『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』
こんばんは、くつばこのりこです。ノート担当のうたが毎日毎日更新してくれていますが、「記事がないよ!」と困っているのがよくわかります。ごめんね。ってことで今日は最近見た映画についてその1、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』をご紹介します!
〇支援者と筋ジスの鹿野が繰り広げる温かい物語
夜中にAmazonプライムで、布団の中で見たんですが、泣きました。時間帯のせいもあるけど。とにかく人が温かくて、ほほえましくて、かわいくて。この物語は、筋ジストロフィー患者の鹿野さんと、その生活を24時間交代で支えるボランティアたちの強く「普通」の日々の物語です。物語の1つのテーマは、筋ジスの鹿野さんの生きざまですが、それとは別に、当たり前に、取り囲むボランティアの人々にもそれぞれの人生の物語があります。鹿野さんの周りでは、三浦春馬さんと高畑充希さんの恋愛も。人と人が関わること、その全方向への双方向的な関わりの織りなす網が鹿野さんを支えていました。
〇障害者が自分の生きたいように生きることの問題提起
タイトルにもある通り、ボランティアが眠そうにしている夜中に、「バナナ食べたい」とバナナを買わせに行くシーンがあります。「夜中に人にバナナを買わせに行くなんて」と思ってしまうのも無理はないですが、じゃあ鹿野さんは自分の人生を誰かの都合にすり合わせなければいけないのでしょうか。
ボランティアは、ボランティアである限り、鹿野さんの意思を尊重すべきで、鹿野さんが気を使う必要はない、と思います。夜中に鹿野さんが「ばなな食べたい」と思って、買いに行っちゃうような人なら。(映画の中ではそのような行動力を見せていました)脳が手や足に指令を出すレベルで、ボランティアに依頼をして構わないと思うのです。もちろん、自分がやるんだったらやらないけど、人がやってくれるから頼む、というのは違うと思いますが。
ふと考えたことは、将来、ロボットが支援するようになったらどうなるのでしょう。当事者は自分の要求をすべて伝え、叶えられるとして、「自立生活」は送れますよね。
でも、人が関わることにも意味があると思います。鹿野さんのボランティアをすることは、鹿野さんから多くのことを学ぶ、ということでもあります。この物語の中で、ボランティアと鹿野さんはお互いにwin‐winでした。
〇障害者の自立生活はまだまだこれから
障害がある人は、施設に入っておけばいい。そんな考えは、まだまだ大きいです。施設に入れないなら、家族が責任を持て。介護を含め、家族のみがその世話をするべきだという考え方は、時代錯誤になりつつあります。自立生活を望む障害者は、介助者や作業所などを利用して、一人暮らしをするという選択肢があります。行動に制限がかかる施設よりも、自分らしくいきれる場合があります。
次回はそんな生活を描いた映画、「道草」をご紹介します。
〇キーパーソン、三浦春馬さん
最後にちょっと脱線。三浦春馬さんは先日亡くなりました。この映画では、重要な役で出演していました。メディアやSNSでは、三浦春馬さんの死を叫び、嘆き、時には大した感情もなく書き、ただの興味で触れています。私は「自殺」にとても弱いです。具体的な理由は避けますが、原因は過去にあります。誰かが自殺したということを聞くだけで、かなり気分が沈みます。何か黒い重いものが押し寄せてきます。私以外にも、そういった人は多くいると聞きました。コロナでストレスがたまる日常を送る人も増えている中、「自殺」に対する報道の仕方を考えてもらいたいなと感じます。
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