落語日記 祖父の遺した芸の遺産に挑戦した孫の小駒さん
梅屋敷 金原亭馬治の会
11月26日 亀戸梅屋敷 ホール
江東区亀戸にある「亀戸梅屋敷」を本拠地として馬治師匠と小駒さんが新たに始めた落語会。馬治師匠は「火焔太鼓」、小駒さんは「寝床」をネタ出し。
馬治師匠の独演会「馬治丹精会」の次回開催までの間隔が開いているので、その隙間の日程で企画されたようだ。この会も、受付などをお手伝い。
金原亭馬治「親子酒」
前座なしなので、この日のトリ担当の馬治師匠が先陣を切る。マクラはまず、過去に馬治師匠が押上に在住していたので、亀戸は馴染みのある懐かしい場所という話から。なので、この会場も、初めて利用するわりには親しみを感じるとのこと。
馬治師匠がマクラのネタでたまに語る兄弟弟子の話題。馬生師匠には七人の弟子がいて、その性格は奇数の弟子と偶数の弟子で二つに分けられる。偶数の組は、しっかり者できっちりしている。一番弟子のご自身や五番弟子の小駒さんなどの奇数の組は、しくじりで師匠によく𠮟られる出来の悪い組。これは、ご贔屓さんにはお馴染みのマクラ。
馬生師匠から叱られるときに、お二人は名前を呼んでもらえないそうだ。なぜなら、馬治も小駒も、馬生師匠が以前に名乗っていた芸名。なので、元の自分の名前を呼んで叱るには、師匠も抵抗があるのでは、そんな馬治さんの推測。まんざら外れてはいないと思う。こんなマクラは、ご自身主催の会ならではだ。
この会を始めた切っ掛けは、小駒さんと飲んでいる席での会話から。お酒好きなお二人らしい切っ掛けだ。そんな話から、飲酒をめぐる小噺のマクラを経て本編へ。寄席でもよく掛ける手慣れた噺で、まずは小手調べ。ご贔屓さんが多い会場では、聴き慣れた噺でも暖かい雰囲気になる。
金原亭小駒「素人義太夫」
馬治師匠のマクラを受けて、馬治師匠と飲んだときの話から。自宅が二人とも同じ京成線・北総線沿線にあり、帰りの電車が同じなので、二人で浅草で飲んでいた。そのうち、より遠方の馬治師匠が最終電車を逃してしまい、結局、小駒さんの自宅で飲み直し。兄弟弟子だけで飲むというのは、本当に仲の良い証拠だ。
そんな飲みながらの会話の中で、先代馬生師の遺された落語に関する資料の話題となった。先代の娘夫婦である中尾彬、池波志乃夫妻が、アトリエを片付けていたら、先代の落語に関する膨大な資料が出てきた。先代の筆によるネタの台本のようなものも、多数見つかったそうだ。まさに、宝の山を発掘したようなもの。これらを先代の孫である小駒さんが譲受け、整理しているとのこと。
これらの資料は、セリフが書いてある台本というより、演目の肝に関することが羅列して記載されているものが多いそうだ。また、先代の筆が達筆過ぎて、判読が難しい箇所も多いらしい。演目も珍しいものを多数発見したようで、そんな先代のお宝を解読しながら、現代に再現することに挑んでみようと決めたそうだ。その成果を披露する場所がこの落語会であり、それがこの会の裏メニューのようだ。
小駒さんの一席目は、ネタ出しの演目。演目名としては「寝床」と発表されていた。小駒さんの一席は、蔵に逃げ込んだ番頭を大旦那が義太夫で追い込んだところで下げになる型。志ん朝師など古今亭でよく聴く型だ。なので、寝床まで行かないので、この日記では「素人義太夫」と表記する。
繁蔵が伝える、義太夫の会の誘いに対する長屋の衆の言い訳が楽しい。ほぼほぼ繁蔵の考えた言い訳のように聞こえる。そのいい加減さを感じさせるような小駒さんの語り口は、流暢で可笑しい。
豆腐屋のお馴染みの言い訳である、がんもどきの製造法の件。楽しい場面なのだが、気になることがある。製造法の中で登場する食材のシソの実。そもそも、がんもどきにシソの実が入っているのか。シソの実が入っているがんもどきを、私は今まで食べたことが無い。昔のがんもどきには入っていたのだろうか。私的な落語の謎の一つ。
仲入り
金原亭小駒「おろち」
後半の小駒さんのこの演目が、この会の裏メニューの一席。もちろん初めて聴く珍品。この噺は、先代馬生師が創作した噺らしい。小駒さんによると、先代による音源が残されていたそうだ。
筋書は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に苦しめられていた村人たちを、旅の者の須佐之男(スサノオ)が退治して助けるという、古事記に登場する神話を題材としたもの。おとぎ話のような落語だ。
舞台は遥か昔、落語の舞台である江戸時代よりもずーっと昔に遡った神話時代。当時の言葉遣いや風俗など、まったく想像もつかない世界。その時代の雰囲気は誰にも分からない。なので、小駒さんも無理に時代を感じさせるような言葉使いはせず、いつもの古典落語と同じような雰囲気、言葉使いの口演だった。
舞台は田舎の村落のようだが、落語世界の田舎弁は使わず、それでも純朴な村人たちの様子は、江戸の頃の農村の人々という印象。スサノオは、落語に登場する左甚五郎のような、また旅する武士のような雰囲気。本来は神様なのだが、どうみても旅する侍。このあたりが、落語らしくて逆に楽しい。先代もイメージのない古代人たちのセリフでは、なかなか苦労されていたようだ。小駒さんは、分かりやすさを優先させて、いつもと同じような落語らしさで語り切った。
笑いどころも少なく、下げも洒落で終わる不思議な噺。誰でも知っている神話を、落語家が落語のネタとして語ること自体が面白いのかもしれない。なかなか聴けない貴重な一席だ。
祖父の残した芸を孫が引き継ぎ、噺に新たな命を与えて甦らせるという挑戦。どことなく声音が先代馬生師に似ている小駒さんだけに、その奮闘ぶりは感慨深く、そして胸を熱くする高座だった。
金原亭馬治「火焔太鼓」
トリの馬治師匠の一席はネタ出しの演目。古今亭伝統の演目に久々に挑戦。
終演後に馬治師匠から聞いた話では、この会のために特に集中して噺をさらってこなかったとのこと。噺が身体に染み込んでいるような感じなのだろうか。今まで重ねてきた高座経験と歩んできた人生経験が、噺を熟成させているような気がした。まさに、馬治師匠の年輪を感じさせる一席だった。
小駒さんの先代馬生師匠の遺された資料の話を受けて、これからも、先代の資料を基に珍しい演目を発掘再生させる挑戦を続けていき、この会も馬治師匠と小駒さんの二人の兄弟会として継続していくことを宣言。今後、どのような珍しい演目が聴けるのか、また楽しみが増えた。