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『牧瀬』


  三月十二日
  合格発表を見に行った。
  自分の受験番号は書かれてなかった。
  親に電話で結果を伝えた。学校にも報告。

「何だよこれ、日記? こんなのつけてたの」
「これはね、」
「キミの?」
「うん、高校受験に落ちた時にさ、日記つけたんだ。一か月間くらい」
「そん時だけ? なんでまた」
「高校受験失敗とか、なかなか無い経験じゃない? だからさ、その貴重な日々の俺の心中を書き留めておこう、って思ったわけ」
「はぁ。受験の不合格が決まった日から? ずいぶん余裕じゃね? 悲しくなかったの」
「そりゃ悲しかったよ。だからその悲しさとか、いろんな感情を書き留めておこう、ってはじめた」

  親と話して、一年間予備校に通うことにした。
  一進という名前をつけてくれた親には皮肉な結果になって申し訳ないけど、入試はまた来年がんばろうと思う。

「ふぅん・・・。本気で悲しかったら、日記書こうなんて思うかな」

 こいつは牧瀬トオイ。同じ年に高校受験に失敗して、同じ予備校に一年間通った。その時、お互いギターが趣味と知って意気投合。休日を迎えるたびに、どっちかの家に上がり込んではオリジナル曲づくりに励んだ。もちろん平日は真面目にお勉強。その甲斐あって、今は二人ともめでたく高校生。
 志望した高校は、高望みしたわけではないし、中学時代の成績が「中の上」くらいだった俺にとって、やればできる目標だったはず。だからつまり〝やらなかった〟わけだ。彼のいう通り、本当の悲しみは無かったのかもしれない。必死に頑張った結果ではないから。それでもいま後悔の念は無い。予備校での一年間は、入試というゴールに向けてひたすら走った。そういう青春時代を過ごしたことは、悪い経験じゃなかったと思うから。

 受験勉強から解放されると、俺のギター熱はさらに高まった。高校卒業後は、シンガーソングライターとか、そういうのになりたいと考えてる。と言っても、何をどうすりゃいいのか。親に相談しても反対されそうだし。とりあえず曲を書き溜めてる。新曲の歌詞ネタに何か無いかと、昔の日記を引っぱり出してみたところだったのだ。

「だいたいさ、ただあったことを書き留めてるだけじゃん。何月何日、何をしました、って」
「そうだよ。いいじゃん」
「もっとこう、胸の内をあらわにするような何かないの。涙が枯れるまで泣いたー、とか、情けなくて死にたくなったー、とか。それでこそ日記でしょ。だから日記って、他人には見せないものなんだよな」

 普通、こんだけ遠慮無しに言いたいこと言うか? 人の日記にダメ出しなんて。でも本音で何でも語ってくれる友達がいるとこを、嬉しくは思ってる。彼の言うことも一理あるのだ。どうも俺は心の奥にくすぶっている感情を表に出す事が得意ではない。もっと言えば、くすぶっている何かがあるのかさえ自分自身わからない。この日記の時も、高校受験失敗でどん底まで落ち込むような心の動きは、俺にはなかった。だからひょうひょうと文字にできたし、予備校時代を振り返っても「悪い経験じゃなかった」みたいな一言でまとめてしまえるのだ。あ・・・、これが牧瀬の耳に入ったら大変だ。きっと「毎月の授業料を出してもらったからこそ得られた経験だぞ」と、強い口調で諭される。
 だいたい、学校のゴミ出し当番なんかはよくサボるくせに、変なところで真面目なんだから。

 高校入学後、ふたりでギターユニットをやろうと誘ったとき、最初牧瀬は返事を渋った。
「僕は完全に趣味でやってるから。プロ目指して本気でやってこう、っていうキミとは気持ちが釣り合わないよ。いずれ足を引っ張る」
 牧瀬は、建築関係の職業に就くことを目標にしている。そうは言っても、彼のギターテクニックはなかなかのものだし、歌詞なんて、かなり胸に刺さるものがある。半ば強引に誘い込んだのだ。
 適当にコードを弾いていると、牧瀬のスマホが鳴った。牧瀬の彼女、ユミちゃんからのメッセージらしい。牧瀬は部屋の窓を開け、この家の前に居るユミちゃんを見下ろして「入っておいで」とジェスチャーを送った。
「俺の部屋を待ち合わせ場所にすんなよな」
 ギターを鳴らしながらそう言ったが、もちろん本心からではない。牧瀬もそれはわかってる。
 俺はギターに合わせて、鼻歌を続けた。

