落語日記 念願の演目を満を持して披露した馬治師匠
第22回 馬治丹精会
3月24日 江戸東京博物館小ホール
金原亭駒介「真田小僧」
米粒写経 漫才
金原亭馬治「生徒の作文」
仲入り
金原亭馬治「鰍沢」
裏方としてお手伝いさせていただいている馬治師匠主催の独演会。
前回の1月13日開催の第21回が終了した直後の1月19日から、首都圏では「まん延防止等重点措置」が適用された。その後、2回の延長を経て3月21日に終了された。なので、今回は、その「まん防」適用明け直後の開催となった。告知広報期間がほぼほぼ「まん防」適用期間となっていたので、積極的な宣伝活動も出来なかった。しかし、「まん防」の適用が終わったことも手伝ってか、常連さんやご贔屓さんが大勢入場され、9割埋まる盛況ぶり。感染状況がまだまだ改善されたとは言えないなかのご来場、皆さんのライブ鑑賞への強い欲求を感じた。
今回も受付等の裏方仕事の合間に、換気対策で開けっ放しの扉から覗きながら、ときどき拝見。通しでは聴けなかったので、この観賞日記は部分的に聴いた感想。
前座はいつもお願いしている弟弟子の駒介さん。この日も、楽屋仕事をしっかりこなして助けてもらった。
ゲストは、漫才の米粒写経のお二人。この二人も毒舌時事ネタ系で、私は結構好きなのだが、ほとんど聴けずに残念だった。ときどき会場を覗くと、客席は笑い声で沸いている。期待を外さないお二人。
馬治師匠は仲入りを挟んで二席。鰍沢はネタ出し宣言されていた演目。以前にもこの会で挑戦しようとしていたが、コロナ禍の影響で会自体が開催できなくなって、掛ける機会を失っていた。そんな状況の中でも、いつか披露しようと暖めていたようだ。
鰍沢は、笑いどころが少なく、人間の狂気を描くサスペンスフルな噺。なので、もう一席はバランスを考えて、笑いどころの多い楽しい演目を選んだようだ。馬治師匠は滑稽噺のイメージは少ない。与太郎物などの、粗忽者の表情や行動で笑いを呼ぶ滑稽噺を掛けることは少ないかもしれない。しかし、設定やシチュエーションで笑わせるコントのような滑稽噺は、馬治師匠の得意技でもあるのだ。馬治師匠が見せる落語的な馬鹿々々しい設定やシチュエーションは、ご自身の印象とのギャップや意外性の可笑しさがある。
この日のもう一席の生徒の作文もそんな可笑しさ、馬鹿々々しさ満載の一席だった。登場する生徒たち、中尾彬くんや上西辰延くんのトンデモ作文で沸かせて前半を〆た。
仲入りで客席の気分一新。落ち着いたところで、鰍沢の一席。圓朝物とされている演目。今も多くの落語家が挑戦し続けている。圓朝物に挑戦されている馬治師匠にとって、この演目に挑むことは長年の念願。この日はそれが叶った、初演の高座。
この鰍沢は、追い詰められた人間の狂気を見せる噺。この人間の心の深層に潜む本性に繋がる狂気を、行動や表情で見せてくれる噺だと、私は考えている。そんな視点で観ると、馬治師匠の一席は、毒薬や猟銃などの凶器を、恐怖の象徴として効果的に使って表現できた一席だったと思う。
旅人の命を奪ってまでも金を手に入れたいという強欲さ、山中に逃げ延びた罪人の生き延びたいという執念。それら強欲さや執念が、狂気の灯を燃え上がらせていく。
これらの狂気による恐怖は、被害者となる登場人物たちの苦悶の表情で伝えてくれる。お熊の亭主の伝三郎が卵酒を飲み、その毒が全身に周る様子は最たるもの。毒が徐々に効いてきた伝三郎の苦悶の様子は、まさに鬼気迫るもので、観客を凍り付かせる。
旅人である江戸の商人新助が、毒を飲まされたと気付いたあとの慌てぶり。毒消しの護符を雪と共にそれを飲み込む様子、そして、お題目を唱えまくる。雪の中、お熊の猟銃から逃走し、崖から落ちて筏に必死でしがみつく様子。追われる者の恐怖、昨今のエンタメで見られる手法だ。
これら被害者の行動から、被害者の恐怖が観客に伝わってくる。我がことのように感じられ、手に汗を握るのだ。これに加えて、厳冬期の豪雪の中の山中の風景が、この恐怖を倍増させる効果を生む。
この日は中断しながらの鑑賞だったが、馬治師匠の鬼気迫る熱演で、この噺の真髄が十分に味わえた一席だった。