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落語日記 さん喬師匠が聴かせてくれた夏の若旦那、三者三様

さん喬十八番集成~夏の夜噺~
8月4日 国立劇場演芸場
ずいぶん前にチケットを取っていた柳家さん喬師匠の独演会。買った頃は、開催時にはコロナ禍も少しは治まっているかと思っていたが、予想を裏切って何度目かの感染拡大の波がやってきている。現在の国立演芸場の状況は、閉鎖はされず、最前列中央のみ着席禁止で、他の客席の制限はない。
普段なら、満員となる人気の会だが、入場者数の制限があったのか、はたまた自粛されたのか、所々に空席がある客席。

鈴本演芸場では、お盆休みと重なる8月中席に、夏の恒例として「鈴本夏まつり吉例夏夜噺 さん喬・権太楼特選集」という特別興行を長年続けてきた。チケットが毎回完売という人気の興行だ。ところが、今年は、さん喬師匠が病気療養のため休席すると発表された。そこで、弟子の喬太郎師匠と左龍師匠がさん喬師匠の代演として出演することになった。看板も「鈴本夏まつり吉例夏夜噺 権太楼・さん喬一門特選集」と変えての番組となった。
長年親しまれてきて毎年決まったスケジュールの特別興行を、病気療養を理由にお休みされる。鈴本演芸場のサイトを見たときはビックリして、病状の発表がないので心配になった。
鈴本中席の一週間前の時期だが、主催者からは延期や中止の発表はない。予定どおり、開催日を迎えた。なので、高座に登場するさん喬師匠の様子が、大変気掛かりな開演前となる。

ロビーでは、さん喬師匠の会のチケットが販売されていた。10月開催の会は、塩原多助一代記全編通し公演で、公演時間が3時間とのこと。えーっ、そんな体力が要るような会を予定されているのか。今からそんな会を準備されているということは、体調不良もそんなに深刻ではないのでは、そう思うとちょっと安心。
さて、どのような表情で登場されるのか、ドキドキしながら客席で待つ。

春風亭いっ休「狸の札」
前座は一之輔師匠の三番弟子。語り口はキッチリしている。定番の前座噺なのだが、ちょっとした言い回しに工夫が感じられ、笑い声を引き出していた。

柳家やなぎ「子知る」
さん喬師匠の十一番弟子。前座のときは、さん坊さん。馬治師匠の会をお手伝い頂いたときも、真面目で礼儀正しい前座さんだったので、好感を持っていた。二ツ目となって拝見するのは久しぶり。この日はご自信作と思われる新作を披露。
マクラでは、出身地北海道に帰ったときに、地元の同級生たちとの飲み会でのエピソードや、幼馴染で好きだった人に告白したけど玉砕したという話。心暖まる短い新作のようなマクラ。このマクラの雰囲気が本編とぴったりで、本編への良い導入となっている。
本編は親子の会話で進行する物語。六人兄弟の四男が、自分の境遇に不審を抱き、父親を問い詰めるという筋書。下げの意外性で勝負。会話で進行するが、父親の返事や表情を息子が全部代弁している形式が面白い。
マクラから本編まで、青春の熱い思いや葛藤が底辺に流れている。これが、やなぎさんの芸風なんだろう。

柳家さん喬「唐茄子屋政談(通し)」
さて、お待ちかねのさん喬師匠の登場。いつもの様子で登場し、お顔を上げて話し始めた表情もいつもと同じ。拝見するのは久しぶり、4月17日の浅草演芸ホールでの柳枝師匠真打披露興行以来。そのときより、少し痩せられたような印象。季節の挨拶のようなマクラは、いつも通り。にこやかな表情も変わっていない。少しほっとする。
奇しくも、この日はさん喬師匠の誕生日。御年73歳になられた。年齢よりは、ずーっと若々しい。いつまでも、若々しくお元気でいて欲しいと願うばかり。

