貴方は気付きもせず私のような女を愛し始めた

父も母もとうとう私のことだけに飽きたらず貴方のことまで罵り始めた。
心の奥底から憤怒が沸き立つ。
さんざっぱら幾多ある短所と長所の中から短所だけを幼年期からあげつらい私の自尊心を壊し続け、誰にも愛されない、愛されなくて当然だろうという『私』を作り上げたというのに、今度は貴方の番だとでもいうかのように優しい貴方から、自分たちにこき下ろされても当然だろうという情けない『貴方』を引きずり出そうとしている。
貴方は一度も母親から貶されたこともなく、貴方も母親を貶すことはなかった。
だから貴方が浮かべるしかなかったのは私と違い哀しみと困惑の両表情だった。
私のように反論という持たざるを得なかった武器は持ってはいないんだ。
暖かくも母一人子一人で育った貴方は私よりも持っているものは少ないかもしれない。
財産や権力、人脈も与えられなかったが貴方の母親は、戦いなんてしなくていい健全な優しさと聡明な尊さを与えた。
そして貴方は母がそうしたように、『私』にも愛情を降り注いだ。

『私』が貴方と会ったのは『私』が自殺しようとした時だった。
親に対抗して入学した親の偏差値を上回った難関大学の屋上ですべてが虚しくなっていた。
進みたい進路ではなく、進まなくては知らしめられない進路など囚われた進路でしかなかったと入学してから気付いた愚か者だった。
あんなやつらをひとつのラインにした時点で『私』は敗北していたと。

自然と屋上に足が向かっていた。
後ろについてきている足になんて気がつきもしなかった。

あの日は曇りだったと私は思う。
でも貴方は晴れだったと。

本当は空は半々だったんだろう。
貴方と私が見ているポイントが違っただけで。

あの頃の『私』は記憶が曖昧すぎて貴方との大切な会話が思い出せないでいる。
でも気が付いたら貴方が『私』の内側にいてくれたという事実だけが大切だ。
貴方は『私』に絡まった糸をほどくかのような幾度もの心に寄り添ってくれる会話を繰り返した。
愛さないではいられなかった。
『私』は初めて囲いから放たれて貴方と貴方の母と三人で暮らし始めたのだった。
小さなアパートの小さな二部屋が三人の居場所になった。
どちらも四畳程しかなかったが狭いと感じる前に暖かいと感じる空間だった。
私がいていい空間。
初めての場所。

否定され続ければ続けられるほど愛されることに慣れるまで時間はかかる。
その時間も貴方たちは『私』に与えてくれた。
少しだけ外に出られた。
こんな顔が笑顔だったけな?という日々を送り出した。
私は自分の家族を容易に捨てた。
何の未練容赦なく。

父と母はなぜか怒り狂った。
自分たちの憎むべきおもちゃがいなくなったからだろうか?
そんな身勝手なとは思わない。
そんな身勝手な人らだからだ。

子供の頃から妹と比べられて育った。
私と妹の差違は些細なものだった。
ほとんど同じといっていい双子。
でもなぜか顔も体も頭もほんの少し上等に見せられる同じ子。
妹は私の影のように振る舞い、両親からの捌け口を逃れ続けた。
何も言わないことがあの子の道だった。
何も言わないが、見ることに関しては全神経を注いでいる。
絶対に親の変化を見逃さない。
自分に必要なことは絶対に見逃さない。
だから私と違い反発をしたことはなかった。
私はすでにあの子の声さえ覚えていない。
いるのかいないかすらわからないぐらい気配を消して生きている。
逆らえない恐怖と暴力と不条理は時にそういう選択肢を取らせる。
そういう処世術もあるんだろう。
人に意識をさせないという特色を自覚している節すらある子だった。
不思議とこの子のことを憎んだことはない。
私は『私』の戦いに必死だったんだ。

父と母は『私』を憎んでいたが、見栄は誰よりもあり、自分の娘が偏差値の高い国立大に受かればどこでも自分たちの手柄のように吹聴し始めた。
外では誇り、内では敵意むき出しだった。
家庭内では平穏な時間などなかった。
もう期待すらしていなかったが、
金の援助は切られた。

父と母以外に憎んでいるのが神様だった。
残忍さではこちらの方が上かもしれない。
理不尽さにかけては世界中に知れ渡っているくらいだ。
貴方の母親は何の罪もないのに、あっけなく命が途絶えた。
階段で足を踏み外した。
後ろに支えてくれる人はたまたまいなかった。
両手は荷物でふさがっていた。
後頭部から死んでいった。
ありふれた誰のせいでもない死。
けれど同時に貴方の心も壊れた。
優しい人から優しい人を奪うのか。

優しい貴方も、優しくなりきれない私もこんなに脆いのか。
二人とも言葉が消えてしまった。
だから。
『私』が戻ってきてしまった。
『私』は『私』から離れられない。
『私』は『私』から離れられない。
『私』はあいつらが作った『私』から離れられない。
憎悪がある限り『私』は『私』から離れられない。
『私』は貴方と違って貴方を救う言葉を教わっていない。


一緒に薬を飲んだ。
けっして飲んではいけない量の薬のことを毒というのならば、毒を飲み込んだ。
あんなに愛しい貴方の輪郭が崩れて曖昧になっていく。
一瞬で死なない人間は曖昧に死んでいくだけなんだ。

薄れゆく意識の中で双子の妹が現れた。
貴方を助けた。
毒をすべて抜き取った。

最後の最後で奪いやがった。

この子は完璧なタイミングだけは知っていやがる。
それだけを研ぎ澄ませてきたんだ。
貴方が『私』を助けて心を奪ったように、貴方を『私』から助けて奪ってみせるのだ。
ざまあみろ『私』
こうやって生きればよかったんだよ。

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