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落語日記 甚兵衛さんの愛妻物語

国立演芸場 9月中席 昼の部 第一部 橘家圓太郎主任興行
9月13日
国立演芸場の定席。通常は、金曜日を除いて昼の部のみの興行。ところが、コロナ禍の影響で昼の部を二部構成にするイレギュラーなスタイルでの開催。各部とも出演者を少なくして仲入りも無しの構成で、その分、木戸銭も安く設定。この日お邪魔したのは前半の第一部で、主任が私の好きな圓太郎師匠だし、桂やまと師匠も出演されるので出掛ける。
客席は相変わらずの市松模様。開場間もなくは観客が少なく、日曜なのにあれえと思っていると最終的には満席に近い入り。

林家きよひこ「たらちね」前座
走って元気よく登場。おかっぱのチコちゃんヘア、結構似合っている。お馴染みの前座噺だが、短く要領よく切り貼りして、笑いどころの場面を上手く再構成。なかなかの知性派だ。私の好きなチンチロリンのガンガラガンは入っていて、テンションアップ。

春風亭ぴっかり☆「こうもり」
社会人落語家が小朝師匠のために作った新作落語。「鶴の恩返し」のパロディで、蝙蝠が女性に化けて恩返しする噺。
登場人物は吸血蝙蝠のあおいちゃんと恩人である居酒屋の清蔵、その二人の奇妙な遣り取りで笑わせる。人間に化けた蝙蝠のあおいちゃんが、ぴっかりさんのキャラを活かして、可愛さとトボケタ雰囲気を見せてくれて、すっかり自家薬籠中の噺となっている。

春風亭一左「壺算」
一左師匠は今年の3月下席から真打に昇進されるも、その披露興行がコロナ禍で途中で中止になり、残りの興行がやっと8月に開催、そんな災難に見舞われた。そんな苦労を感じさせないノンビリとしてフワフワした芸風。そんな芸風にピッタリの演目。
壺を買うのを手伝って欲しいと依頼した男が、結構間抜け男。壺屋の主人と同じく、詐欺的手法になかなか気付かない。「どういうこと?」と尋ねるセリフには思わず吹いてしまった。また「一架入りの瓶に疑惑がある」など、笑いの種となる光るセリフがときどき顔を出す。地味だけれどもセリフの面白さが光る新真打。

桂やまと「夢の酒」
お目当ての一人。寄席で拝見するのは久し振り。やまと師匠が顔付けされると、番組のバラエティーさがアップする寄席で映える実力者、そう感じている。この日は春風亭に囲まれる中で、唯一の古今亭としてその存在感をアピールした。
この日のマクラは、本編を意識した夢の話。旅が多い落語家の仕事、その旅の途中、移動の電車の中で見る夢はいつも同じ。それは仕事道具でもある着物、高座着を忘れた夢。それも師匠が同行していて問い質されるというかなり怖い夢。焦ってうろたえる表情を再現、観客は可哀想に思う以上に爆笑。
そんなマクラから本編へ。夢に嫉妬するお花の様子が、可愛気と狂気の境目を行ったり来たり。男性陣もタジタジとなる。そのお花の勢いに負けて、大旦那も夢の世界へ。
リアル世界の馬鹿々々しい大騒ぎと違って、夢の中はしっとりと落ち着いた大人の世界。こちらは大人の色気たっぷりに描かれる。男性の願望の世界だ。この夢の世界をリアルに描くことで、現実世界でのお花の嫉妬に説得力を与えるのだ。
夢の世界に連れて行ってくれるのは、淡島様。浅草は浅草寺の境内に淡島堂がある。こんな色っぽいご利益があるなら、私もお願いに行ってみよう。

青空一風・千風 漫才
高座にはマイクが2本、少し離して設置。お二人も離れてマイクの前に立つ。これが新しい生活様式での漫才のスタイルなのか。
それにしても、痩せた千風さん。向かって下手側のボケ担当の人。ネタでも話されていたが、100キロから80キロへ減量されたそうだ。これもコロナ効果らしい。
ネタを重ねていくうちに、じわじわと可笑しくなっていく漫才であり、寄席が似合っている。

橘家圓太郎「火焔太鼓」
ここまで仲入り無し、前座入れて6組という構成。私はこんな番組も寄席として悪くはないと思う。なんせお目当てまで、そんなに待たされない。前方の出演者もじっくり聴けるという効果もある。
マクラは、やまと師匠のお子さんが楽屋に遊びにきていた、お小遣い取られた、そんな話から。子供好きな優しい圓太郎師匠だ。
本編は、鈴本演芸場7月下席昼の部での主任興行で聴いたばかりの火焔太鼓。まだ記憶に新しいので、先日の会との違いも感じられる。道具屋の甚兵衛さんの愛妻物語であることに変わりはない。
先日の一席では無かったが今回あったクスグリで、売らなくてもよい長火鉢をお向かいの家に売ってしまった話がある。「長火鉢のおまけが甚兵衛さん」というセリフで笑わせる。
火焔太鼓をいくらで売るかで、甚兵衛さんと女房は意見が対立。甚兵衛さんの一両に対し、女房は仕入れ値の一分で売ってしまえ。それを受けて、武家屋敷での値はいくらだの問いに「一両分」と一両とも一分ともつかない不思議な答え。両とも分とも区別が付かない不思議な声。これで爆笑を呼ぶ。初めて聴く甚兵衛さんのセリフで、圓太郎スペシャルを感じさせるセリフだ。
火焔太鼓を売って得た大金を持っての武家屋敷からの帰り道、女房は俺にまだ惚れているのか、どうなのかをさかんに自問自答しながら帰る。ここでも愛妻家であることをかなり強調。前回よりも、愛妻物語であることが深まっているようだ。
どこか志ん朝師匠を思い起こさせる端正さを持つ圓太郎師匠だが、工夫を重ねた極端なエキセントリックさで笑いを呼ぶところが独自路線だと改めて感じさせる火焔太鼓だった。

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