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障害開示について②

みうからの質問「弱みを伝えるのはどうして?」への回答note、第2段。
こんにちは!くつばこ+のせんです。ササッとイラストが描けたり、かわいいレイアウトが思いつく人、羨ましいです。(ただいま先輩のアルバム作りに苦戦中)

昨日のnoteで、せんは障害や苦手なことを開示することが多いという話をしました。今日はその続きです。

☆開示は自分のため

みうのnoteに、開示の最大のメリットは「障害による不利益をなくすこと」とありました。せんもその通りだと思っています。なので開示をすることが多いんです。「不利益」というとなんだか大げさに聞こえてしまいますが、単純に、授業の内容を知りたい、友だちとの会話に混ざりたいなど、ひとつひとつはこういう小さな思いなんです。言ってしまえば私の欲。この欲を満たすために開示しているわけです。

☆開示しないことで迷惑をかけるのが辛い

もうひとつ大きな理由として、チームで動く時に迷惑をかけたくないという気持ちが強くあります。難聴のことを何も言わず、その結果聞き取れずにミスをした場合、後から「聞こえなかったのでできませんでした」というのはよくないと思うんです。「先に言ってくれれば何か工夫をしてミスを防げたのに・・・」と思わせてしまうと、その後の信頼関係にも影響してきます。もちろん配慮をお願いする申し訳なさはあります。何も考えずに自分が話しやすいように話す方が楽ですし、補聴器に声が飛ぶマイクも、小型とは言え首から何かがぶら下がっているのは邪魔です。しかも話す人が変わるたびにマイクを回してもらわないといけない。毎回「すみません、お手数おかけします・・・」と思いながら、それでも必要な場面ではお願いしています。

その理由は、難聴に限らず配慮をお願いする申し訳無さよりも、ミスをして周りに迷惑をかける申し訳無さの方がせんの中では大きいからです。実際くつばこ+の中で、一度この失敗をしました。苦手なことを「やります」と言って、結局一緒にやっていた人たちに迷惑をかけることに。あの時の申し訳無さと悔しさは、今でも残っています。

☆存在を知ってもらえるといいなという思い

せっかく仲間に入れてもらえたのだから、何か役に立ちたいという思いもあります。難聴の経緯にしろ外斜視にしろそこそこ珍しい人間(?)な気がするので、何か小さなことでもせんに出会ったメリットがあればいいなと思っています。障害や特性を開示することで、「ほう、こんな人もおるんか」と新たな発見になったら嬉しいですし、そこからその人の世界が広がればこれ以上嬉しいことはありません。そういう意味を込めた開示もたまにします。

☆すごいって言われるけど・・・

障害や苦手なことを開示すると、「すごい」と言われることがあります。特にみうからは、高校時代から障害受容・開示について何度も尊敬の眼差しを向けられました。ただ、自分ではすごいことをしているとはまったく思ってないですし、むしろ、「単に自分の欲を言ってるだけなんだよな」「何かが出来ない言い訳になってないかな」と後ろめたい気持ちになることがあります。「すごい」の眼差しがちょっとしんどいなと感じるときも。
たまたませんはこの形が合うだけで、「これが開示の正解」というものはないと思うんです。受容や開示には、きっといろんな形があります。「誰か」の形にとらわれず、自分の形を見つけて、それに納得できたらいいなと思っています。

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