空席だらけの列車に乗り続けている。誰かの隣に座ったり、私の隣に誰かが座ったりしてきたけれど、結局ひとりのまま、環状線を走っている。車窓はいつだって、誰かの愛の花を見せてくる。私がもう手にすることのない花。羨望と嫉妬を上手く隠して、手の届かない小さな電子の光と、覚えたての筆に色を。
汚れて肌触りが悪くなった真綿を首に括りつける。新品の真綿よりも、すこうしだけ早く酸素を奪っていく。視界が揺らぎ頭がぼんやりとして、胸の内側で血が暴れ始める。アルコールを摂取したみたいになって、空想の中で自分の首が落ちる。見慣れた醜怪な顔がこちらを睨んでいる。なあ、気分はどうだい。
努力する楽しみや、勉強して知らないを知る楽しみがイマイチ分からないまま、半々世紀を迎えてしまった。努力や勉強の先には、目が眩む程の成果があると言うけれど、過程の中に苦痛しか見い出せない人にとっては、ガラクタ同然。今だって、努力を辞めようとしている。成し遂げられない私は、人間失格。
生きていて、推していて、下手な絵で、愛の匙加減が下手くそで。数え切れない程の『ごめん』を空に、浴槽に、紅茶に溶かして騙し騙し生きている。騙しきれなくなった時、私はどうなるのでしょうか。ごめんなさいの代償に健康な心を削って差し出している。誰に差し出しているのか分からないまま今夜も。
140コのマスに、ひとつずつ、漢字や単語、記号を埋めて行くのです。空っぽな胸元がちゃんと満たされますように、と唇を動かしながら、埋めていくのです。単語になり、文になり、意味の無い行為にも、ひとつまみ分の意味が生まれるのです。ひとつまみ分の意味だけで、空っぽが埋まることはないのに。