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落語日記 人情噺でも情感豊かに聴かせてくれる権太楼師匠

第675回 落語研究会
9月5日 よみうり大手町ホール
前回の訪問は、日本橋劇場で5月21日開催の第671回。その回以後は、会場をよみうり大手町ホールへ移転して開催している。なので、この会場で開催される落語研究会は初めての訪問。
500席収容という大きな会場に移転して、観客の入りはどう変わっていったか気になっていたが、この日はほぼほぼ満員。以前の常連さんたちも戻ってきたようで、私のような後発組も加わって盛況となっているようだ。流浪の落語会も、この会場でしばらくは腰を落ち着けそうだ。

柳家小もん「もぐら泥」
前日より気温も上がり、昼間に仕事で外出していたこともあり、涼しい会場にいると急激に眠気が襲ってきて、小もんさんの一席はほとんど意識を失っていた。高座が始まった当初は端正な語り口だなあという印象を受けたが、その直後から前後不覚。小もんさんには悪いことした。

桂二葉「向う付け」
続いて登場したのは上方落語から二葉さん。この落語研究会は二度目の登板、さすがの人気ぶり。二葉さんの元気なお声でいくらかは覚醒したが、眠気の余波が続き、ところどころ意識が飛ぶ。
この噺は、江戸落語では「三人無筆」として口演されている演目。馴染みある噺だが、上方落語で聴くと新鮮な感じ。
主人公の喜六は、江戸落語でいうところの甚兵衛さんキャラ。お人好しで女房に逆らえないのは甚兵衛さんと同じだが、甚兵衛さんよりもかなりお調子者。単なる粗忽者ではない。お悔やみの口上を覚えられない割りには、かなり弁が立つ。この喜六のおしゃべりが楽しい。また、二葉さんの描く喜六はかなり皮肉屋で、わざとボケて悪口を言っているようなシニカルさを感じる。この辺りも、江戸の甚兵衛さんとの違いなのだろう。

柳家小満ん「猫の災難」
三席目で、やっと意識は普段通りに戻った。
小満ん師匠の出囃子が「酔猩々」(えいしょうじょう)という曲名の長唄らしい。この猩々とは伝説の動物で、酒に浮かれながら舞い謡うとされている。そんな酔って千鳥足となった様子を表す曲ですと、小満ん師匠の解説から酔っ払いに関するマクラが始まる。
思い出話で、若い頃に仲間十人くらいで神輿を担ぎに旅をしたときのこと。宿で景気よくお銚子百本と注文したら、本当に持ってきた。みんなで手分けして飲んだが飲み切れなかった。そんな若さゆえの馬鹿騒ぎを小満ん師匠の思い出話として聞けたのは、意外な感じもあって楽しいマクラだった。
本編では小満ん師匠が、一文無しの熊五郎の酒に対する欲望全開な様子を見せてくれた。酒の肴の鯛も酒も、結果的に兄貴分が用意してくれているので、二人で飲んでいればまだ騒動は起きなかったはず。しかし、目の前の酒を我慢できずに手を出す熊五郎の欲望に負ける様が、まさに落語らしさ。
この熊五郎の段々と酔いが回って理性のタガが外れていく様子を、小満ん師匠が淡々と見せてくれた。本当に、小満ん師匠自身が意地汚いように見えてくる。おまけに、ぐびぐびと喉を鳴らして酒を飲む仕草から、熊五郎がまさにそこに居るように感じたのだ。

仲入り

桃月庵白酒「氏子中」(うじこじゅう)
マクラは、暑い夏の思い出話。むかし、クーラーの無いアパートに住んでいた。窓を開けると隣家の室外機、なので開けても閉めても暑い。そこは共同便所で風呂無し。近所のコインシャワーを使った。100円を投入してから5分間だけ湯が出る。時間を有効に使うため、家でシャンプーを掛けて泡立ててからコインシャワーへ向かう。そんな頭なので、職務質問もされた。
このアパートは全部屋が同じカギで開く。他の部屋はみな外国人で、勝手に人の部屋から醤油を借りていく、そんな近所付き合い。今聞くと笑い話のオンパレードだが、こんな若かりし頃の苦節の時を経て、現在の白酒師匠が存在していることを考えると、感慨深い話でもある。こんな思い出話をネタにして、マクラから爆笑の連続となった。

本編は珍しい演目。初めて聴く。この噺は、戦時中には禁演落語となっていたもの。筋書が夫以外の男性の子を身ごもるという不行跡な噺であり、下げが、父親は誰か分からないというもの。「町内の若い衆」と同じような意味合いだ。
この噺の主人公の亭主は、与太郎キャラな人物。女房に惚れているし、まんざらのバカではない。白酒師匠が見せるこの亭主の与太郎ぶりは抜群に面白い。
この亭主は、普通に理解できるだろうことをボケ倒して笑わせてくれる。しかし、女房に惚れていることが根底にあり、女房に裏切られたと思いたくないという健気さを感じさせる亭主なのだ。ここが、白酒師匠の人物解釈によるこの噺のツボなのだと感じた次第。

柳家権太楼「井戸の茶碗」
この日の主任は、権太楼師匠。マクラは大谷翔平の話題から。大リーグは粋なことをしますね、と言って大谷翔平と愛犬デコピンによる始球式のことを語り始める。この映像を見た権太楼師匠の女将さんは、お嬢様の愛犬にボールを持ってくる芸を覚えさせようとする。しかし、上手くいかず、餌のハムを使ってボールを咥えさせようとしても、ハムだけを食べてしまう。そんな女将さんの苦闘の風景が浮かぶ話で、会場は爆笑。この話は、本編とはまったく繋がりません、そのひと言で、また大爆笑。
近所付き合いというキーワードで本編へ入った白酒師匠のマクラは爆笑を呼んだ。しかし、本編に繋がるマクラという落語のセオリーを無視した権太楼師匠。これが、落語マニアの意表を突き、爆笑を呼んだのだ。

この噺を権太楼師匠で聴くのは初めて。まさしく全体に権太楼テイストにあふれる高座で、聴きごたえのあるさすがの一席だった。
屑屋の清兵衛は、正直者でお人好しだが小心者で武士には頭が上がらない。この描写は江戸の身分社会を象徴している。裏では二本差しと言って、武士階級を馬鹿にしている江戸っ子が描かれる落語もある。しかし、権太楼師匠が描く清兵衛は、武士階級に対する畏敬の念を持っていることを感じさせるのだ。
千代田卜斎と高木佐久左衛門は、ともに穏やかな武士なのだが、武士階級が持つ独特の矜持が最優先されるという価値観を持つ。ここではあくまでも建前を貫き、それが騒動を引き起こす。現代社会では、笑い話となる武士の意地や矜持。清兵衛の畏敬の対象となる理由の根底には、この武士たちの異常なまでの清廉潔白さがあるからなんだろうと想像できる。
そんな身分社会の持つ奇妙さ滑稽さを、見事に笑いに変えた権太楼師匠だった。


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