憧れで雑記
「憧れ」について書きたくなったので筆をとる。
あなたは何かに憧れていますか?
小さい頃の「将来の夢」なんかは自分の未来像に憧れたもので、初恋は、自分とは違う美しさをもった誰かへの強い憧れで、いまだに僕は、そういった感情に導かれて生きている。私は憧れへの流れである。どれだけ絶望的な世界に見えても、絶えず美しい方へ向かっていこうとする流れとしての今が自分であると思っている。
“アイデンティティ”という言葉があるが、そもそも自分とは何なのか
どこまでが自分で、どこからが自分以外なのか
その境界線はどこなのか
私は、自分というのは自分だけでは出来ていないと思っている。
これまで沢山の人たちに出会ってきて、ふとした表情や仕草のひとつ、話し方やものの見方、服装や発想やいろいろ。いっぱい感動してきた。たくさん気付かされて、何回も憧れて、その好きな人たちはきっと、自分の中にも生きている。ふと、自分ではないような良い言葉が出てきたり、好きな人のくちぐせが移ったり、誰かに成りきったような自分に驚くことがある。
家族や友達や俳優やアーティスト、本や映像、それから、音楽や絵画や漫画、timelessな作品に触れて感じたものも、旅先で出会った人や風景にも、たくさん心が動いて、その感情の分だけ強く記憶に残ってくれている「言葉になる前の何か」がきっとあって、
感動するたび、出会う前の自分から舵をきったようにゆっくり変わっていく。ひどく美しい風景を見た日から、その人は少しずつ変わっていく。その度に、自分が「心の底から進みたい方向」みたいなのが少しずつわかってくる。
憧れることは変化を讃えることで、生きていくことを讃えている。
もう少し言葉を選んでみる。
生まれたときの遺伝的な情報があって、これを時間変化する“関数”みたいに捉えると、そこに外部の要因も作用して変化していく。沢山の人や体験と相互作用しながら人は成長していく。その外部作用の影響力は、好き嫌いといった感情によって重み付けされていて、大きく心が動いたときは、その分大きく影響されていく。だから、今の自分は、出会ってきた人や体験や場所や作品や、、、生きてきた全てが関係して出来ている。(感受性もそうだと思う。今感じているこの感覚は今だけのもので、それを肯定することは、生きてきた全てを肯定することになると思う。)とりわけ、憧れたもの、深く感動したものに大きく影響されている。当時はそれほど意味をなさなかった体験も、記憶を回想することによって、新しく現在に影響がフィードバックされることもあると思う。もっと複雑だろうか。
だから、自分の中には、自分の好きな人、好きだった人、感動した体験、お気に入りの物、それらから育った「憧れ」が息づいている。自分の中の好きな感情の源泉。
ときどき、人目見ただけで直感で凄い人だとわかるような、自然な立ち居振る舞いで軽く人の心を動かしてしまうような、オーラを纏った人がいると思うのだが、そんな人になりたい。内的な動機と、外的な動機と、感染動機。
それから、自分がすっかり溶けてしまったような感覚はきっと誰でも快いもので、たとえば、静かな湖面に浮かんだボートに寝そべって澄んだ空を見ていたり、温泉に入って地球スープの具材になったり、サウナの外気浴で、巻き上げるように肌をすべる風に自分と外気の境界が曖昧になったような感覚を味わったり、渓流のサウンドスケープに包まれたり、それからそれから、物語の人物にすっかりなりきって本を読んだり、想像したり、二人でいるときに相手になりきったように意識を向け合ったり、言葉を介さない遊びに夢中になったり、ただただ草原を裸足で駆けたり、スポーツや作業で集中してゾーン状態に入ったり、ライブで沢山の観客と同じ音楽に乗って会場が一体になったり、そういうときは「生きてる…!!」って感じを強く覚える。
この感じをなんと呼べばよいか、でもその感じは、自分と自分以外の境界が曖昧になるという点で「憧れ」に近い気がしていて、多分、自分の望んでいる方向のひとつなんだと思う。言葉や思考からの解放でも望んでるんだろうか。
自分の中の自分じゃない部分、幼い頃から変わらない自分への懐かしさと、数万年前からほとんど変わらない自分への懐かしさ。
便利なものをありがたく使って、便利なことによる副作用で失ったものを治療してやって、そしたら両方楽しめるだろうか。
あるいはこうして書いてきたことは自分特有のもので、ある種、病的なものなのかもしれない。少なくとも自分は今まで、今も、憧れに突き動かされている自覚がある。出来るできないじゃなくて、結果がどうなるかじゃなくて、そこに向かいたいという感情に焦点を当てて生きるのが単に好きなのである。大人になっても、どれだけ学んでも、何度絶望しても、その先で、子どもみたいに夢を見て生きていたい。生きていくことを讃えていたい。曲がり角の先に見える風景を、あの丘の向こうに広がる風景を、外側に開けた世界を想像して、夢中になって歩いていきたい。
何かまとまっていないことをつらつら書きました。ここまで読んでくれた方いたら、本当にありがとうございます。話がしたいです。
6/1 新幹線にて 詩のようなもの
私はあなたとの間にある
私の中には憧れたあなたが響く
私は望みへの流れである
私は緑に囲まれていて
私の中にも自然がある
空の高い雲とも繋がっている
私は大きな流れの中にいる
何かに夢中になっているときは
木漏れ日にとけるように
目の前に世界が開けている
毎日新しい
旅をしている