写真を撮る、ということについての散文
なんで写真を撮りたいと思うんだろう。
すごく不思議な感覚なんだけど、今までずっと写真はそれなりに撮ってきたつもりだったけど、去年の秋に突然、今までの何もかもと写真というものがカチリとはまり合う感覚になって、自分の生活に絶対に必要なものになった。そして、そこから撮る写真が、まるで今まで一枚も写真を撮ったことがなかったような新鮮な気持ちになった。
私の撮る写真は一円にもならないどころか機材代やらなんやら大赤字な訳で。
仕事にしたいとは思わない。けど、いつか個展はしてみたいと思っている。
なんで、どんな写真を撮りたいんだろう。
・仕事(染織作家)の制作中の美しいと思う瞬間を撮りたい。
・自分の作った作品を撮りたい
・自分の今日の1日を記録として残したい
・家族を撮りたい
・写真という作品作りがしたい
・子どもの成長を収めたい
・好きなもの(錆、壁、ノラ猫、花)を撮りたい
・ファインダーを除いてシャッターを切りたい
・カメラが好き
写真を撮ることは私にとって、映画を観ることや小説を読むことに似ている。見たこと読んだことを誰に話すでもなく、自分の中にそっと吸収していく行為。
撮影したほとんどの写真は表に出ない。
または、今日1日の自分の存在を確認する行為でもあるんだろう。
写真をいい感じに撮りたいがために部屋に花を飾ってみたり、模様替えしてみたり。
写真を撮りたいからいつもは行かないようなところへ足を伸ばしてみたり。
自分の住む地域を好きになるために写真を撮る。
今私が住んでいる場所は、当初求めていた地域とは異なる場所になった。
正直、最初はちょっと戸惑った。
でも写真を撮り歩くとそこかしこに面白いものがたくさんあった。
自分だけが知っている場所が近所に増えていく。
自分が写真に撮って、その写真が好きになると、その場所が好きな場所になる。
野良猫が散歩するみたいに私も歩いて回る。
趣味で写真撮ってる、と思う反面、もっともっと追求したい、作品として昇華させたいとも思う。今の段階では趣味だと思っているくらいが力まずにできてちょうどいい。
いつか芸大で写真の勉強がしたい。
工芸の進路をとったことは後悔していなくて、あの学びがあったからこその今だし。その上で、写真の勉強がしたい。
マハトマガンジーが言ってたじゃん。
明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べって。
そうだそうだ。
私は近い将来死ぬかもしれないけど、まだ学ぶことを諦めていない。
永遠に生きるつもりで学びたい。