落語日記 節目の回となった独演会を成功させた三遊亭遊かりさん
三遊亭遊かり独演会vol.10スペシャル 三代親子会
3月27日 江戸東京博物館 大ホール
遊かりさん自ら主催して、この江戸東京博物館の小ホールで始めた独演会。その記念すべき第1回は2019年9月15日。その後、翌年から始まったコロナ禍によって、会場の使用中止などの危機にも見舞われながらも、感染状況に配慮しながら、観客の人数制限や収録しての配信など、様々な工夫でこの危機を乗り越えてきた。この会を振り返ると、コロナ禍の影響がなかったのは第2回まで。第3回から今回の第10回までのほとんどの回がコロナ禍に在ったのだ。
開催を自粛する落語会が相次ぐ状況のなか、この独演会も当初に予定された日程どおりには開催できなかったことだろう。また、大手を振って満席を目指す集客を図ることも出来なかったはず。まさに、コロナ禍と闘い続け、悪戦苦闘を重ねてきたのがこの独演会の歴史でもある。なので、第10回の記念の回を迎えたこの日は、遊かりさんにとっては感慨深い一日だったはずだ。
この会のコンセプトは、遊かりさんが尊敬してる先輩を毎回ゲストに迎え、その胸を借りて腕を磨こうというもの。そのゲストは第1回の遊雀師匠から始まり、以後、若手新進の真打を迎えてきた。そして、芸歴10周年となる本年、独演会も第10回という節目を迎える。遊かりさんはこの節目の回を記念の会とすべく、いつもの小ホールではなく、収容人数の多い大ホールを会場にして、ゲストに大師匠の小遊三師匠と師匠の遊雀師匠を招いて、大々的に開催することに挑戦した。
師弟が競演する親子会はよく聞くが、大師匠と孫弟子が参加する三代親子会を開催出来る一門は、そうそうない。また、出来る環境にあっても実施される機会はなかなかない。特に今回のように、小遊三師匠と遊雀師匠という人気者の二人が同時にゲスト出演するブッキングは、スケジュール調整だけでも大変だったと思う。コロナ禍のおかげで、人気者の師匠たちのスケジュールも空いていた、とマクラで冗談めかしておっしゃる遊かりさん。落語家らしい照れ隠しのようにも聞こえる。しかし、この回の企画は1年前から準備されていたそうだ。これだけの規模の会を企画・運営された遊かりさんの苦労はいかばかりのものか。まさに、プロデューサーとしての手腕も大したものだ。
また、これだけの規模の会をつつがなく進行させるには、前座仕事やお囃子さんの他にも多くの裏方のスタッフが必要なはず。この日も受付をはじめ、多くの方がお手伝いされていた。これも、遊かりさんの人徳のなせる業だろう。
この江戸東京博物館がホームグランドの独演会だが、この江戸東京博物館が大規模改修のため、4月からしばらく休館となる。なので、次回からは会場を移しての開催。この日で江戸東京博物館とはしばしのお別れ。
春風亭かけ橋「一目上がり」
元落語協会の二ツ目柳家小かじさん。芸協の柳橋門下に移籍して前座から再出発している苦労人。なので、楽屋働きも芸も並みの前座とは違う。そんなベテランの出来る前座なので、頼れる前座として遊かりさんが起用されたに違いない。
マクラから、この度の二ツ目昇進も遊かり姐さんのおかげです、から始まって遊かり姐さんのおかげを何度も繰り返す。そして演目自体も、芸歴10周年と独演会第10回を祝うお目出度い噺を掛けるという卒のなさ。さすが、芸歴の長さは伊達ではない。
三遊亭遊かり「よめとてちん」
主催者側の皆さんの熱意の塊で開催にこぎ着けたこの日。この日も遊かりファンが大勢駆けつけ、主催者側の熱意が伝わったかのように、熱気を感じる客席。そんな客席の熱い視線と喝采を浴びながら、本日の主役登場。
