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【連載小説】オシロイバナ『第1話』

【あらすじ】
桜井和馬と稲葉睦美は、複雑な家庭環境がゆえに、児童養護施設で出逢い、育てられた。偶然にも同い年の二人は、時間をかけながらも次第に惹かれ合っていくのだった。施設を卒業するのと同時に、新たな出発として一緒に暮らしながら、互いに『夢』を見つけていこうとする。そんな二人の前に、起こる様々な出来事。それでも和馬と睦美は手を取り合い乗り越えていく。そんなある日のこと。突然、睦美に異変が…。そして和馬にも…。二人を取り巻く人間模様。そして和馬と睦美…少しずつ二人の運命の歯車が狂い始める。このあとの二人の行く末に待ち受ける未来は、いったいどうなるのだろうか…。

《運命の日 二人の出逢い》

その日も朝から、テレビのニュースでは「くれぐれも『熱中症』には注意してください!外出中の方々は木陰で休憩するなどしてください!水分と塩分の補給を、お忘れなく!」と頻りに放送していた。

都内の児童養護施設【とうきび学園】の施設長である星崎灯里(あかり)は、冷えた麦茶を口に含みながら思わず呟く。
「それにしても、本当に暑いわねぇ。」
「毎日こうも暑いと、堪えるわねぇ。」
よほど喉が渇くのか、そしてガブガブ飲み干した。
扇風機も回しているのだが、灯里は、あまりの暑さに耐え切れずに扇子を顔の前に持ってきては、パタパタと扇いでいる。
事務員の真壁菜穂美(なおみ)も、ハンカチで汗を拭っては、書類を書きながら続けて話し始める。
「梅雨明けも早かったですよね?」
「もう数日で、お盆ですよ!」
北海道の出身である星崎灯里には、さすがに東京の夏の暑さが堪えるようである。
真壁菜穂美も麦茶を注ぎ足し、飲み干していた。

廊下の方では、子どもたちの笑い声や走り回る足音が聞こえてくる。と同時に、施設の職員の怒号のような声が響き渡っていた。
「もうすぐ夕食の時間よ!」
「皆んな、早く食堂に集まりなさい!」
子どもたちは、我先にと食堂へ駆け込んでいく。

やがて、消灯の時間が訪れるのだった。テレビを観ていた子、本を読んでいた子、玩具で遊んでいた子や、得意の手芸をしていた子たちも、各々の部屋へと戻り、ベッドに潜り込む。

夜も更けて、施設内の見回り点検をするため、担当の職員が手に懐中電灯を持ちながら歩き始めた。
「夜の風は涼しいな。」
真夏の夜風は、昼間とは一転して気持ちが良い。
見回りの職員は、つい一人で頷いていたのだった。
そして、一階のトイレがある近くまで来たときだった。

『ザワッ』と、
一瞬、人影のような物が動く気配がしたのだった。
咄嗟に、職員は懐中電灯を窓の方へ向けてみる。
すると、弱々しく泣く赤ん坊の声が聞こえてきた。
すぐに外から回り、泣き声のする方へ駆け寄る。
「あ、赤ん坊だぁ!」
職員は、慌てながらも、何とか赤ん坊を抱きかかえながら、施設長の星崎灯里の所へと走って行った。

8月10日 午前10時30分
【とうきび学園】施設長の星崎灯里は、左手を頬に当てながら、また呟いていた。
「あちこち調べて探したのだけれどね。」
「全く…見つからないしねぇ。」
「本当に…困ったものだわねぇ。」
「名前しか…分からないのよねぇ。」
灯里は、つい大きくため息をついていた。
職員総出で調べ続けたのだが、見つかった赤ん坊のことは何も分からないままなのである。
赤ん坊が包まれていた、バスタオルの中には、氏名だけが書かれたメモの切れ端が残されていただけだったのだ。
【氏名 桜井和馬 サクライカズマ】
しかし、施設の職員たちは口を揃えるように言う。
「まだ、生まれて間もないようだ。」
「寄りにもよって、こんな時期に。」
「置き去りにするなんて…。」
「捨てるだなんて…。」

本来ならば、乳児院へ引き取られるであろう和馬だったが、特例により、こちらの児童養護施設【とうきび学園】に引き取られることになったのだった。
和馬は、ミルクを沢山飲んで離乳も早く、すくすくと育っていった。ケラケラとよく笑い、他の子どもたちとも、すぐに打ち解けて、その名前のとおりに周りの人たちを和ませる明るい子供なのだった。
これには、職員たちも皆んな安堵したものである。

