紅殻町アフターウォー(1/5)
*番外編の「あなたみたいに優しいヤクザはいない」も合わせてご一読下さい。
1/5
藤丸《ふじまる》昴《すばる》は眼を覚ました。
ベンチに座って眠り込んでいたようだ。目を擦ってあたりを見回す。
遊園地だ。空が真っ暗だ。月も星も見えないのは天外ではいつものことだが、汚染霧雨も降っていない。果てしない暗黒のみがあった。
その闇の中で観覧車、回転木馬、ジェットコースターなどの電飾が幻想的な光を放ち、光のドームを作っている。どこかからか陽気な音楽も聞こえる。だがまったく人の気配がないのはなぜだろう。
昴は不安になった。自分がなぜここにいるのかも思い出せない。
「日与くん? 永久さん……?」
名を呼んだが、返事はない。
ふと、屋台のほうに人影を見つけた。誰かが綿菓子屋の屋台で綿菓子を作ろうと苦心している。背が高く、格闘家めいたたくましい体格を持つ女性だった。三十歳くらいだろうか。編み上げのパーティドレスを着ている。
昴はベンチを離れ、そちらへ向かった。
女は昴に気付くと、不格好な綿菓子を見せて気まずげに笑った。
「あんたに持ってってあげようと思ったんだけどさ! うまく作れなくて」
「あなたは……?」
「あー、ダメだこりゃあ! できない! やめた」
女は綿菓子がまとわりついた棒をぽいと捨てた。体育教師のように声が大きく、体格同様に堂々とした態度だ。女は目をぱちくりさせた。
「あ、昴ちゃん。もしかしてアタシのこと覚えてない?」
「いえ……何で私の名前を?」
「こっち来て」
女は昴の手を引き、遊園地の広場へ連れて行った。そこにさも当然のように手術台が置かれていた。
「そこに寝て」
昴がぎょっとして思わず一歩下がると、女は笑った。
「別に解剖するわけじゃないってば。横になるだけでいいから」
昴は唾を飲み、言われた通りにした。
女は悪戯が大好きな少女といった表情で昴を見下ろすと、妙に芝居がかった様子で言った。
「〝もう時間がない。アタシはもうすぐ死ぬ。最後にあんたを助けてあげてもいい。だけどアンタはきっと後悔するよ……それでもいいなら、聖骨家の血をあげる〟」
その瞬間、昴は強烈なフラッシュバックを味わった。見舞われた事故! 集中治療室! 十数時間にも渡る手術! 親の泣き声!
集中治療室に現れたその女は、自分と同じくらいの大ケガを負っていた――女の質問に、昴は「死にたくない」と答えて――
昴は手術台から飛び上がり、眼を見開いて口をぱくぱくさせた。
「あなっ……あなた! アボン、アボボボボ……アンボーン?!」
女は笑った。その両腕両足がぱっと青白い炎に包まれると、骨格標本めいた白骨に変わった。背からは骨の両翼が生えた。
「聖骨家のアンボーン! 改めましてこんにちは!」
「藤丸昴……聖骨家のリップショットです。ここはどこなの?」
「聖骨家の血に刻まれた記憶の中。私はアンボーンの記憶から再構築された」
昴は改めて遊園地を見回した。これが血の記憶……!
「現実の私は……?」
「死んではいないみたい。あ! あれ乗ろう!」
アンボーンは元の姿に戻ると、昴の手を引いて回転木馬に向かった。緩やかに上下しながら回転しているのはすべて骨の木馬と、それが引く骨で作られた馬車だ。
昴とアンボーンは隣り合った木馬に乗った。アンボーンは嬉しそうにはしゃぎ、木馬から身を乗り出して昴のほうに身を寄せた。
「例の能力は使えるようになったかい?」
「他の血族の能力を封じるっていう? ううん……見当もつきません」
「ホントならアタシが教えなきゃいけなかったんだけどさ。ごめんな、あのときは手ひどくやられてて、血を授けるのが精一杯だったから」
「いえ、そんな……」
そのとき、遊園地上空に光が差した。アンボーンはまぶしげに目元に手をかざして言った。
「おっと……そろそろ目覚めるときだ。さあ、行きな! 戦いが待ってるぜ!」
* * *
「兄貴ィ、何であのガキを連れて来たんで?」
「それがな……何とあの若造、聖骨家の娘と知り合いなんだと。見ろ、あれを」
「何と! ……ははァ、確かにそんな感じですな。大事そうに抱きかかえてやがるわ」
「いいか、聖骨家の能力が血盟会攻略、打倒鳳上赫の切り札だ。だがあの娘にムリに言うことを聞かせたって、思うようには動いちゃくれねえだろう。竜骨はあの娘をコントロールするのに必要なんだ」
「聖骨家が血を授かる条件は骨の移植でしたよなァ。あの娘がアンボーンから授かった骨は右腕でしょう。その骨だけ奪っちまうのは?」
