「構想」と「実行」が一続きのモノづくり
年末近くに、たまたまテレビで目にしたマルクスの資本論。
仰々しくて難しい話かと思いきや、まさに、わたしの仕事スタイルそのものを解説してくれているような内容だった。
かつて、モノづくりというのは、構想と実行が統一されていたのだが、大量生産、分業スタイルが主流になって以来、構想と実行が切り離されてしまったのだという。
学校給食も例に出されていて、わかりやすかった。
給食室と給食センター。統一と分離。
ふむふむ、なるほど。
服作りに置き換えたら、うんと昔は、わたしのようにデザイン、パターン、生地選び、裁断、縫製、販売まで、一貫してひとり、または一箇所で行うようなスタイルがフツーにあったはずだ。
その時代には、じぶんのカラダや好みに合うものをしつらえてもらうことが、今より身近だったのだと思う。
大量生産に取って代わったことで、まあまあいいものを安く手軽に買えるようになった反面、生産者の顔は見えず、じぶんのカラダにまあまあ合うものを探し、気に入らない点があっても妥協するしかなくなった。
そして、溢れるほどの服が生産され、大量の服が廃棄されている…という現実。
この番組での「構想と実行が統一された労働は、豊かな労働」という言葉に、励まされたような気持ちになった。
構想と実行が一続きの服づくりに誇りを持っていいんだなと思えた。