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落語日記 渾身の芝浜を聴かせてくれた遊かりさん

三遊亭遊かり独演会 vol.21
12月22日 日暮里サニーホールコンサートサロン
第1回から通い続けている遊かりさんの独演会。なので、4年前の第1回から観続けているので、遊かりさんを定点観測しているようなもの。だからこそ気付くこともある。
今までに、様々な挑戦への奮闘を披露し、遊かりさんの変化も感じてきた。そんな中で、この回は、今までの回とは異なる大きな変化を感じる回となった。ターニングポイントと呼んでも良いくらいの芸の進化を見せてくれた、そう感じさせてくれた回となった。
この日も多くの観客が来場されている。遊かりさんはネタ出ししている演目「芝浜」の効果だと謙遜して仰るが、これは何より遊かりさんの人気とこの会が定着してきたことの証しなのだ。

玉川わ太「不破数右衛門の芝居見物」 曲師 玉川鈴
開口一番は前座役として浪曲師の玉川わ太さんの登場。この後、遊かりさんから落語家の前座さんが捕まらなかったとの事情説明があった。
わ太さんは、玉川太福先生の一番弟子。わ太さんは浪曲師ながら、現在は落語芸術協会の寄席定席で前座として修行中とのこと。寄席ではまだ浪曲師としては高座に上がることはないようだが、この日は曲師玉川鈴さんも登場して浪曲を披露。
そして、前座と思えないマクラでの盛り上げ。柳亭痴楽師匠のアドバイスでオールバックといういささか個性的な髪型。この髪型の楽屋での評判は賛否両論。遊かりさんに似ていると自認。
そんな、前座らしくないたっぷりのマクラで笑わせる。このマクラの楽しさは太福先生譲りで、さすが一番弟子。なので、本編の浪曲は短めとなった。
浪曲では演目に入ってまず冒頭に外題付け、表題付けと呼ばれるタイトル紹介の一節があり、この一節が終わって一息つくところが、拍手や掛け声のタイミングのようだ。この日もこのタイミングで拍手が起こらないのは、私も含めて観客が浪曲を聴きなれていない証拠。以前に太福先生の高座で、この拍手のタイミングを指摘され、もう一回やりますと冒頭からやり直され、会場を盛り上げたことがあった。この日のわ太さんも師匠に倣って、この方法で会場を盛り上げる。

三遊亭遊かり「幇間腹」
まずは、前回の節目の回が大盛況だったことの感謝の言葉。大きな仕事を無事にやり終えたあと、そんな充実感あふれる表情を見せる遊かりさん。
この会の魅力はご自身の近況報告のようなマクラ。最近は身体のケアを考えるお年頃なので、鍼灸院へ通うようになった。その先生にはお世話になっていて、この日もその先生が来場されているとのこと。
いつものようなマクラから本編に入り、この日の一席目から遊かりさんの大きな変化を感じさせた。それは、語り口がゆったりとなり、急ぎ足の感じがなくなっていたこと。いつもは噺が乗ってくると駆け足になったり、笑いの場面で前のめりになることがときたまあった。しかし、この日の本編は、終始落ち着いていて、ゆったりとしたリズムを崩すことはなかった、そう感じたのだ。
滑稽噺なので笑いどころが続くが、観客の笑いを待つ余裕のような間も感じる。客席も安心したような笑い声が多く上がっていた。今までは、滑稽噺と人情噺で少しリズムが違っていたように感じていたが、それが一席目の滑稽噺でもゆったりしたリズムを感じさせてくれた。

三遊亭遊かり「ぐつぐつ」
二席目も冬の噺の定番となった新作。先日のけい木さんの朝活でも、この噺と芝浜の組合せだった。この季節は、短めの滑稽噺と長めの人情噺という組み合わせは、演者にとっても人気のコンビなのだろう。
マクラでは、物が喋る時代 電気製品が喋るのは独り暮らしには嬉しいというお話。カーナビが運転お疲れ様と言ってくれるのも嬉しい。家に帰ったとき、家電製品にお帰りなさいと言って欲しい。そんな導入マクラから本編へ。
この演目は、遊かりさんでは一度聴いている。この日の一席を聴いて、すっかり自分のものとされていると感じる。前半は滑稽噺二席で、会場を大いに盛り上げた。

仲入り

宮田陽・昇 漫才
この会のゲスト招聘のコンセプトは「いつも背中を追っかけて行きたい先輩」を呼んで、その胸を借りて自身の芸をぶつけるというもの。この日のゲストは芸協の人気漫才師の宮田陽・昇コンビ。私も大好きなコンビだけに、このゲストの舞台も楽しみにしていた。独演会のゲストらしく、少し毒舌も効かせて、大いに会場を沸かせていた。

