あなたみたいに優しいヤクザはいない(4/7)
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流渡は目を細めた。
「僕は大金持ちの豪邸で父親と一緒にコックを務めていた。そこのお嬢さんとは小さなときからずっと一緒だった。二人ともオタクの趣味があって。『ライオットボーイ』は知ってる?」
「うん。あんた漫画なんて読むの。意外!」
「僕たちの暮らしていたフォートはフォート教育委員会って言うのがあって、未成年が有害指定図書を読むのを禁じてた。子どもは漫画を買えないようになっててね。でも僕はお嬢さんと仲良くなりたくて、父親のタブレットを持ち出して、お嬢さんと一緒にこっそり読んだんだ。それからずっと僕たちは共犯者だった」
「お嬢さんはあなたのこと、好きだったの?」
「いや……身分が違ったし。ただの友達だと思ってたみたい。僕はずっと好きだったんだけどね」
流渡は自嘲するように笑った。
「血を授かった(血族化した)とき、僕はそういう……世の中とか社会のルールを飛び越えて、お嬢さんと対等になれたと思った。すごい力が手に入ったんだって。でも、結局はその力に振り回されて……」
彼は搾り出すように言った。
「お嬢さんの父親はお嬢さんを強引に権力者と結婚させようとしてたんだ。仕事の都合で。僕はそれが許せなくて、お嬢さんの父親を殺した」
雨奈は目を見開いた。おびえている様子ではなく、信じられないという面持ちだった。
「あんた、人を殺したの……?」
「ああ。そのことは後悔してない。あんなヤツは死んで当然だった。でも……それでも、やっぱり……何かが間違っていたんじゃないかって思うんだ。お嬢さんは泣いてたんだ」
「過去を変えられたらって思ってるんだね」
「そうだよ。君だって同じじゃないの?」
雨奈は視線を伏せた。
「そうだね。変えられたらいいのにね……」
彼女にも胸に秘めた後悔があるのだろうと流渡は思った。
雨奈は言った。
「それでヤクザになって、今度こそ一人前の男になって。お嬢さんを迎えに行きたいってこと?」
「そういうこと。過去は変えられなくても、未来を変える努力をしなきゃ」
「ふうん……」
雨奈は物珍しそうに流渡を見た。こんな人に会うのは初めてというように。
「ねえ、ここで寝ていい?」
流渡はちょっと考えてから言った。
「じゃあ僕はどこで寝るの?」
「うーん……一緒に?」
雨奈が微笑むと、流渡は苦笑した。
「僕は床でいい。先に寝なよ。僕は勉強をしなきゃ」
そう言って流渡は調理師免許の参考書を取り出した。資格を取るためずっと勉強をしているのだ。
雨奈はそれを見ながら横になり、囁いた。
「あんたみたいなヤクザっていないよ」
彼女はやがて静かな寝息を立て始めた。
流渡はそれを背で聞いていた。部屋の中は雨奈が発するバニラの香りが立ち込めている。勉強に集中しようとしたが、なかなか難しかった。
* * *
パーガトリウムに仕込んだドローンで、デッドフレッシュが店に顔を出す日と時間がわかったのだ。
カダヴァーは襲撃の準備を整え、当日は事前にパーガトリウムに潜入しておくよう流渡と雨奈に命じた。
「夜九時にデッドフレッシュが店に来る。流渡と雨奈、お前らはあらかじめ客として店に入っとけ。デッドフレッシュが店に来たら居場所を報告しろ。俺はデッドフレッシュとマンツーマンでやる。流渡はウマと拷問野郎を殺せ」
作戦決行当日の夜。
前回と同じく、着飾った流渡と雨奈はワゴンからタクシーに乗り換え、パーガトリウムに向かった。今回は店の周辺に車が数台、待機している。中にはカダヴァーとウマノホネ、そして肋組の組員たちが息を潜めているのだ。
流渡と雨奈は客席でまたも胸糞の悪くなるショーを見せられた。今夜は舞台で男娼同士、娼婦同士が絡み合っている。
雨奈は流渡にぴったり体をくっつけ、ずっとこちらを見上げていた。彼女の胸が腕に当たっている。流渡は突き放すわけにもいかず、ひどく気まずい思いをしていた。
流渡は落ち着きなく何度も腕時計を見た。デッドフレッシュが来るまであと一時間半。今夜は拷問官の姿は見えず、ドローンの盗聴によると地下室にいるということだった。そこで何をしているのかはわからないが。
不意に、流渡たちの席にぬうっと人影が現れた。パーガトリウムの黒服だ。
「お客様。お邪魔をして大変申し訳ありませんが、うちの店長がぜひお話をしたいと」
流渡と雨奈は顔を見合わせた。
「え……僕らと?」
従業員はぞっとするほど無機質な笑みを作って頷いた。
「はい」
(バレたか?!)
