落語日記 東京でも人気の吉坊師匠が登場
木馬亭ツキイチ上方落語会 5月公演
5月23日 木馬亭
木馬亭の自主企画公演で、今年の1月から始まり毎月開催されている寄席形式の上方落語の会。4月の二葉さん主任公演に引き続き、今月も参加できた。
この日の主任は、東京でもお馴染みで人気の桂吉坊師匠。人気者の登場に客席も埋まっている。1月から始まって5ヶ月目。私のように楽しみに通う常連さんも増えてきたようだし、落語仲間の顔見知りも来ていて、この会が徐々に浸透しつつあることを感じる。
三遊亭楽太「小町」
前回に引き続き、前座は楽太さん。この会の前座としてレギュラー化してきている。
今回も、兵庫県姫路市出身なのに江戸落語という裏切り者ネタを話されていたが、この日は上方の出演者の皆さんからはいじってもらえなかった。本編は「道灌」の前半部分、あまり聴かない珍しい前座噺。
月亭遊真(ゆうま)「紙入れ」見台なし
月亭遊方師匠の弟子、初めて拝見。八方師匠の孫弟子にあたり、広くは米朝一門ということになる。
マクラは、大師匠である八方師匠の寿司屋でのエピソードを紹介。実録風に語って面白く聴かせるところは、さすが上方落語。内容も、本編を感じさせる男女の仲の話。
江戸落語でもよく聴かれる、この噺のマクラでの定番の小噺「町内の間男騒動」を丁寧に語る。お馴染みな小噺なのに、大きな笑いを取り、切り込み隊長として大いに成果を挙げる。
本編は、それぞれのキャラが漫画チックに誇張されて、江戸落語の「紙入れ」とひと味違う爆笑の一編だった。女将が舌なめずりしたりして、かなり誇張された色気。まるで、新吉という獲物を捕獲した女郎蜘蛛だ。
翌朝に店を訪ねた新吉に対し、心配しないようにと話す女将が新吉だけに見えるように、懐から紙入れに見立てた手拭を引き出す仕草を見せる。これには新鮮な驚き。女将が自分の懐を叩いて、ここにあると示す仕草以外で、こんな演出を見たのは初めて。さすが、新喜劇が人気の上方らしい芝居っぽい演出だ。
桂雀太「住吉駕籠」見台あり
桂雀三郎師匠の弟子、この会で拝見するのは、1月の新春公演以来二度目。最近は東京でも会を開催しているようなので、お馴染みさんも多いようだ。
この会に通い出して感じるのが、上方落語家の皆さんが聴かせてくれるマクラは、笑いの多いよく出来た漫談になっていることだ。毎回、出演者の皆さんがマクラで、競うように笑いの多い実話を披露してくれる。その中でも、雀太師匠のマクラは、毎回爆笑を呼んで印象深い。
この日は、今と昔の旅の交通手段の話から、格安航空会社のピーチに初めて乗ったときの体験談。大阪発なので伊丹空港に行ったら関空発と言われ、慌てて伊丹空港から関空までタクシーで移動。タクシー代で伊丹空港からの通常便に充分乗れたというお話。
そんなタクシーにまつわる逸話から、昔のタクシーであった辻駕籠の噺へ。元々上方落語の「住吉駕籠」が江戸へ移植され、現在は「蜘蛛駕籠」としてお馴染みの演目。その元祖上方版。くもすけ、くもかごと呼ばれた名前の由来を丁寧に解説するところは、江戸版と変わらない。
間抜けな新入り駕籠かきと、ベテラン駕籠かきのデコボココンビの漫才のような遣り取りが爆笑を呼ぶ。「へぇかご」は上方弁では、まさに「屁を嗅ごう」と聞こえて可笑しい。
雀太師匠のこの噺の見せ場は三つ、茶屋の親爺を乗せようとした場面、酔っ払いが乗ろうとした場面、そして下げに繋がる堂島の米相場師の二人連れを乗せた場面。中でも、一番笑いが多く可笑しかったのが、酔っ払いの客と駕籠かきとの遣り取りだ。酔っ払いの話が何度もループしてしまい、真面目に応対している駕籠かきとの対比が抜群に可笑しい。酔っ払いのくどさなどは、江戸版ではここまではない。上方版ならではの可笑しさ爆発の一席だった。
仲入り
桂三語「青い瞳をした会長さん」見台あり
六代文枝師匠の弟子、初めて拝見。経歴を拝見すると今年14年目、江戸落語だともうすぐ真打というところか。若々しくで元気一杯の高座だ。