三遊亭遊かり「芝浜」
真打昇進を射程距離に捉えてきた遊かりさん、昇進後の持ちネタを考える時期にもなってきた。今まで挑戦を避けてきたこの「芝浜」も、真打のネタとして避けては通れないもの。これまでは、夫婦の噺であり独身のうちは掛けないとも思っていたが、小遊三師匠の勧めもあり、今回挑戦することにしたとのこと。
この会の一週間前の12月14日のひらい圓蔵亭での「遊かりひとり会」で、この噺のネタ下しをしたばかり。それからこの会での高座に向けて、おそらくこの一週間は、芝浜漬けの毎日だったことだろう。そんな成果を発揮した高座だったと思う。
この日の三席目も、今までの遊かりさんの高座の印象と少し違っていた。これは私の勝手な想像なのだが、この日に感じた遊かりさんの変化は、芝浜へ集中して取り組んだ効果ではなかろうか。芝浜という長講の演目を丁寧に語る稽古を積み重ねた副次的効果が、語り口の変化ではなかったか。

前回の林家けい木さんの勉強会で芝浜を聴いてきたばかりなので、この日の芝浜を聴いて、演者による違いがよりはっきりと感じられる。ここでは、当日感じた遊かりスペシャルな場面、見どころを記したいと思う。
けい木さんの一席では無かった、夜明けの芝の浜で財布を拾う場面が遊かりさんの一席にはあった。それも、かなり丁寧に情景や心情を描写している。この場面も長講の要因。
遊かりさんの見どころは、前半の亭主に夢だと思い込ませる場面と、後半の大晦日の女房の告白の場面に集約される。

まずは前半の女房が亭主を説得し夢だと思い込ませる場面。ここでは、遊かりさんは、感情を押し殺しながらも、それでも隠せない必死の感情をところどころに滲ませる女房のセリフや表情が見事。筋書きを知ってる落語ファンには、女房の心情が分かるだけに、それをどのように表現して見せてくれるのか、どうやって亭主に夢だと思い込ませるのか、注目して聴いているので、ここはこの噺のキーポイント。ここを遊かりさんは、女房の葛藤の様子を感情が伝わるように、独自のセリフで表現した。落語ファンの熱い視線に、見事に応えた遊かりさん。
その後に亭主が改心して商売に精を出すようになるのだが、遊かりさんはここで地噺のように、人間そんな急に変われるものでしょうかとの疑問を投げかける。そんな疑問は、演者としてなのか、女房の心情なのか分からないが、前半と後半の間を繋ぐ面白い噺の仲入り。ここも、遊かりスペシャル。そして、三年後の後半の場面へ。

場面は、立ち直った夫婦が迎える大晦日の風景。ここで後半の最大の見せ場の女房の告白の場面が始まる。
この女房の告白は、前半の説得の場面と比べると、自分の心の揺れや迷いを理路整然と亭主に伝えている。前半が感情の発露なら、後半はまさに理論、理屈の表現を見せる。
最初は、大金を拾ったことが嬉しかったが、これで好きな酒を飲みながら遊んで暮らせると亭主が言ったのを聞き怖くなったと正直な気持ちを告白。その後、真面目に商売に励んでいる亭主を見て、嘘をついている自分の苦しさを我慢し、生涯噓をつき通そうとの決意する。しかし、人間は働かなきゃダメと亭主が言ったのを聞き、大丈夫と確信し告白を決意する。この女房の感情の流れを自ら説明するが、非常に論理的なのだ。
そして、このお金はお前さんのもの、私が持っていてはいけないと気付き、噓をついていたことを深く反省し、家に置いてくださいと懇願する。この女房の感情の吐露は、分かり易く整理されていて、女性の演者として女房を演じる利点も活かした見事なもの。
そんな告白を聞いて、辛い思いをさせてすまないと謝る亭主。ここは、観客もみな亭主と同意見で、納得させられたと思う。

盛沢山の場面が続き、かなりの長講となった。熱が入る理由も分かる表現だった。終演後の挨拶でご本人も仰っていたが、これから磨き込んでいくとのこと。場面の取捨選択とブラッシュアップで、時間と内容が凝縮されれば、より遊かりスペシャルな噺となるものと期待できる。これからも、遊かりさんの進化を追い続けたいと思った独演会だった。


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