流渡は耳の穴に超小型の通信機を入れており、この会話は店外で待機しているカダヴァーにも聞こえている。
カダヴァーは通信機越しに言った。
「落ち着け、まだバレたとは限らん。とりあえず言われた通りにしとけ」
流渡と雨奈は席を立ち、黒服についていった。
廊下にあの拷問官と黒服たちがいた。間近で見る拷問官は異様にひょろ長い長身で、血に汚れたエプロンをつけていた。胸元には翼を意匠化した銅色のバッヂ。顔は包帯を巻きつけて覆い、口と目元だけが覗いている。
「はじめまして。車裂《くるまざき》です。エー……失礼、こんな格好で。エヒヒ」
その声に含まれた狂気に流渡はぞっとさせられた。血を授かった者の中には血族化のショックに耐え切れず精神に異常をきたし、発狂する者が少なからずいる。車裂は間違いなくそういうタイプだった。
車裂は異様に長い指を流渡に差し出した。
「エー……神崎《かんざき》様、失礼ながら会員証を拝見しても?」
「最初に見せたと思うんですけど」
「エヒヒ! 手間を取らせて申し訳ありませんが、もう一度だけ」
不気味な愛想笑いに気圧され、流渡は会員証を出した。車裂はそれを指でつまみ上げてじろじろ眺めたあと、視線を流渡に落とした。
「これ、あなたのモノじゃないですよね? ちょっと用があって、本来の持ち主に連絡したんですよ。そしたらその方、つい先日に自殺していたらしくて。借金がかさんでたようで」
(クソッ……)
流渡と雨奈の首筋に脂汗が噴き出した。
車裂は流渡に向かって目を凝らした。
「エー……あなたは誰なんですか? 肋組の者ですか?」
「……」
流渡は判断を取りかねた。逃げるか、それとも破れかぶれで奇襲をかけるか。カダヴァーは何も指示をくれない。
数秒の後、車裂は急に体から力を抜いて笑い出した。
「エヒヒヒ! 違いますよねェ。エー……あなたはとてもヤクザには見えない。いいとこのお坊ちゃんだ。見ればわかります。どうにかして会員証を手に入れ、興味本位で潜り込んだ……というところでしょう?」
流渡は雨奈と顔を見合わせ、夢中でうなずいた。
「えっと……はい。その通りです。ごめんなさい」
「エー……素直でよろしい。我々としても面倒はゴメンですし、他のお客様のご迷惑にもなりますからねェ。エー……今すぐ店からご退出していただければ、それでよしということで」
面倒臭そうに手を振る車裂に、流渡はほっとして頭を下げた。
「ありがとうございます」
カダヴァーが通信機越しに言った。
「ヘッ! 流渡、お前の育ちが役に立ったじゃねえか。ちょいと予定が変わっちまったが、まあしょうがねえ」
流渡が雨奈の手を引いて行こうとすると、車裂が言った。
「エー……ああ、ひとつだけ条件が」
「え?」
車裂は指先を雨奈に向けた。雨奈がびくっとした。
「そちらの娘さんを置いて行ってください」
車裂は雨奈を見下ろした。その血反吐のようにドロドロした目には、おぞましい欲望の光が宿っている。人間など使い捨ての性的玩具でしかないという狂的な意思がありありと見えた。
流渡は思わず雨奈を守るように立ちはだかり、車裂を睨んだ。
「彼女をどうする気だ」
「エヒヒヒ! あなたの知ったことじゃありませんねェ。エー……どうせそのへんで拾った売春婦か何かでしょう? 惜しむこともありますまい」
「ダメだ!」
思わずそう叫んだ流渡に対し、車裂は声色の威圧を強めた。
「エー……私は構いませんがね。地下室に運び込む一人が二人になっても」
「しょうがねえ、雨奈を行かせろ。お前だけでも戻って来い」
カダヴァーの無慈悲な声が通信機からした。彼もまた血族であり、人間など使い捨ての道具としてしか見ていないのだ。