感覚は相対的だけれども絶対もある(鎌倉・長谷寺で飲むラムネ)
それは、昨年7月のこと。
その年は空梅雨で、6月でも最高気温が30℃を超す日も。
7月に入るとさらに気温が上がり、下旬に差し掛かるころには猛暑日に。
その日もまさに35℃を超す蒸しあがるような暑さで、
サスペンスドラマで尋問される犯人に当てられる照明かというほど強い光が突き刺す日でした。
鎌倉の長谷寺にお詣りしようとしていたものの、
JR鎌倉駅に着いた段階で汗だく、
混みあう江ノ電に乗り長谷駅に到着後、
ちょうどお昼近くの照り返しの強いアスファルトの道が続く中を行き、
長谷寺の山門にたどり着いた時にはシャワーを浴びたのかというほど大汗をかいていました。
さすがに山門をくぐると濃い緑をたたえた木々が折り重なり幾分か目には優しくなるものの、
しかしまだここは序の口。
本堂は観音山の中腹辺りにあり、木漏れ日が差す石段をえっちらおっちら一段ずつ踏みしめ、
良縁地蔵さんの前を通って地蔵堂、さらに上って行ってようやく観音堂のある広場に出ます。
着いた頃には意識は朦朧。
まっすぐ歩けている自信は皆無。
地面に手をついてゼーゼーハーハー言いたいけど、舗装された地面は灼熱。
またしても殺人的な光が突き刺す中、
観音様へのご挨拶を後回しに、とにかくその先の由比ガ浜が眼下に広がる見晴らし台近くにある茶屋に駆け込み、
昔ながらのビー玉が転がる瓶のラムネを購入。
ラムネの瓶を火照った頬にくっつけると、地獄から救い出されるかのように涼が駆け抜けていきました。
そしてラムネをひとくち。
甘酸っぱいラムネがころころと喉を通っていくのはそりゃもう極楽です。
なんたって身体の奥底まで茹であがっているようなところに冷えたラムネを入れたもんだから、
喉から食道、そして胃へと下りていくのがわかるんです。
ありがたい。
心の底から本当にそう思いました。
日陰に入りふたくち、みくち飲むと、
ラムネの冷たさや甘酸っぱさ、炭酸の刺激が身体の先の方にまで沁みわたっていき、
それと比例するように意識が段々とはっきりしてきました。
この時のラムネの美味しさは絶対でした。
般若心経には、
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
というくだりがあります。
私たちが感じ取っているものに、実体はない。
まだまだ不勉強で般若心経について理解は全然できておりませんが、
その時のシチュエーションや身体の状態、心持ちなどによって
感じ取り方が左右される、感覚は相対的なものであるというのはわかります。
でもあの時のラムネには、絶対的な美味しさがあった。