マクラで道楽の話をされていたので、もしかしたらと思っていたらドンピシャの演目。落語日記を遡ってみると、さん喬師匠のこの演目は、6年前の国立演芸場8月上席の主任で聴いて以来。なので、前の高座の記憶はあまりない。結構、新鮮に聴けた。
さん喬師匠の人情噺なので、若旦那を取り巻く周囲の人達が優しく感じられるのは当然なのだが、放蕩者の若旦那自身も本性に律義さや優しさを隠しているようにも感じる。自堕落で刹那的というより、プライドが高く世間知らずなだけのお坊ちゃま君なのだ。そんな遊び人の若旦那だけに、吉原田圃での見事な唄声を披露。さん喬師匠ならではの聴かせどころだ。
貧乏長屋へ戻ってからの場面も、長屋の住民たちが一様に優しい。非情な大親の因業ぶりと対称的。これだけメリハリがあった方が、ストンと腑に落ちる。若旦那の成長を見せてくれたのは確かなのだが、熱血漢な本性は、元々持っていた性分とも感じさせてくれた若旦那だった。丁寧な通しの一席で、長講となった。

仲入り

柳家さん喬「船徳」
マクラ無しで、いきなり親方と若旦那の会話からスタート。こんな入りのさん喬師匠は珍しい。なので、この出だしの会話だけで大爆笑。この演目は4年ぶり。やはり記憶が曖昧なので、新鮮に楽しめた。忘れることも落語を楽しめる能力なのだ。
前回の日記を読むと、以前の感想では、かなり芸達者な若旦那だったようだ。今回も、竿を振り回し、唄を唄いまくる芸人若旦那だ。かなりの気取り屋で我儘。汗で前が見えなくなったときに、客に汗を拭かせたときは思わず吹いてしまった。蝙蝠傘の旦那には、かなりきつく当たる。
そんな、人間性全開の若旦那の行動が爆笑を生む。二席目の若旦那は、滑稽噺仕様。一席目とは違った若旦那を見せてくれた。

柳家さん喬「千両みかん」
船徳を下げてから、そのまま高座に残って続ける。ここで、マクラのようなお話。船徳は止めておけばよかったかなあ、との感想。船徳は仕草が大きくて多用されている噺なので、かなり大汗かいて体力も使う。二席目でお疲れになったから仰ったのか、とちょっと心配になる。しかし、ここで終わらず、もう一席演りますと宣言。
最近は、季節感が無くなったというお話。果物も甘くなった、そのためか最近の若人は西瓜に塩を掛けないで食べる。風情が無くなった。おっ、果物の噺、そんな流れで始まった千両みかん。そうか、三席目も若旦那の噺。と言うことで、この日は、夏の若旦那祭りとなった。

さん喬師匠のこの噺は初めて。これも嬉しい日となった。この噺も若旦那の噺ではあるが、主役は真夏に蜜柑を探し回る番頭。若旦那の依頼を、調子良く安請け合いする番頭。このあと大旦那から真夏に蜜柑があるのか、と問われて青くなる。この感情のジェットコースターを見事に見せてくれたさん喬師匠。
その後の奮闘ぶりは奉公人の哀れさを強く感じさせて、本当に番頭が可哀そうだ。蜜柑三房を持って逃げる気持ちが分かる。でも、切ない下げだ。番頭が哀れであればあるほど、切なさも強い。なので、この一席の下げで、観客に切なさの余韻をお土産に持たせてくれたさん喬師匠であった。

三席の若旦那は、それぞれ別の顔を見せてくれた。こうして見ると、今更なのだが、落語世界の若旦那には、ろくな奴はいないことを痛感させられる。まあ、そうでなければ落語の主役にはなれないのだから、仕方がない。でも、さん喬師匠の若旦那たちは、人間味が溢れていて愛おしい。愛すべき登場人物だし、その欲望のままに生きる人生が羨ましくもある。さん喬師匠の夏の若旦那祭りを聴いて、そんなことも感じたりした。
トリネタとなる大ネタ三席の連続という、相変わらずの凄い落語体力をさん喬師匠は見せてくれた。この日のお元気な様子に、まずはホッと一安心。

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