10年、そして10年
10年前、東京にいた。某プロジェクトの最終の全体会議で、上司の代理でたまたま出席したのだった。会議の終盤、机の下にもぐったが、幸い低層階で物の少ない部屋で、よく揺れたね、程度で会議は続行された。終わって外に出てとんでもないことだと知った。
日付が変わって家に帰り着くまでに、嬉しい気持ちも、感謝も、そして嫌な気持ち、自分の嫌なところも見なければならなかった。10年たっても、時折ほんのり温かくなったり、チクチクと居心地が悪くなったりする。被災地ど真ん中ではなかったから、地震による怖さの経験というよりは、その後の人との接触で突き付けられたことだった。地震のときに、と言うにはあまりに周辺的で、被災者の方に申し訳なくなるので、誰かに話すようなこともほとんどない。
平和な家に帰り着いた後、この10年、何をしてきただろう、と思う。生かされた命を、どう使ってきたんだろう。
子育て。
ほとんどの時間がそうだったと思う。それを悔いる気持ちはないし、ありがたい時間だったし、真っ当な時間の使い方だと思う。そのために、周りの人たちからたくさんの助力を得た。色々猶予してもらった。幸運もあるが、それを超えて、感謝しかない。
まだ手が離れたとはいえないけれども、子どもたちが少しずつ自分の足で歩み始めた。この先の10年、猶予されていたものにまっすぐ向き合えるだろうか、そして、何かを返していけるだろうか。
この1年ほど、COVID-19関連以外でも、変化を感じることが多々あった。自分自身のことでも、取り分け、歳を重ねることについて、人生の後半に踏み込んでいるのだなと実感するできごとが増えた。多少抗ってはいるが、目をそらしているわけでもなく、さほどネガティヴに受け止めているわけでもない。たまたま人生の大先輩の声を聴く機会があった。その人が発するからこその重みをずしりと感じた。自分の変化を受け止めつつ、できれば楽しみつつ、今しかできないことに丁寧に向き合いたい。
この先1年だけでもどうなるか見えない。穏やかであって欲しいが、そうも言っていられないだろう。しなければならないという思いは空回りしがちだが、今だからさせてもらえるのだと感謝しながら進みたい。