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せんのこと② ~中途難聴編~

前回に引き続き、せんの難聴について。

今回は、「言葉の勉強はどうやってしたの?」という質問に悩む“中途難聴者”編。
こんにちは!くつばこ+のせんです。この前みうに久しぶりに会って、指点字を打ち合いっこしました。2人とも打つ経験はあれど打たれる経験はなく……全然わかりませんでした。修業が必要です。

※今回の内容はあくまでせんの個人的な経験・思いなので、「こういう人もいるんだなー」程度に読んでもらえると嬉しいです。

☆難聴の経緯

せんはずっと聴者として育ってきましたが、日常生活の中で聞こえていない、聞き取りにくい時、会話についていけない時はちょこちょこありました。ですがそれが普通だと思ってたので、特に病院は行かず。小学生の時、朝礼や運動会の校長先生の話とかあまり聞き取れていなかったのですが、みんな同じだと思っていて、誰も聞いてないのになぁとか思っていたり。
中学生くらいから頻繁に聞き取りにくいなとは思っていましたが、視力のこともあり席が常に一番前だったので、授業がわからないということもなくそのままに。高校生になって明らかな聴力低下を自覚してやっと病院に行き、中等度難聴と診断されて補聴器装用を開始…とこんな感じです。なので実は、補聴器使用歴は4年もないんです。

☆難聴と言われて感じたこと

自分の難聴について説明する時に「中途難聴です」と言うと、「難聴という診断がついた時ショックだったんじゃない?」と言われます。口に出さなくても心の内で思う人も多いのかな?と思うのですが、せんの答えはNO。
実は自分が難聴になる前に、友だちを通して聴覚障害・手話に出会っていたので、ろう難聴や手話は憧れの世界でした。その憧れが強すぎて、自分もその世界に入りたいとさえ思っていたんですね。なので難聴の診断が降りた時は、「やっと友だちの世界がわかる!」と思いました。あとは、前から聞こえにくさは感じていたので、「聞こえにくかったところが補聴器で聞きやすくなるかな?」と思ったりと、ずいぶんポジティブでした。ここは本当に友だちのおかげです。
じゃあそれなら、当事者になって、憧れの世界に入れてよかったねとなりたいところなんですが…

☆後天性ゆえの罪悪感

気持ちを複雑にしたのは先天性と後天性の違いでした。この2つの大きな違いは、言語獲得期に聞こえていたか否かで、ここは音声言語で生きる人にとってはとても大切なところです。
本や映像などで、先天性の人が言語獲得までに色んな経験や思いをしているエピソードに触れるたび、「先天性の人はみんな何かしらの形で努力しているんだな」と感じました。誤解を避けたいのは、「障害者はみんな努力するべき」「努力しててすごい」という考え方ではないということ。私の中の感情として、多くの人は幼少期努力してるのに私はのんきに過ごしてたなぁという罪悪感、劣等感みたいなものがある、という感じです。

☆そこからくる葛藤

そうなると、色々葛藤が出てくるんですね。こんな私が先天性のみんなと同じように「難聴者」と言っていいのかな、とか、困りごとを発信してもいいのかな、とか。過去の話は関係なく今困っているなら困っていると言えばいい、そう言われることはわかっているのですが、なかなか心の中では踏ん切りがつかないなぁと。

日本手話で育ったろうの友人を見ていると、その人のようにろう者としてのアイデンティティがちゃんとあって、誇りがあって、ろうの魅力を素直に伝えられたらどれほどいいだろうと思っていました。でも、このどっちつかずな中途の中等度難聴をそのまま伝えることで、こんな難聴者もいるんだということを知ってもらうのが私の役目なのかな、と思うことに。

そんなこんなで中途半端なせんの耳ですが、これからも気長に付き合っていこうと思います。最後まで読んでくれたみなさん、ありがとうございました!

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