まずはマクラでは、この記念の回を決めた経緯を丁寧に説明。いかにしたら観客の皆さんに喜んでもらえるか、を主眼に企画して準備されてきたのはもちろんのこと、ゲストが大師匠と師匠であるということの重圧が凄かったようだ。スケジュールを押さえてもらうところから、当日の接待に漏れがないようにという気遣い。いかに大変だったかを語る遊かりさんは熱い。観客はそんな苦労話も楽しんで聴いている。ご自身の経験をあけっぴろげに語ることは、遊かりさんの芸風となっている気がする。
自分にプレッシャーをかけるために着物も新調することにした。と言っても、祖母が見合い用にと昔に誂えてくれたが仕付けも取らずに箪笥にしまっていた着物があり、これを下すことにしたとのこと。見合いの席ではなく、落語家となった孫が芸歴10周年の記念の会で高座着として着ることになろうとは、着物を作ってくれたお祖母様も、想像だにしなかったことだろう。
大師匠と師匠の話題で、入門当時の思い出話を語ってくれた。遊雀師匠と二人で大師匠である小遊三師匠宅を初めて訪問したときの思い出。芸名を付けてもらうことをお願いに大師匠宅へ伺った。このときは、遊かりさんの緊張ぶりも凄かったようだが、遊雀師匠もかなり緊張されていたそうだ。初々しい師弟お二人の姿が浮かび、何とも微笑ましいエピソードだった。
最近は、女流落語家としてマスコミの取材が多くなってきた。また、女流の後輩も増えてきた。そんな話題から、ご自身の前座修行の思い出話へ。
前座修行に入るとき、遊雀師匠から言われたのが「前座修行は清く正しく美しく」。これは、男社会の楽屋に女性が入るのだから、色恋沙汰を起こしてはならないということを諭されたということらしい。自分も覚悟を決めて修行に専念したと。また、今思うのは、師匠が年かさの自分をよく弟子にとってくれたものと、感謝しかないという思いも吐露された。
私もそうだが、観客側には女流落語家の大変さがなかなか伝わりにくい。遊かりさんの思い出話から、古典芸能である落語界におけるジェンダー問題が、そう簡単に変わっていくものではないことが伝わってくる。
最近の女流の後輩たちは、結婚して子供が出来てから入門してくる。そんな後輩たちは、厳しい先輩たちの小言など何てことはないと言う。我々には姐さんが知らない怖い敵がいる。それは姑という存在。この姑の怖さに比べたら師匠の小言など平気で耐えられるそうだ。そんな話から、本編も嫁と姑の対立が題材の噺へ。上手い導入のマクラだ。
本編は「ちりとてちん」を嫁と姑ヴァージョンにした改作した遊かりスペシャルの一席。この噺は、昨年の北とぴあ若手落語家競演会で奨励賞を受賞した演目。この記念の回に掛けるということは、かなりの自信作とみた。ちなみに、この演目名「よめとてちん」は、春風亭昇也さんが名付けたそうだ。
義母と対する長男の嫁の松子は、決して褒めない嫌味ばかり言う女性、対照的に次男の嫁の竹子は、褒めまくりヨイショばかりの言う女性と、本家の噺の設定を上手く活用している。本家の「ちりとてちん」を聴いたことがあれば、より楽しめる造りになっている。そんな得意の演目で、まずは手堅く会場を沸かせた遊かりさんだった。
三遊亭小遊三「置泥」
人気者の登場に、客席の熱気も一気に高まる。私も、小遊三師匠の高座を拝見するのは久し振り。和やかな語り口のマクラは、テレビで拝見するのと同じ。