桜井和馬 4歳8か月
あれからもう4年以上が過ぎては、いつの間にか桜が舞い散る季節に、なっていた。
和馬は、生まれた日が不明だったため、【とうきび学園】で見つかった日が誕生日となった。
和馬は、毎日元気に幼稚園へ通っては、ケラケラと笑いながら楽しそうに過ごしていた。
そんなある日のことだった。
和馬の目に、見たことのない小さな女の子の姿が飛び込んできたのである。
「チビだな。」
これが和馬の、睦美への第一印象だったのである。

稲葉睦美 イナバムツミ 4歳4か月
その日、睦美は、児童養護施設【とうきび学園】へと、児童相談所の女性に手を引かれるようにして初めて訪れたのである。
睦美は、女性の後ろに隠れたまま微動だにせず…というよりビクビクと怯えるように小刻みに震えていたのだった。
女性の着ているジャケットの裾をギュッと握りしめたまま、ずっと隠れて動こうともしないのだ。
施設の職員たちが、気遣いながら優しく話しかけてみるも、睦美は、ただ震えながら俯いたままなのだった。
「睦美ちゃんが落ち着くまで居ますので。」
児童相談所の女性は、そう答えてはくれたが、職員たちは、このままでは日が暮れてしまうと気を揉んで心配していたのだった。

睦美が、施設に連れて来られた理由は、家庭環境の悪さであった。一人っ子だったのだが、両親共に、パチンコなどギャンブル三昧に加えて、酒癖が悪く、睦美に対して日々、暴行虐待していたというのである。それを見兼ねた近所の人からの通報で、警察から児童相談所へと預けられたというわけだったのである。

しばらくして、施設長の星崎灯里が両手に何かを乗せてやってきた。
「初めまして、こんにちは!稲葉睦美ちゃんね?」
灯里は、ニコニコ笑いながら、睦美の視線に合わせて低くしゃがみながら話し始めた。
「睦美ちゃん。私は、ここに住んでいる沢山の子どもたちの、お母さんですよ。」
「ここは、ちっとも怖くはないから。」
「今から私が…睦美ちゃんの、お母さんよ。」
「だいじょうぶ、だいじょうぶよ、睦美ちゃん!」
「私が、お母さんだからね。だいじょうぶよ!」
そう、灯里が話しかけるも、睦美の表情は強張ったままだった。
ただ、灯里や職員たちのことを恐る恐るだが見つめ始めていた。

そこで灯里は、両手に持っていた色とりどりの生地で手作りしたという御手玉を広げて、睦美に見せてみる。それを見た睦美の瞳が一瞬、輝いたようだった。綺麗な色柄に興味を示したのだろうか…。
灯里は、粘り強く話し続ける。
「睦美ちゃんは、甘い御雑煮…食べたことあるかしら?『お豆』で作る甘いのなんだけど?」
「こし餡…そうそう、餡こで作る御餅が入っていて甘くって美味しいのなんだけど?」

「・・・・????」
睦美は、小さく息を吸って少し考えると突然口を開いたのである。
「あ、あ、餡この御団子。餡この御饅頭、ある!」
灯里も続けるように、
「そうよ、それもよ、凄いわよ睦美ちゃん!」

すると、睦美の強張っていた表情が、だんだんと柔らかくなっていった。
灯里は、持っていた御手玉を、そっと睦美の小さな手のひらに乗せてみる。

ーーシャカシャカシャカシャカーー
「ほら、可愛い音がするでしょう?」
灯里の真似をして、睦美も御手玉を振ってみる。
ーーシャカシャカシャカシャカーー
ーーシャカシャカシャカシャカーー
少しずつ、睦美は自分らしさを取り戻していく。
表情も、どんどん明るくなる。

灯里が、また続けて話しかける。
「この御手玉の中のシャカシャカって可愛い音がするのはね、さっき話した餡こを作ってくれる『お豆』の音なのよ。どう?可愛いでしょう?これは睦美ちゃんへの初めてのプレゼントよ!どうぞ!」

その時、睦美は、夕暮れ前の、まだ青い空を少しだけ見上げてから、灯里たちの方を向いた。
睦美は、嬉しかったのだろうか…。
灯里の言葉が、睦美に届いたのだろうか…。
いつの間にか、睦美は、満面の笑みを浮かべていたのだった。
少しは、安心し落ち着いたのだろうか…。
灯里も、職員たちも、そして児童相談所の女性までもが皆んな、顔を見合わせて笑っていたのだった。

第2話へ続く。
《Photo by 野原くうオリジナル》





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