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落語日記 さん喬師匠の落語体力は凄いのだ

 さん喬 双つ玉 ~橋場の雪・夢金~
10月25日 浅草見番
この会場で年に一度のさん喬師匠の独演会は、今年で三回目。今回、初めて参加。この会は毎回ネタ出しで、演目選びにもひとひねりある。今回のネタ出しは「橋場の雪」と「夢金」の二席。この二つの噺は、いずれも冬の噺であり、会場のある浅草由縁の演目、地元隅田川を舞台とする噺だ。そしてこの日は、この二席の他にもう一席「鼠穴」を口演。
聴き終わって気付いたのが、これら三演目の全部が、夢落ちの噺だということ。夢落ち三連発、夢噺特集となった独演会。さん喬師匠の遊び心あふれる機転で、楽しい趣向となった。
 
会場は花柳界が残る浅草にある見番、その正式名称は「浅草三業会館」と言う。この三業とは、花柳界を構成している三種の業種のことで、①芸妓衆の所属している置屋、②遊びの座敷を提供する料亭や待合、③料理を供する料理屋、この三種である。これら三種の業者が集まってつくる三業組合の事務所の俗称が「見番」と呼ばれているのだ。
この見番の二階大広間は、普段は芸妓衆が芸事を稽古する場所として使われている。どこか古風な雰囲気の大広間で、この落語会が開催されている。客席は座敷に座布団なので、長時間は厳しい環境かと思っていた。しかし、さん喬師匠の熱演によって時間の経過を感じさせずに終演時間となり、そんな心配も吹っ飛んでいった。
 
この見番は、観音様の裏っ手にあり、地下鉄の駅からも遠く、やや不便なところにある。しかし、この日の観客は、そんな不便を乗り越えても聴きたいという、熱心なさん喬ファンが集まっているようだった。これは、客席で感じる観客の集中力の凄さから伝わってくる。皆さん、さん喬師匠の高座に前のめりで聴き入っていた。これだけ高座に集中している客席もなかなかないと思う。と言っても、堅苦しい訳ではなく、さん喬師匠の口演を楽しもうという空気が充満していたのだ。
そして、この日はもう一つ嬉しいサプライズがあった。顔見知りのさん喬ファンと久し振りに再会できた。これも、さん喬師匠のおかげ。
 
古今亭菊一「子ほめ」
まずは前座の露払い。前座らしからぬ、きっちりした口跡に笑いどころも多い。実力者前座だ。
噺のなか、道すがら年齢を尋ねられた番頭が、指四本を立てたのを見て「四つ?四百?」「その間だよ」の答えが「二百二?」これに対する番頭の反応「平均かよ」には思わず吹いた。さすが、東大卒の論理的クスグリ。
 
柳家さん喬「夢金」
いつものようにうつむきながら高座に登場。久し振りのさん喬師匠のお姿に、私は一気にテンションアップ。
マクラは、留さん文治と呼ばれた先々代の文治師の話から。先々代文治師は、当時はケチとの評判だったが、実はそうではなかったと。先代正蔵師と同じ三軒長屋に住んでいて、慎ましい生活だったが、後輩たちには祝儀を切っていた。師は自分にはケチだったけど、他人にはケチではなかったという思い出話。
もうすぐ正月、嫌な季節、なぜならと、前座やお囃子さんたちにお年玉を配る、という寄席の風習を紹介。今年も一人に一万円ずつ配る、そんなさん喬師匠の告白に、えーっという会場の反応。これにはすかさず、嘘ですよ。こんな冗談ネタも、さん喬師匠の手にかかると爆笑を呼ぶ。
ご自身が前座時代に名人たちからもらった100円のお年玉の思い出。このとき、先代三平師からは500円もらった。そんなお金にまつわる話と、強欲とはお金に対してだけではないという名言をマクラにして、金の亡者が主役の本編へ流れるように入っていった。
 
10月とは思えないほどのここ数日の冷え込みが、この冬景色を背景とする噺に追い風効果を与えている。
川面を吹きすさぶ吹雪の情景を、船頭の熊が櫓(ろ)を漕ぎながらの独り言で、その寒さを伝えてくれる。と同時に熊の強欲さも、この独り言のみで感じさせる、まさに名場面。
扇子を櫓に見立てて舟を操る。吹きすさぶ雪が蓑と笠に降り積もる様子が目に浮かぶ。これが、そのまま次の演目の雪景色の情景を引き立てる効果を生んでいる。
この噺の下げで、いったん退場してから、二席目の再登場。
 
