嵐の前(4/4)
4/4
昴が玄関を見ながら言った。
「帰しちゃっていいの? 私たちのことを報告するかも」
「うーん……それなら今夜会いに来た理由はなんだ? ヨウカン持ってさ」
日与がヨウカンを取り出して食べる姿に、昴が驚いた顔をした。
「食べちゃうの!?」
「うまいぜ」
日与はヨウカンをちぎって昴に渡した。昴は匂いを嗅ぎ、それを食べた。
「あ、おいしい」
日与は言った。
「あいつ多分、嘘は言ってない」
「何でわかるの?」
「見ろよ、これ」
日与はツナギの袖をめくり、腕を昴に見せた。鳥肌が立っている。彼はごくりと唾を飲み込んだ。
「あいつが本気じゃなかったっていうのだけは絶対にマジだ。その気になれば俺をいつでも殺せた。今でも」
昴は笑い声を漏らした。
「〝血羽の鳥肌〟ってなんか笑えない?」
「俺はマジの話をしてんだよ!」
* * *
天外郊外、とある総合病院。
真っ黒な翼を生やした九楼は、自分の病室に窓から入った。急いで患者着に着替える。
彼はこちらへ向かってくる足音に気付いた。
(うわ、ヤベェ!)
足をスラックスに引っかけて一度転びながらも、あわてて着替えを終えると、何気ない様子でベッドに腰かけて雑誌を広げた。
足音は病室の前で止まり、ドアをノックした。九楼が返事をすると私服のヒッチコックが現れた。パーカーのフードの中には暗闇しかなく、赤い瞳の目とギザギザの歯を持つ口だけが浮かんでいる。
九楼はさも驚いた顔をして雑誌を閉じ、彼を出迎えた。
「やあ、ヒッチコック殿! 見舞いとは嬉しいですなあ」
「元気そうで何よりです、九楼殿。こんな時間に申し訳ない」
ヒッチコックは花束を差し出した。
「いやいや。オッ! お花ですね。見舞いに黒バラとはまた何とも、その……いい趣味ですね」
「あなたは黒がお好きでしょう」
「まあね、ハッハッハ」
九楼は花束をテーブルに置くと、ベッドに腰かけた。ちらりと外を見る。
ピチチチチ……!
窓辺に黒い小鳥が数羽止まり、さえずっている。眼がなく、暗黒から切り抜いたような姿をしている。
九楼はコントロールパッドをヒッチコックに投げ渡した。
ヒッチコックはそれを受け取った。革の手袋をつけており、袖との間にわずかに見える肌は顔と同じ暗黒であった。
九楼は自分のコントローラーを手に取り、ベッドに座った。
「『ライオットボーイ ザ・デュエル2』は?」
「買いました」
「ちょうどいい! 揉んであげましょう」
九楼はゲーム機を起動すると、病室の入り口をちらりとうかがってから、枕の下から日本酒の小瓶を取り出した。ひと口飲み、ヒッチコックに回す。
ヒッチコックは受け取って自分も飲んだ。
最新のゲームを二人でプレイした。九楼は頭を掻いた。
「うーん、勝てんなあ!」
「あなたは本気になっていない」
「まさか? ずっと本気ですよ」
ヒッチコックは静かな口ぶりで言った。
「〝血盟会最強〟など侮辱に等しい二つ名だ」
「え?」
「あなたはいつだって本気を見せない。私と戦ったときも手を抜いていた。気付かなかったとお思いか」
九楼は片眉を上げ、いぶかしげにヒッチコックを見た。
「……ゲームの話ですよね?」
「いいえ」
窓辺にはいつの間にか、さらに多くの黒い小鳥が止まっていた。
「俺が手加減をしてわざと負けたと?」
「そうです。私は血盟会最強の名を賜りながらも、会長が真に信頼していたのはいつだってあなただった。私はそれが気に入らなかった」
バキッ。
ヒッチコックが握り込んだコントローラーが砕け、潰れた。
「会長はあなたのことを〝そろそろ裏切るころだろう〟と言っておられました」
九楼は悪びれた様子もなく、頭を掻いた。
「へえ、あの坊ちゃんがねえ。いい勘してるじゃないか」
「あなたを排除する。これは会長直々の命令です」
ピチチチチチチチ……!
ふと外を見れば小鳥の大群が飛んでいた。巨大な黒い竜巻と化して病院の周りを旋回している。
異常に気付いた入院患者や看護士たちの悲鳴が廊下から聞こえてきた。
「あなたと一番付き合いが長いということで、他の古参を差し置いて私が来たのです。ゲーム仲間が減るのは残念だが」
九楼は苦笑した。
「なるほど。それは痛み入る」
ガリガリガリガリ!
小鳥の竜巻の半径が狭まり始めた。一羽一羽が弾丸並みの貫通力を持つ小鳥たちは病院の外壁を徐々に削り取った。
騒ぎの中には悲鳴が混じり、非常ベルの音なども聞こえた。小鳥の群れに囲まれた病院は、両側からぐるぐると齧り取られたリンゴと化して行く。その渦の中心に今、九楼とヒッチコックがいる病室が残されている。
鉄筋コンクリートを削り取る音、そして小鳥の鳴き声とはばたく音で耳をつんざかれんばかりであった。その中で二人は向かい合っていた。
九楼はヒッチコックに心からの言葉をかけた。
「あなたは本当に強いですよ、ヒッチコック殿。ただね、俺のシナリオの主役に据えるには自主性がなさすぎた」
ヒッチコックは一切の感情を表に出さない。ただひと言、友人に向かって呟いた。
「結局、あなたも私を止められなかった」
ドドドドドドドドド……!
九楼の姿は小鳥の群れに飲まれ、消えた。
テレビには〝ゲームオーバー〟の文字が表示されていた。それもまた小鳥に削り取られ、塵と化した。
小鳥の群れは水銀のように絶えず形を変えながらヒッチコックへと殺到し、フードの中の暗黒へと吸い込まれていった。
周囲を完全に削り取られ、リンゴの芯のようになった病院の一部分だけがそこに残されていた。そのわずかなスペースに立ったヒッチコックは、パーカーのポケットに手を突っ込んだまま中空を見つめていた。
彼の心はうかがい知れない。パキパキと音を立てて足場が崩れ始めた。崩れ落ちる前にヒッチコックは地面に飛び降り、その場を後にした。
その数秒後、一羽のカラスが近くの建物に舞い降りた。小鳥の群れに紛れ込んでいたのだ。カラスが黒い羽を周囲に大量に散らして消えると、そこには九楼が立っていた。
「凶鳥家は鞍馬家の遠縁なのさ。凶鳥家の始祖にその能力を教えてやったのは、実は俺なんだよ。かわし方も当然わかっていますとも」
九楼は屋上の縁まで歩き、市《まち》を見下ろした。
彼の表情は劇の開幕を待つように浮かれていた。
「さあ、後は若いヤツらに任せて高みの見物と行こう。おお愛しき混沌、麗しの地獄よ!」
(続く……)