この日は大相撲春場所の千秋楽、高安と若隆景の優勝争いで盛り上がっている。琴ノ若が勝っていれば巴戦もあり得るという状況。千秋楽は本来、5時半には終わっているはずだが、優勝決定戦や巴戦になると6時を過ぎることもあり得る。そうなると、笑点にとっては大変困る。ここから笑点の話題に結び付け、客席を一段と引き付ける。以前に巴戦になったとき、当時の笑点で小遊三師匠が落語を披露していたそうだ。しかし、相撲中継のため視聴率が悪かったそうで、当時の司会者の円楽師匠に小遊三師匠の落語の責任だと怒られた。メンバーならではの笑点ネタだが、切り口がひと味違う小遊三師匠。同時進行の大相撲の話題と過去の笑点エピソードを上手くリンクさせて、一気に客席を掴んだところはさすが。
落語初心者の観客に向けても、主任をトリと呼ぶ謂れを解説されたりと、サービス精神旺盛なところもみせた。
ここで、笑点の番組作りの裏話。大喜利の出演者は、長屋の住民という設定、それぞれが落語のキャラになっている。そうおっしゃる小遊三師匠の笑点でのキャラは、落語に当てはめると、助平で小悪党な泥棒キャラだ。なるほど、出演者の個性を活かしたキャラ設定が笑点の人気の理由のひとつ。
たっぷりのマクラで時間も過ぎて、落語を演らないと、といよいよ本編。そして始まった噺が、小遊三師匠の笑点キャラに合わせたかのように泥棒の噺。
落語で残された時間は短くなった。そんな寄席サイズの一席だったが、シンプルだけど凝縮された濃い内容という印象で、時間の短さを感じさせないもの。余分なものをそぎ落として、噺の本筋の可笑しさだけを残している。貧乏住民のいい加減さや投げやり感も可笑しいが、泥棒の人の好さが小遊三師匠らしさがにじみ出ていて、真面目に働けと説教する場面は秀逸。さすがの一席で記念の会を大いに盛り上げた小遊三師匠だった。
仲入り
三遊亭遊雀「熊の皮」
この日はクイツキの出番で、弟子の会の脇役に徹する遊雀師匠。前半の皆さんの熱演で時間が押しているようで、15分くらいで下りる。弟子の会全体の構成を考慮して、ご自身の高座は短く切り上げられた。そんな気遣いが素敵な遊雀師匠だが、やはり弟子の会の成功を第一に考えているようで、師匠も会の成否を心配しているのは弟子と同じなんだろうなあと感じさせられた。
マクラで、まずは遊かりさんに対する一言。遊かりは所帯を持つことに夢を持っている。
所帯の辛さが、遊かりには分かっていない。落語の世界は、亭主より女房の方が偉い。自分の落語はノンフィクションなんです。この愚痴とも泣き言ともとれる師匠のお言葉に、会場にはじわじわと可笑しさが広がる。そして本編も、かかあ天下の噺。
時間短縮のためか、本編は途中の医者にお礼に行かせる場面からいきなり始まる。この唐突な入りに落語ファンは大喜び。
甚兵衛さんを暖かく見守る医者のにこやかな表情。これは落語世界の中でも甚兵衛キャラを愛してやまない遊雀師匠のご自身の表情だ。遊雀師匠の甚兵衛さんラブが伝わる。
落語世界の甚兵衛さんは、一切の忖度をしない男。思っていることをそのまま言葉にする。究極の正直者だ。人柄は悪くない好人物なのだが、会話から一切の忖度を無くすことの可笑しさを体現している。
そして、この甚兵衛さん、与太郎ほどの粗忽者ではないが、しっかり者の女房の尻に敷かれている。このタイプの甚兵衛さんは、火焔太鼓や鮑のしでも大活躍。この恐妻家の甚兵衛さんのキャラと、マクラでの遊雀師匠の自分の落語はノンフェクションの言葉が重なり、可笑しさ倍増。短い時間でも、後半に向けて一気に会場を暖めた遊雀師匠だった。
桂小すみ 音曲
小すみ師匠を拝見するのは、おそらく今回が二度目。芸協の寄席でもなかなか遭遇する機会がなかった。昨年の国立演芸場の花形演芸大賞を受賞という実力とともに、芸協の色物としても人気者の小すみ師匠。今回、色物のゲストも満を持しての顔付けは、遊かりさんのグッドジョブ。
