くだらないの中に愛が(ポストカード・トーク199)
今日は珍しく早起きしました。たまには悪くないかなと思いつつも、眠い。やっぱり寝たい。そして気づけばもう199枚目。私がびっくりする。
こちらはマン・レイのポストカード。なんでハートが切れているのか、説明はありません。ハートブレイクというほどでもない裂け目。いや、風通しを良くするための通り道かもしれない。ネガティブとポジティブ、どちらにも取ることは可能。ちょっと無理やりかもしれないけれど。
今日は「くだらないこと」について。本当はくだらないとつまらないの比較でもしようかと思いましたが、既に先行したnoteが2件あったのでやめました。
ネガティブなくだらないには多分につまらなさが含まれそうだけれど、ポジティブなくだらなさには、それがないからいい(周りの受け止め方は別)。
愛すべきくだらないもの。突然発作的に鬼ごっこをしたくなる気持ち。学びを飛び越えた記事や作品(個人の意見です)。友人の落書き。カステラの紙についた皮の残りやおこげも、本質ではないからこちら側かな。もし至上主義の方がいたらごめん。
私の記事の多くもたぶんそう。スキ数とビュー数がそれを物語っているし、心震わせるほどのものは数としてあまりないだろう。自虐でなくそう考える(なお、マンガのレビューは含めない)。
そして「自分のnoteが好き」と思ったことは一度もなかった。
頑張って書いたものはあるし、ほめられたり役に立ったnoteも少しはあるけれど、それらは好きとはまた違う感情を抱かせるものだった。
でも、今気づいた。「総量としては好きかも」ということに。スイミーみたいに、小魚の群れが大きな魚を作るようなもので。
日記なら1年分、ポストカードなら200枚。全ての記事はあと少しで1000(ただ黒歴史をほっておいているだけ)。
その中にはネガティブな「こうげき」の成分もそれなりに溶けているけど、きっとどうにかスパイス的なアクセントになっているんじゃないかな。希望的観測。
まあ、くだらなさを愛しながら、明日も書くんじゃないかい? たぶん。
フルで聴きたい方はこちらを。
カードNo.199:マン・レイのポストカード テーマ:愛すべきくだらないもの タイトル:星野源「くだらないの中に」より