 ・・・そんなこともあった、か。

 あいつとの思い出を振り返りながら、もう一度ギターを鳴らした。この曲は、牧瀬に贈る曲にしたいと考えてる。通しのメロディーを作り終えて、ギターコードのメモを書き終えたところで、部屋のドアが突然開いた。

「一進くん、こんにちわっぴ」

 完全に曲の世界に入り込んでいた俺は、ふいの客人に驚いた。
「びっくりしたぁ、ユミちゃん」
 少し緑がかった金髪を首の横で揺らしながら、彼女はエヘヘと笑っている。「おじゃましまっぴ」と軽やかに入ってきた。ユミちゃんらしい黄色が基調の洋服にジーンズ、大きなウサギマークのバッグ。一気に部屋の空気が華やかになった。

「あのな、思春期の男子の部屋にノック無しかよ」
「いいじゃんいいじゃん。一進くんのお母さんがね、上げてくれたの。・・・ギター弾いてたんだ」
「うん、一曲できたところ」
「じゃ、トオイくんのこと思い出してた?」
 彼女は絨毯に座って、譜面を置いている小さなテーブルに手をついて身を乗り出してきた。近くで見ると、可愛い化粧をバッチリ決めているのがわかる。
「まぁね。前にさ、俺の日記を見ながら曲作ってた時あったじゃん? その時のこととか思い出しながら」
「いい曲?」
「・・・いやぁ、やっぱ牧瀬が作った曲はかっこ良かったからな。アイツほどじゃないよ。あー、アイツみたいに才能があったらな。二人でやってた頃が懐かしい」
 ギターを一度、ジャランと鳴らした。
 俺の手元を見ているようで、瞳の奥では遠くを見ていたユミちゃんが俺の顔に視線を上げた。
「一進くんてさ」
「ん?」
「ギター買ったその日から、もう曲弾いたりしてたんでしょ? トオイくんから聞いた」
「そうそう。俺、ギター買うより前にコードブック買っちゃってさ。いろいろ弾きたい曲があったんだよね」
「すっごい。才能あんじゃん。ふつう、そんなにすぐには弾けないよね」
「そうかな」
「そうだよ。トオイくんなんて、最初はひとつの音すら鳴らせなかったんだって」
 え・・・それは意外だ。
「だけど思いがけずお父さんからプレゼントされて・・・ギターをね。彼のところ、その、裕福ではなかったでしょ? だからせっかくもらったギターを『弾けるようにならなきゃ』って、すっごく練習したって」
「そんな話、はじめて聞いた」
「中学三年の時の文化祭に出るんだって目標を決めて、好きなCDの真似をして真似をして、真似をして、練習して。ギターはうまくなったけど、文化祭には選考に落ちて出られなかった。すごく悔しかった、って言ってた」
「だけど親父さんもさ、受験前の息子によくギターなんて買い与えたよな」
 ユミちゃんがフフフと息を漏らした。
「だよね、ふつう〝高校入試に通ったらギター買ってやる〟よね。トオイくんのお父さんは〝ギター買ってやるから受験勉強がんばれ〟だったんだって。そりゃトオイの性格だもん、ギターも勉強も頑張っちゃうよ」
 牧瀬は父子家庭で、父親は自営業で左官業を営んでた。それで牧瀬は建築関係への就職を目指してた。東京に行って経験を積んだら、地元に帰ってきて父親を助けたい、って。
 三月十二日、合格発表・・・あいつ、悔しかっただろうな。