お伊勢参りの唄とともに、実際にお伊勢参りに行けたときの話が楽しい。遊雀師匠や遊かりさんや人間国宝の松鯉先生と一緒という豪華な旅だったそうだ。そんなエピソードを可笑しく語る小すみ師匠の話芸もなかなかのもの。
都々逸など古典的な音曲を美声で披露しながら、日本語の七七七五の世界の素晴らしさを伝える。
そのうえで、ホイットニーヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を花笠音頭の歌詞で三味線伴奏で歌い上げるという荒技や、尺八でエディット・ピアフの「バラ色の人生」を披露するなどの多才さを見せる。古典芸能の伝承者の顔とともに、上質なエンターテインメントを見せてくれた小すみ師匠だった。
三遊亭遊かり「紺屋高尾」
独演会の主役のトリの一席。披露してくれたのは、思い入れのある演目。
遊かりさんのブログにこの噺に対する熱い想いが綴られていた。弟子入り前に聴いた遊雀師匠の紺屋高尾に感動し、泣きながら帰ったことを覚えているとのこと。身分違いの恋を諦めきれず黙って働く久蔵と、いつになったら弟子入りが叶うのかわからないという不安を抱えながら落語と接していたご自身の姿を重ね合わせていたそうだ。
そして入門が叶い、思い切って師匠に稽古をお願いして、2020年2月にネタ下しされた。それ以来、大切にしながら磨いてきた噺。真打昇進した際の披露興行でも掛けようと決意している噺。この節目の回のトリネタとして選ばれたことからも、この噺に対する思いの強さが分かる。
私は昨年10月の一花さんとの会で聴いているので、この日で二度目となる。半年ぶりの遊かりさんの紺屋高尾。今回の一席で特に印象に残ったところを書く。
後朝の別れで久蔵を見送った後、高尾太夫が若い衆からの「あんなことを言っていいんですか?」と問いかけられる。これに対して「一度は人を信じてみたい」と答える高尾太夫。このセリフは初めて聞くもの。おそらく、遊かりスペシャルのセリフだと思われる。久蔵の前では毅然としていた高尾太夫が、廓の身内にポロっと漏らした本音。これによって、久蔵を信じようという高尾太夫の想いに真実味が加勢される。なかなか思い切った工夫だ。
遊雀師匠の得意技で、私が勝手に「ぶっ込み」と呼んでいるものがある。これは、寄席などで、他の演者のネタやクスグリを自分の噺の中に取り込む芸当だ。遊雀ファンにはお馴染みの荒技で、遊雀師匠が主任の高座を務めるときは、観客はいつどんな「ぶっ込み」が炸裂するのか、楽しみに待つのがお約束となっている。
そんな師匠の得意技を、この日は遊かりさんが弟子として見せてくれた。それは、紺屋の親方に「久蔵は所帯に夢を持っている」と言わせたのだ。これは、前の高座のマクラで遊雀師匠が話された「遊かりは所帯を持つことに夢を持っている」を援用したもの。師匠のお言葉を早速引用したところは見事。観客も師匠のセリフだと分かって大受け。
この親方のセリフは、久蔵の純真さを象徴するものとなっていて、かなり効果的なもの。しかし、遊かりさんに向けられた師匠のセリフで久蔵の純真さを表現されたということは、遊かりさんご自身の純真さも同時に主張されたというダブルミーニングになっている、というのが私的深読み。
この所帯に夢を持つことに関し、私は遊雀師匠に逆らうことになるが、遊かりさんの肩を持ちたいと思う。いささか年齢を重ねていらっしゃるが、遊かりさんは独身の乙女。色恋沙汰を我慢して、4年間の前座修行にも耐えたのだ。お祖母ちゃんが作ってくれた見合い用の着物も、今まで着ていなかったのだ。今のうちは、所帯に夢を持たせてあげたい。所帯を持てばいずれは覚める夢、しばらくは夢を見させてあげたいと思う。
久々の長文の日記となってしまった。それくらい充実の会だったという証しとご容赦ください。