「バカ! その骨を適当な人間にくっつけて、血が入りそうな別の人間を探すなんてとんでもねえ手間だろ!」
「なーるほど。さすが兄貴だ! アッシにゃ思いつきもしませんや……オッ! 娘が眼を覚ましたみたいですぜ!」
はるか遠くで聞こえていた男二人の会話が、徐々に近付いてくる。
昴はぼんやりと目を開いた。目の前にあるのは懐かしい顔だった。育ちの良さそうな、整った顔立ちをした同い年の少年だ。背広を着ている。地面に倒れた昴は彼に抱き起こされていた。
「リューちゃん」
昴が呟くと、流渡は涙を堪えて微笑んだ。
「昴! ああ……良かった」
起き上がろうとした昴の右足に激痛が走り、彼女は小さく悲鳴を上げた。右足の脛に包帯が巻かれ、添え木で固定されている。
流渡は気遣わしげに言った。
「右足が折れてるんだ。動かないで。これを」
流渡は昴に水とカルシウム錠剤を与えた。それを飲むと痛みが多少和らいだが、治るまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
流渡の後ろに二人の男がいて、埃と泥に塗れた昴を見下ろしている。
煙草を口にした男は背広姿で、肌が浅黒く、顔に白いドクロのペイントがしてあった。手にも白い骨が描かれている。恐らく全身に骨が描かれているのだろう。ジャングルの部族めいた姿だ。髪はオールバックにしている。
「どうも、アンボーンの血を継ぐ娘さん。俺は狂骨《きょうこつ》家のカダヴァー」
もう一人はボロの着物を着込み、頭部まですっぽり布で覆った猫背の男。ドラム缶ほどもある大きな骨壷を背負っている。
「ヘッヘッヘ! アッシは壷担《つぼにない》家のウマノホネ。瓦礫の下に埋もれてたお前さんをアッシの犬が見つけたんだぜ。感謝しろよ!」
昴のすぐ横にいた犬が彼女の頬を舐めた。それは骨の舌で、犬自体も骨格しかない骨の犬であった。
流渡は昴に手を貸した。昴は彼にしがみつくようにして立ち上がった。お互いが六才のころ、しょっちゅう転んでいた昴に流渡が手を貸して立たせていたように。
紅殻町工業フォートの工業地区だ。建物のほとんどは倒壊し、瓦礫の山と化している。
その光景を眺めているうちに記憶が甦ってきた。昴は逃げ遅れた人を助けているうちに脱出が遅れ、爆弾の爆発に巻き込まれたのだ。自分が生きているなんて信じられなかった。
懐を探したがスマートフォンがない。気絶しているあいだに三人の誰かに取り上げられたか。
「さて、ゆっくりしていられん。歩きながら軽く事情を説明させてもらうぞ、お嬢さん」
カダヴァーが早足に歩きながら言った。ウマノホネと彼が連れた骨の犬がそれに続く。昴を支えた流渡が二人を追った。
昴は機をうかがったが、右足が折れた状態で血族三人を相手にはできないし、逃げることもできない。今は黙ってついていくしかなかった。永久や日与の安否が気にかかり、ひどく胸がざわついた。
カダヴァーが続けた。
「広域指定暴力団の肋《あばら》組と言えば聞いたことあるだろ。我々は血盟会とは長いあいだ抗争中でね。血盟会の会長、鳳上赫を倒すのにどうしてもお前の能力がいる」
「話が聞こえてたよ」
「あ、そう。そりゃ話が早い」
「ねえ、ブロイラーマンは無事なの?」
「あの血羽はコクシクスを殺しやがった!」
ウマノホネが憤慨して言った。
「コクシクスは憎ったらしいヤツだったけどよ、身内だったんだぞ!」
「ウマ! 話の腰を折るんじゃねえ」
「へい、すいません」
カダヴァーに言われ、ウマノホネは引き下がった。
「血盟会が紅殻町を爆破するって計画は俺たちも掴んでた。うちの組は別にどうこうするつもりはなかったが、一応俺が監視を任されてた。そしたら例のニワトリ野郎とお前が来たじゃねえかい、ええ? 寝耳に水ってなもんよ。そこで俺は考えた。油揚げをさらうトンビになれねえかって」
「ヘッヘッヘ! つまり混乱に乗じて聖骨家を横取りしようってのさ! 兄貴は機を見るに敏だぜ!」
「ウマ!」
「へい、すいません」
「だがいくらニワトリ野郎とお前が滅却課の数を減らしてたとしても、俺ひとりじゃキツい。仲間を呼んだんだが、爆発には間に合わなかった。せめて聖骨家の死体だけでも回収しようとやってきて、お前を見つけた……というわけさ」
「リューちゃんを利用して私に言うことを聞かせる気なんでしょ?」
流渡はぎくっとした。
カダヴァーが言った。
「お嬢ちゃん、鳳上赫はお前が生きている限り永遠に付け狙うだろう。あいつは絶対に諦めないぞ。肋組がお前を全力で保護してやろうってのさ! ありがたいだろ」