 ──本気で悲しかったら、日記書こうなんて思うかな。

 牧瀬の声が、頭の中で蘇った。
「一進くんは才能があって羨ましい、って」
「え、何の才能?」
「音楽よ。トオイくんがよく言ってた」
「まさか。こぶしがよくまわるって?」
 冗談だ。通じなかったらしい。
「だって一進くんて、ギターも弾けて、曲も作れて、歌詞も書けて、歌も歌える。『あいつは何でもできるんだ、それも人並み以上に。〝さほど努力もせずに〟だよ、羨ましい』って」

 突然、首元に太い注射を打ち込まれて、液体をギュっと注入されたような気がした。その液体は、気管を通って一気に肺の中になだれ込んでくる。胸が重たい。
 さほど努力もせずに、ここまで来た。・・・正しいよ、牧瀬。見様見真似である程度はできたんだ。曲も歌も歌詞もギターも。でもそれって、喜んでいいことなのか? わからない。なぜか後味のよくない言葉だ。

 牧瀬は今、東京で暮らしている。一年ほど前、突然お父さんが亡くなって親戚に引き取られた。高校も、あっちの高校に転入した。そういえばそろそろ一周忌ではないか。お墓参りに帰って来たりするのかな・・・どんな生活をしてるだろうか。一度目標を決めたら、それを捉えて離さないあいつのことだから、建築士になる勉強は続けているだろう。多少の壁なら、乗り越えていく男だ。きっと数年後には、立派な建築士になっているだろう。お父さんが亡くなった今、地元に帰ってくる理由は無くなってしまったが。

 俺は? 音楽を続けることに、何の障害も無い今。曲を作っては、たまに路上ライブ、たまにコンテストへの応募。シンガーソングライターになる夢に、一歩でも近づいていけてるだろうか・・・。

「トオイくんを追っかけて東京に行ければいいのにね。そしたら東京のライブハウスでプレイしたりさ、路上で弾き語りをするにしてもこの辺りの田舎とは人通りの多さとか違うでしょ」
「東京か・・・」
「うん、デビューするならやっぱり東京が近道じゃない?」
 そうかもしれないが、具体的に上京を考えたことは今まで無かった。田舎に住む俺にとって、東京とはテレビや雑誌の中の世界であって、そういう世界と俺自身をどう結びつけていいのか、さっぱりわからないのだ。でもそれじゃ、何も先へ進まないこともわかる。そろそろ具体的に考えなきゃ。

 ノックの音がして、ドアが開いた。オレンジジュースとスナック菓子を持ってきた母が顔を覗かせる。ユミちゃんいらっしゃいとか、久しぶりねとか、そういう言葉は既に玄関で交わしたのだろう。母は、小さなテーブルにジュースを置きながら、まるで今まで会話していた続きを話すように、にこやかな顔でユミちゃんに語りかけた。
「一進とはね、まだ戦ったことがないのよ。だからこの子の、心の叫びを聞いたことがないの。まずはそれからね」
 は? 何のこと?
 ユミちゃんは大げさに「そうなんですかぁ~」と言い、「私ポテト大好きぃ」と身を乗り出し、母は「ゆっくりしてってね」とドアを閉めた。

 戦う、心の叫び、俺の母の口から出るには似つかわしくないワードだ。ユミちゃんは妙に納得している。何だよ。二人だけの暗号かよ。

「一進くん」
 ユミちゃんは、今度は真面目顔だ。
「私ね、高校卒業したら東京に行くことにしたの。決めたんだ」
「え・・・! あいつが居るから?」
「うん。だから」
 牧瀬が上京する際、二人は別れた。牧瀬から切り出したそうだが、彼女が嫌いになったわけじゃない。
 ──高校を卒業して、その時二人が一緒に居たい気持ちがあれば、また付き合おう。
 ユミちゃんも納得して、今に至っている。納得はしたけど、泣いただろうな。さっきの言葉を聞く限り、牧瀬への想いは、膨らみに膨らんでいるようだ。
「親には言ったの? 反対されない?」
「もっちろん反対。だから毎日戦ってるの、親と。『仕送りはしないぞ』って言うから『東京で就職する』って言い返して。『未成年が簡単に就職できるか』っていうから『アルバイトでもやっていけるもん』って。『就職もせずブラブラするつもりか』ってなって、『そのうち見つける』『そんなに簡単に職が見つかると思うなよ』・・・ってキリが無いの」
「そりゃ親は心配するさ」
「・・・そんな、気休めの言葉は要らない。っぴ」
 言いながらユミちゃんは、ウサギマークのバッグからスマホを取り出してテーブルの上に置いた。そして続けた。
「人ってさ、・・・人って、どこか足りない部分があると思う。みんな満たされない何かがあって、それを補おうとして前に進むの。そういうことに気づいたから私、今は前だけを向いていられるんだ」