マクラは、東京に来た感想から。大阪人は、大阪で言うとどこどこと、例えるのが好き。久々に来た浅草は、大阪で言うと新世界。子供の頃は行ってはいけないと教えられてきた場所。私も子供の頃、阿倍野に住んでいたので、よく分かる。浅草のお客さんにはピンと来なかったかも。
コロナ禍が明けてきて、巷では外国人観光客が多いという話から本編へ。この新作落語は師匠の文枝作。しっかり自分の噺とされている。
外国人の住民が増えてきた町が舞台。町会長がフィンランド人で、会長の名前を尋ねられた女房の答えが「知らんねん」、実は名前が「シュランネン」。大阪弁の「~ねん」が何度もダブって、可笑しさ倍増。こんな駄洒落、意外と好きかも。裏に引っ越してきたのがフランス人で、引っ越しの挨拶にやって来たので大慌て。
国際化が進んでいるとは言っても、我々の日常はこの落語の世界とほとんど同じで変わっていない。この噺は、そんな外国人住民がいる日常で起こりうる騒動を、面白可笑しく風刺しているのだ。
昔から文枝師匠の新作は好きで聴いてきた。時流を捉えて極端化したことによる混乱や反応によって笑いを生み出す手法は、文枝師匠のお得意の技。この噺にも同様の手法が活かされている。
この一席は、明るく軽妙に騒動を描く三語さんの芸風が活かされている高座だった。
桂吉坊「化け物使い」見台あり
吉坊師匠は、東京でも人気があり知名度の高い上方落語家だ。私も、以前、一之輔師匠との二人会で拝見したことがある。桂吉朝師の弟子、米朝師の孫弟子にあたる。
主任だけに時間をたっぷり使い、マクラも長め。語り始めから、本編の下げまで、まさに一気呵成で、ひとときも止まっていないスピード感を持って語り終える。噺のジェットコースターに乗っているようだ。これが吉坊流落語だ、と初見の東京の落語ファンに見せつけるかのようだ。
マクラも、次から次から違う話題が繰り出されてくる。まずは、大阪にある国立文楽劇場の話題から。文楽公演のないときは貸席になっていて、日本舞踊の発表会がよく開催されていた。吉坊師匠が入門当時、師匠の吉朝師はその発表会で拍子木やツケ打ちの仕事をしていた。入門当時、高校生だった自分も顔を出して、楽屋のお菓子や弁当をもらったりしたとの思い出話。そこから、米朝師宅での内弟子修行の話、NHKが製作した米朝師の密着ドキュメンタリーの話など、そのエピソードは今だから笑えるというものばかり。米朝師の楽屋弁当を食べている風景の描写だけで爆笑を呼ぶ。
この日のマクラ漫談の私的順位は、吉坊師匠が一位、雀太師匠が二位だ。
そんな長い思い出マクラから本編へ。まずは、口入屋の場面からかなり丁寧に描かれる。競うように職探しする人たちの様子が、奉公人の苦労を感じさせる下地となっているように感じる。人使いの荒い雇い主は、ここでは佐々木のご隠居。このご隠居の無茶振りは、職探しの常連たちには有名な話。
そんな噺の前段、前置きがあるので、後半の佐々木のご隠居の無理難題がなるほどと効いてくる。初めての奉公人と接する佐々木のご隠居は、穏やかな表情だ。ところが、奉公人の名前を訊かず、「奉公人はみな権助と呼んでいる、お前は二十何代目の権助だ」と決めつける。この笑えるいきなりの無茶が、ご隠居の強引な性格を効果的に表している。また同時に、今まで何人も奉公してきたが勤まらなかった事実も表している。この一言は、強烈な笑いの爆弾だった。
化け物屋敷に引っ越す前に、この権助がご隠居の人使いについて諭す場面がある。ようは、無駄な指図が多いという話。この権助の話を聞き、反論は無かったが、妙に神妙になっていたご隠居がそこには見えた。この反論できない理屈を淡々と語る権助。ここでは責めるようではなく、権助のご隠居に対する思いやりを感じさせる説教なのだ。この噺の中の唯一、人情噺の場面。
後半の化け物屋敷で、ご隠居とこき使われる様々な化け物の遣り取りは、爆笑の連続。あとは、下げに至るまで、滑稽噺として好きに笑っていられる。そんな状況で、下げまで突っ走る。そんな一席。
前半部分の思い出話と後半部分の落語、そんな構成の吉坊ショーを見せてくれた。