14年目の今年5月上席より真打に昇進することが決まっている。鶴光師匠と同じく芸協に所属して、江戸落語の本拠地において上方落語で勝負するという困難さを乗り越えて、昨年のNHK新人落語大賞を受賞するまでの活躍ぶりを見せている。人気のユニット「成金」のメンバーでもある。
今や人気者の羽光さんだが、芸協の寄席の機会が少ない私は、拝見するのはこの日が初めて。仲入りがあけて、羽光さんが語りだすと、明らかに寄席の空気が変わっていった。仲入り前の古典的な寄席の空気から、明るく華やかな新作の空気に変わったような感じなのだ。
マクラでは、尾久で開催している中華料理屋さんでの三遊亭小笑さんとの二人会の思い出話。ご主人が秋田県出身で、同じ秋田出身の落語家を呼びたいと、柳家さん若(当時)さんを呼んだ。我々しか観ていなかったお客さんが、ついに本物の落語を見た瞬間であって、そこで自分たちが偽物だとバレた。そんな自虐ネタ。
上方落語らしく、見台と膝かくしが置かれ、小拍子の音が小気味よい。噺の筋書き設定は古典の噺のとおりなのだが、「ん」のつく言葉が奇想天外、新作と呼んでも良い内容となっている。その工夫がオリジナルで、羽光さんスペシャルな一席だった。

ねづっち 漫談
漫談でマクラと呼んでいいのかどうか、まずは遊雀師匠との旅の思い出話。これがなかなか面白い。遊雀師匠と一緒に伊勢へ出掛けたときの話。移動の近鉄特急では遊雀師匠の隣に座っていたのだが、遊雀師匠は車窓をずっと眺めていて、ほとんど会話が無かった。隣のボックスでは芸人仲間のワイワイと楽しそうな会話が弾んでいるのに、こちらはほぼ会話が無い。乗り鉄である遊雀師匠らしいエピソード。
ねずっちの寄席での一人漫談は初めて聴く。ネタはほのぼの系。最後に得意の謎かけ、客席からお題をもらう。「大谷翔平」「年度末」と遠慮がちに二題。どちらも素早く、整いました。

三遊亭遊馬「近日息子」
久しぶりに拝見。痩せられていたようだったが、だいぶ元に戻ってふっくらとされた感じ。相変わらず、声は大きく、元気で口跡は鮮やか。端正で本寸法なところは私好み。
与太郎の粗忽具合がちょうど良い。噺の間に挟まったクスグリ、日本人のお悔みの口上がゴニョゴニョしている様子、その真似が可笑しい。
爆笑もそこそこに、こちらも、遊雀師匠の兄弟弟子として、主任を盛り上げるような上手い繋ぎの一席となった。

春風亭柳太郎「カレー屋」
柳太郎師匠も初めて拝見。元々は春風亭柳昇師のお弟子さんで、今は昇太門下。なので新作派の落語家。
題材は、同級生が開いたカレー屋に行った男の話。不思議なメニューなどが登場。食事中にテレビの取材が入り、放送されたのを観たら「グルメが選ぶ二度と行かないこんな店」だった。不思議な噺だった。

丸一小助・小時 太神楽曲芸
太神楽界のジャイアンとスネ夫コンビ、私は勝手にそう名付けている。正統派の太神楽曲芸師。お馴染みの曲芸も寄席らしさ。

三遊亭遊雀「粗忽長屋」
時短営業のため、主任でも持ち時間が短く、大ネタは掛けられないので、いわゆるトリネタではない噺で勝負する10日間にする、という遊雀師匠の意気込みがネットに書かれていた。そんな趣旨のマクラ。主任の出番でないときに寄席で掛けるネタを、まったり、ノンビリと聴かせてくれるそうだ。
その趣旨どおりに、意気込みや力みがなく、全体に脱力感が漂う、ゆるさあふれる高座となった。遊雀師匠曰く「解き放たれた」高座なのだ。ただ、ゆるさのためか、お声が小さかったのが少し残念。

まずは、好きな小噺二題。古典落語のマクラでは、本編の前振りとして語られる定番の短い小噺がある。遊雀師匠は、これら定番の小品小噺が大好きなようで、これら小品小噺について時々話題にする。小噺を掛ける前か後で、私はこの小噺が大好き、と嬉しそうに語るのだ。
この日もお馴染みの小噺を披露したあと、これらの小噺は本当は難しいもの、私はこの小噺が上手くなりたい、そんな思いを語られた。何度も聴いているのでオチも分かっている、そんな小噺でも可笑しく聴かせるのが落語家の技量なのだというのが遊雀師匠の趣旨だと思う。短い噺、何度も聴いている噺でも、工夫や語り口で笑いを呼ぶことができるということなのだろう。これは、小噺に限ったことではなく、落語の本質に迫った芸談だと思う。遊雀師匠は、ときおり何気ないマクラの話の中で、切れ味鋭い刃物のような芸談をチラッと聴かせてくれるのだ。
小品小噺の一つは、床屋の看板に描かれている海老が上手く書かれているので、それを見ている男二人が、この海老は生きてる、いや死んでいると論争しているところに、いや、患っているという男が登場。なぜなら、床に付いてるから。馬鹿々々しいけど楽しい。

本編は、粗忽者二人が見せる大騒動をゆるくノンビリと描く。気が短い方の粗忽者はいささか乱暴者ではあるのだが、周囲の人たちも優しい目線で見守るような雰囲気。粗忽な勘違いも、この男ならあり得ると思わせ、不自然さがなくトントンと噺が進んでいく。
いつも遊雀マニアポイントで楽しませてくれるが、この日の得意技はぶっ込みのみで、それも遊馬師匠の「近日息子」を入れたのみ。遊雀マニアとしてはちょっと寂しいところではある。

緊急事態宣言下でも、こんな日常があり、それぞれの暮らしが続いていることを感じさせてくれた寄席。いつもの空間がそこに在る喜びに浸りながら、家路についた。

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