痛みを紡ぐ女(7/7)
7/7
両者のバタフライナイフと短剣がすさまじい速度で切り結ぶ!
ギギギギギギギン!
フェーレースのダメージは大きい。疵女が押し返している。
「ハァーッ!」
疵女はバタフライナイフの柄の底に左手の平を押し当て、体当たりしながら切っ先をフェーレースのみぞおちにえぐり込んだ。
ドッ!
「ぐうっ」
フェーレースがうめき声を漏らし、怯む。
疵女はバタフライナイフから手を離し、柄の底に渾身で膝蹴りを入れてさらに深々と突き刺す!
ドゴォ!
膝蹴りを受けて数歩後退したフェーレースの近くには段ボール箱! 疵女は叫んだ!
「ヘイ、ボーイ! 一一二二番起動!」
「チィッ」
フェーレースは舌打ちし、その場から飛び退いた。
ドォン!!
段ボール箱が爆発!
フェーレースは腹からバタフライナイフを抜き、疵女に投げる!
疵女はそれを腕で受けた。
ドスッ!
腕に突き刺さったそのナイフをすぐさま引き抜いてフェーレースに飛びかかる!
フェーレースは素早く左手を左右に振った。一度振るごとに黒い霧が流れ、何もない空間から短剣が現れた。数十本の短剣すべてが弾丸のように疵女に向かって飛び出す。
「血を授かって日の浅いあなたは知らないでしょうけれど。闇撫家はこんな黒魔術も使えるのよ」
ドドドドド!
とっさに両腕で頭部を守った疵女に次々に短剣が突き刺さる!
「ハアアッ……!」
体に何十本もの短剣が突き刺さった疵女は、血の混じった息を吐き出した。片手を段ボール箱に当て、ギフトを発動させる。
胴体に刺さった短剣が抜け落ち、傷が修復したが、完全回復にはほど遠い。脆弱な人間の体では譲り渡せるダメージ量が小さすぎるのだ。
「言ったでしょう、いい考えじゃないって!」
再びフェーレースは手を振ってさらに短剣を大量に出現させ、疵女に放った。
疵女にはかわせる余裕がなかった。
ドスドスドスドス!
フェーレースは段ボール箱すべてにも短剣を放っていた。段ボール箱に短剣が突き刺さり、血が噴き出す。フェーレースは棒立ちになっている疵女の喉を手で掴んだ。そのまま片手で疵女の体を吊り上げた。
「おしまいよ、姉妹《シス》」
ギフト! フェーレースのダメージが疵女に流れ込む! 疵女はか細い悲鳴を上げた。
「あああああ……!」
「あなたほどしぶとい姉妹《シス》はいなかったわよ。血を授かるときもそうだった」
血族は吸血鬼と似ていて、血族が人間に血を授けることで血族化する。血を授けるというのは便宜的な言い方で、実際その方法は家系によって様々だ。
闇撫家の場合は拷問だ。闇撫家血族が対象となる人間にありとあらゆる拷問を施し、何時間かごとに生贄の人間に触れさせてギフトを使えるようになったかどうか見る。使えなければまた拷問する。これを死ぬまで繰り返す。
つまり、血族化して拷問のダメージを生贄に譲り渡さない限り死ぬしかないのだ。
「闇撫家は拷問に長時間耐えたほうがより濃い血を授かると言われていてね。普通なら二時間から三時間くらい。それを過ぎたらだいたい死ぬ。だけどあなたは……時間の感覚がなくなっていただろうからわからないでしょうけれど、十時間も耐えたのよ。そして血を授かった」
「ゴボッ……」
疵女はフェーレースを見た。
「まだ死んでないですよ、姉妹《シス》」
「今から死ぬわ、姉妹《シス》」
フェーレースは疵女の胴体に刺さった短剣を一本抜いた。
スパン! スパン! スパン! スパン!
右腕、左腕、右足、左足。疵女の四肢を切断したあと、短剣を逆手に持つと、右目に突き刺した。
ドゴッ!
疵女の眼窩を貫き、切っ先が後頭部から飛び出す!