柳家さん喬「橋場の雪」
この「橋場の雪」は、よく聴かれるポピュラーな「夢の酒」の原話であり、現代では演り手の少ない噺。この一席は、明治時代の三代目柳家小さん師などが口演した古作を、当時の速記などにあたりながら、独自の工夫をこらして、ネタ出しで初演とのこと。
マクラは、まず夢の話から。夢の中で同じ人に出会ったり、同じ場所が登場することがある。夢に小さん師匠が出てくるが、師匠の家はいつも同じ。しかし、実際の師匠の家とは違うという不思議。そんな夢の不思議アルアルから本編へ。
  
雪降る橋場の渡し場で、若い後家と出会う若旦那。噺は変わったが、一席目から雪の情景が続き、この噺の冬景色をより効果的に感じさせるという、立体的な後押しになっている。
この渡し場から、舟待ちでいったん後家宅へ寄ってから向島の料亭へ向かう。その後、再び後家宅へ舞い戻る。この再会までの若旦那の行動を丁寧に描いているから、後家と再会したいという募る想いが伝わってくる。渡し舟の船頭が留守の渡し場でも、何とか向岸に渡りたいという無理やりの言動が、後家に会いたい想いを伝えてくれる。
この若旦那と後家の二人の恋愛感情を象徴しているのが、傘という小道具。この傘が、また逢いたいという思いを象徴しているのだ。返さなくてもよいと言いながら、また会える切っ掛けとなる傘を貸す後家。雪が降っているのに、その日に何としてでも傘を返しに行きたい若旦那。二人から、また逢いたいという気持ちが透けて見える。さて、この二人はどうなってしまうのか、そんなドキドキする色っぽい噺なのだ。
こんな艶っぽい官能的な噺を、70過ぎのさん喬師匠から聴ける驚き。青春時代にドキドキして観ていたエロ映画を彷彿させる官能的な場面を、さん喬師匠が見せてくれる楽しさ。さん喬師匠の魅力炸裂の一席だ。
 
この噺には、二人以外にも魅力的な人物が登場する。現実と夢の両方に登場するのが、小僧の定吉。この定吉が、夢でも現実でも良い味を出して大活躍。そして、下げにも繋がる重役を担うのだ。
現実世界では、父親の大旦那が真面目なんだか惚けているのか、少しだけ変わり者。もっと変わり者が、女房のお花。その悋気の様子は、もはや狂気。これらの人物が、若旦那のリアルな夢の話で、現実世界で見せる大騒動。噺の後半は、真面目な狂気が引き起こす大騒動による滑稽噺の様相。
見どころは多いが、演者にとっては難易度高そうな噺だ。それを見事に聴かせてくれたさん喬師匠、さすがの一席だった。
 
仲入り
 
柳家さん喬「鼠穴」
ネタ出しが二席だったので、聴く前は仲入りを挟んでこの二席という構成と思っていた。ところが、ネタ出し二席を連続で口演。そして、仲入りを取ってもう一席。この構成にも驚かされる。結果、大ネタを続けて三席という構成。それも、初演やアレンジ版という企画物に挑まれた後の「鼠穴」だ。さん喬師匠の落語体力の凄さは分かっていたけど、あらためて実感させられた独演会となった。
マクラでは、前の初演を受けて、橋場の雪の感想を少し。「もう、やりません」の一言で、苦労が垣間見える。
 
終演予定時間が告げられていたので、短い噺で終わるのかと思っていたら、長い噺をこれくらい短くできるということをやってみます、と本編に突入。
冒頭で「夢は五臓の疲れ」と始まったので、ビックリ。何と、ここで鼠穴を掛けるのかという驚き。
さて、本編は元々長い噺を凝縮して、エッセンスが強調された濃い内容となったもの。簡潔で短か目に構成した見事な一席だった。そして、その濃縮された効果として、登場する兄弟二人の性格の違いや人物像の明暗の差が、より鮮やかに浮かび上がったということ。
ノーマルの鼠穴なら、兄が悪人か善人か不明瞭で、どっちなんだという不安さを感じることがあり、従来はこれも噺自体の味わいと受け取っていた。しかし、この鼠穴は、兄弟の性格が鮮明に伝わるものだった。特に、兄が三文しか貸さなかったことの訳を話して謝罪したところは、さん喬師匠の雰囲気とも重なって、兄が真実は善人であることを感じさせてくれた。そんな、濃縮バージョンが良い効果を生んだ一席。
そんな三席で、贅沢な空間を味わい、贅沢な時間を過ごせた落語会だった。

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