 ユミちゃんってこんな子だったっけ。少し会わない間に雰囲気変わったような。
 満たされない何か、か。
 俺は、満たされない何かを、どうやって補おうとしてるだろう。
 まさか、いつか誰かが路上で歌う自分に手を差し伸べてくれるかもしれない、なんて思っていやしないよな。「キミ、いいね。プロデビューしない?」なんて。
 まさか、コンテストに出し続ければいつか全国大会に進出してプロデビューへのチケットを手に入れられる、なんて思っていやしないよな。
 それって、前に進んではいない。ただ夢見てるだけだ。
 俺はそんなんじゃない、と言い切りたい。でも胸が重苦しくて、今はこれ以上考えたくない。胸が苦しいのはきっと、さっき打ち込まれた注射液のせいだ。

 ──さほど努力もせずに、ここまで来た。

 ユミちゃんのスマホが鳴った。彼女は待ってましたとばかりに画面のメッセージを確認して、今度は慌てた様子で部屋の窓際に立った。外に向けて手を振る。
「誰かいるの?」と言いながら俺は立ち上がり、窓の外を見た。見覚えのある男の影が玄関に向かって歩き、窓からの死角に入った。
 牧瀬だ!
 俺は「あ」と声を上げ、ユミちゃんの顔を見た。はにかむように笑っている。
「あのね、もうすぐ一周忌だね、ってメールしたの。そしたら、お父さんのお墓参りに帰ってくるって言うから、三人で集まろうよって提案したの。三人ならいいでしょ? 友達として会うの」
 想像もしなかった。今日、あいつと再会なんて。
 階下から母の高い声が響いてきた。何と言っているかはわからないけど、「今日は珍しいお客さん続きね、牧瀬くん、元気でやってるの?」とか、そういう感じだろう。

 聞きたいことは山ほどある。東京での生活はどうか、とか、建築士の目標のこととか、今もギターは弾いているのか、とか。俺のことも聞かれるだろうけど、俺は何も進歩していないし、報告するようなニュースもない。せめてさっき作ったメロディーでも聴かせようか? なんてことを話すと、こんなふうに言われるんだろうな。

 ──キミはミュージシャンになりたいなんて言いながら、そうやって音楽を作ってたまに路上で演奏して、そんな生活が楽しい、ってだけなんだろ? 今のままでのままでいたいってだけで 、具体的な目標をイメージできていないんだよ、きっと。自分自身を見つめなおす時期に来てるんじゃないの?

 なんてね。
 ・・・あ。
 なんだ、俺。そういうことなのかな。・・・そういうこと、か? 本気で自分の将来のこと、考えてるのかな。卒業後の自分、夢と生活、音楽と仕事、東京と地元、家族と自分、今の自分が満たしたいこと・・・。急に色んな想いが駆け巡り、頭の中が真っ白になりそうになったが、階段を上がってくる牧瀬の足音が聞こえてきて、俺は正気になった。

 早足で部屋のドアに近づきノブを握る。ユミちゃんは窓辺に立ったまま、こちらを見ている。ドアを開けると、ちょうど牧瀬が部屋の前に来たところだった。

「よっ。お帰り」
「ただいま」

 一年前とさほど変わらない印象だ。ユミちゃんに向かって「よっ!」と言い、絨毯に座る。テーブルを挟んで正面の位置に、ユミちゃんが座った。俺はドアを閉めながら考える。メロディーじゃなくて言葉で語ろう、今のそのままの俺を。そして久しぶりに聞こうじゃないか・・・牧瀬節を。と。


 おわり



<他のストーリーへのリンク>
https://note.com/kuukanshoko/n/n4251357b90d3




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