フェーレースは疵女を放り出した。疵女はすぐ足元にあった段ボール箱の上に倒れ込んだ。
哀れみを込めてフェーレースは呟いた。
「あなたの舌触りが好きだったわ。地獄で会いましょう、姉妹《シス》……えっ?!」
フェーレースはぽかんと口を開けた。疵女は生きていた。頭と全身に短剣が突き刺さったまま、残った眼でフェーレースにウインクしたのだ。
フェーレースはもはや呆れるしかなかった。
「それで? それから……どうするの、イモムシさん? 手も足もなくて」
「ヘイ、ボーイ! 六六六三起動!」
ドォン!
爆風が疵女の体を吹き飛ばした。フェーレースのいる場所へと。
ドッ。
疵女の体がぶつかった瞬間、その全身がまとっていた黒い霧がフェーレースに乗り移った。
「あああああああ!!」
フェーレースは絶叫した。
疵女は生えてきた両腕でフェーレースを抱き締めた。無尽蔵に湧き出す黒い霧が大きな掌の形になり、フェーレースを握り締める。
黒い霧の中でフェーレースの両腕が消滅し、両足がそれに続いた。同時に全身に次々に傷口が開いて行く。それは疵女が負った短剣の傷、そして爆弾のダメージだ。
「地獄なんて……アハハハ!」
疵女は絶叫した。
「私は血を授かったとき、地獄《こっち》に帰ってきたんですよ! この雨ざらしの地獄に!」
「ああああ! ああああああ!!」
「言いなさい! 櫃児くんを殺すと言い出したのは誰!?」
フェーレースは死に際、ある血盟会メンバーの名を吐いた。しばらくした後、もはや疵女の腕の中にあるのは挽肉の塊だった。疵女はそれを地面に落とすと、頭を踏み潰した。
グシャア!
* * *
疵女は宅配物集積所を出た。
なだらかな坂道の下に天外の夜景が広がっている。疵女はその混沌の光に眼を細めた。
(あなたにだけはキレイな色に見えていたんですね。この市《まち》も、私も。人の痛みすらも)
疵女は櫃児に心の中で囁きかけた。
(私の世界は痛みと憎悪で紡がれていた。父は私へ。私はもっと弱い誰かへ。その誰かもさらに弱い誰かに憎悪を譲り渡していたでしょう。それなのに、あなただけが。櫃児くん、あなただけがそれを自分のところで解《ほど》いていた。いっぱい傷付きながら)
両手の指を広げ、夜景にかざした。何も塗られていない爪越しに市《まち》が見えるように。だが櫃児に見えていたものは、疵女には見えなかった。
フェーレースが吐いた血族の名は、血盟会メンバーの一人であった。顔見知りの姉妹《シス》の一人だ。
あの女を殺す。櫃児が受けた痛みを味わわせ、苦痛の中でのたうち回らせて殺す。
疵女は桂馬が待つ車へと戻った。自らの故郷、雨ざらしの地獄に帰るため。
* * *
紡は桂馬の家の前で彼を降ろした。
「じゃあね、桂馬くん」
疵女は手を振り、車を出した。
桂馬は無言で見送った。なぜ紡が自分を連れ回していたのか、桂馬はうっすらと感付いていた。血族が使う魔法のようなものの原理はいまだ理解できないが、紡は触れた相手に自分のダメージを移すことができるのだ。
つまり、疵女は追っ手に不意打ちされたときのため、常に手元に人間を置いておきたかったのではないか。
桂馬の自宅には、本当に追っ手がいたのだろうか? だがそれを口に出すことはなかった。もうこの女と会うこともない。
いらいらして、嫌な気分だった。疵女が自分を抱いたあの夜の、みじめな生き物を見るような眼を思い出した。酒の相手をさせていたのも、桂馬の性格が好きだったからではない。見下すのにちょうどいい存在だったからだ。
あんな女、追っ手に殺されてしまえと思った。
桂馬は自宅の玄関を見つめていたが、家には入らず、街に向かった。
(俺が殺されたら、殺したヤツに誰か復讐するかな)
そんなことをしてくれそうな人は誰も思いつかなかった。櫃児にはいた。そう考えると無性に苛立って仕方なかった。
足は自然とパーガトリウムに向いていた。あそこなら金のためなら何でもする少年少女がいる。紡から受け取った札束をそいつらにやって、犬のマネでもさせてやろう。それとも失業者でも殺しに行くか――
(痛みを紡ぐ女、痛みを解く少年 終わり)