【イギリスひとり旅】 Vol. 0
辺りは光が差し込んだ朝靄の淡い色をしていて、目の前に川が横たわっている。こちら側の世界から淡く光る粒子が集まって言葉を形づくる。それが川を渡って向こう岸に届く。いつかこんな絵を描いてみたいと思う。
帰ってしばらくは写真を見返すのが怖かった。とにかく夢中だった。ずっと旅をしていたような気がする。目で見た風景が、静止した写真に上書きされることが苦しくて、溢れる記憶を言葉にしてしまうことがしばらくは恐ろしかった。ひと月ほど経って、ようやく心の根っこまで感覚が届いたような気がして、休みの日は回想をノートに記して数週間を過ごしていた。けれど一度に全ての記憶が思い出されるわけもなく、言葉からこぼれ落ちている部分が、回想からこぼれ落ちていく感覚が恐ろしくて、半分ほどで筆を止めてしまった。旅中はあれほど強く生きていたのに、反動のように今は臆病な自分を感じる。そうして5ヶ月が経った。忘れても覚えている。生きている内に何か書き残したい。写真を誰かが見える形で置いておきたい。川内倫子さんの写真集を見て、ある人が書いた柔らかくて美しい旅日記を読んで、イギリスで撮影した風景が、止まった写真としてではなく、豊かな感覚的な映像として脳裏に浮かんだ。ああ何かの形で残したいと、そう思った。
一度に上手く書かなくてもいい、重ね塗りでいい、やってみること。
大切なのは、出発することだった。
Feb. 2024