紅殻町アフターウォー(3/5)
3/5
「えぇ?! 参りましたなあ」
昴は竜骨に囁いた。
「誰なの?」
竜骨は緊張した面持ちで答えた。
「血盟会最強って言われてる男。アンボーンを殺した」
「あいつが……?!」
小鳥はすぐに飛び去った。
カダヴァーは弁当屋に入るよう全員に言った。中は無人だ。
「ヤツに見つかった。プランBだ! 全員こいつを着ろ」
彼は負っていたリュックを下ろした。中身は何着もの黒いレインコートである。
骨の犬たちがウマノホネの背負った骨壷に入り、入れ代わりにぞろぞろと人体の白骨が這い出してきた。
壷担家は白骨死体を己の下僕として使役できるのだ。物言わぬ白骨死体たちは自らレインコートを着込み、ジッパーを上げた。四人の血族も同じようにレインコートを着た。
同じデザインのレインコートを着込んだ十一人の人影は、ぱっと見では誰が誰だかわからなくなった。竜骨は昴を背負い、その上から大きめのサイズのレインコートを着込んでいる。
竜骨は昴に早口に説明した。
「今からバラバラになって逃げる。悔しいけど、ヒッチコックにはとても勝てない」
ウマノホネがすがるような目でカダヴァーに言った。
「兄貴ィ、死なないで下さいよ」
「バカ! 聖骨家の奪取が最優先だろ。だがお前らも死ぬなよ! 外で会えたらカニを奢るぜ。肋組万歳!」
十一人は弁当屋を飛び出すと、ばらばらになって走り出した。
ウマノホネのみその場に残って隠れた。彼が死ねば能力が解除され、白骨死体たちがただの骨に戻ってしまうからだ。
竜骨は路地を駆け抜け、紅殻町工業フォートの外壁目指して走った。
彼に背負われた昴は、人差し指でレインコートに穴を開けて外の様子をうかがった。
ザワザワザワザワ……!
すさまじい数の小鳥たちが舞い上がり、上空で合流してとてつもなく巨大な群れと化している。どこにこんなに隠れていたのだろう?
ピチチチチチ! ピチチチチチ!
小鳥の群れは耳をつんざく鳴き声を上げながら、まるで黒いアメーバ状の巨大生物のように旋回を始めた。
「どこへ逃げるの?」
「フォートの外だ! 事件の中継でマスコミが集まってる。いくら血盟会メンバーでもテレビカメラの前で能力は派手に使えない!」
何千羽という数の小鳥たちは波のようにうねり、地上へと滑空した。空き地を走っていたレインコートの一人を飲み込み、通り過ぎていく。
ガガガガガガガガ!
その跡に残ったものは、削り取られてえぐられた地面と、わずかなレインコートの欠け端だった。小鳥の一羽一羽が超高速の銃弾と化して物体を貫いているのだ。
小鳥の群れは空中で絶え間なく形を変え、次の獲物に襲いかかった。そのレインコートの人影は建物の中に逃げ込んだが、同じことだった。
ガガガガガガガガ!
さながらチーズ削り器にかけられたように建物ごと削り取られて消滅する。
* * *
(どっちもハズレか)
ビルの屋上に立ったヒッチコックは、地上を見下ろしながら手応えのなさを感じていた。小鳥が削り取ったものは、両方とも血族を殺した感じではなかった。
グレーの背広の上に同じ色のビジネスコートを羽織った男である。目深に被ったフードの中には暗闇しかなく、赤い瞳の目とギザギザの歯を持つ口だけが浮かんでいる。悪魔めいた風貌であった。
(あの娘が聖骨家の能力を使えるようになる前に始末する! すべては血盟会のため、そして鳳上会長のために)
* * *
上空から地上付近にまで降りた小鳥の群れは、大きく横に広がった。
そのまま地を這う高波と化し、滑空しながら昴たちの方に押し寄せてくる。途中にいたツバサ重工化学捜査チームの作業員が飲み込まれ、次々に細切れにされた。
「「「ア゛バババーッ!?」」」
それは進行方向にあるすべてを根こそぎに削り取る、巨大な鉋《かんな》と化していた。
昴と竜骨、そして二人の近くにいた白骨死体は小鳥の波に飲まれた。竜骨がとっさに振り返り、背負った昴の盾になって正面から小鳥の津波を受ける。兜が閉じ、頭部が竜の頭蓋骨に覆われた。
ガガガガガガガガ!
「リューちゃん!」
昴が悲鳴を上げる。
小鳥が通り過ぎた。周囲でチーズのように穴だらけになった建物がゆっくりと倒壊を始める。
ドォン……!
竜骨は素顔をさらして振り返った。
「大丈夫!?」
「ああ。鎧を使いこなせるようになったんだ」
竜骨の鎧はあちこち砕け、凹んではいたが、生身の部分にまではダメージが届いていなかった。小鳥の群れが大きく横に広がっていたため、密度が減っていたのだ。
白骨死体のほうは粉々になっている。他の白骨死体も分散した鳥たちが次々に襲っており、もういくらも残ってはいない。
散っていた小鳥たちが昴たちの上空に結集を始めた。目標を見つけたのだ。より高密度の集団となって襲いかかってきたら、いくら竜骨の鎧と言えども防げない。
昴は流渡の背中にしがみつきながら、無力感に歯噛みした。
(私にもっと力があれば……)
(((能力発動に必要なのは血族の血のエネルギー、すなわち血氣! そのコントロールだ!)))
その声に彼女はぎょっとして顔を上げた。隣に腕組みをしたアンボーンが立っている。
「アンボーン!?」
その瞬間、時間の流れがスローモーション再生のようにゆっくりとなった。周囲を舞う埃、空気の流れ、竜骨の息遣い。世界のすべてがハチミツの中を漂っているようにのろのろと動いている。耳鳴りがした。
その隔絶された時間の中でアンボーンは言った。
(((血氣! これを高めることで血族は爆発的なパワーを発揮する! あんたの友達も使ってただろ?)))
ブロイラーマンの姿が昴の脳裏をよぎった。
(ブロの対物《アンチマテリアル》パンチ!)
(((あんたもあいつも、本能的には血氣をコントロールできていたはずだ。脳筋の血羽は殴り合いの中で自然と覚えるけど、聖骨家みたいな特殊能力の使い手はちょっと違う。血氣操作のコツを覚えることが不可欠だ。手品にはタネが必要なんだよ)))
「今ここで?!」
(((難しく考えるこたあない。やり方はその血が記憶している! 血に従うんだ!)))
「そんなこと言われても……」
(((ヒッチコックの能力をよーく見ろ、昴ちゃん。あの鳥が何で出来てるかわかるか?)))
「あれは……あれも血氣?!」
(((そうだ。聖骨家の能力っていうのは、他の血族の血氣をシャットアウトする力だ。まあ今は完全に使いこなせずとも、この場をしのいで逃げ切るくらいはできるだろう。血の声を聞け! いいか、〝自分の血〟の声だぞ。あんたのやりたいこと! できること! その二つは何だ?)))
その途端、時間の流れが戻った。
巨大な球状と化した小鳥たちが、今まさに昴たちに降り注ごうとしたとき、レインコートを脱ぎ捨てて駆け寄ってきた男がいた。カダヴァーである。彼は二丁の大型拳銃を小鳥たちに向かってめくらめっぽう乱射した。
「ウオオオオ!!」
ドンドンドンドンドンドン!
大口径の銃弾が小鳥を次々に撃墜する。だが全体の数からすれば、浜の砂のひと粒ふた粒に過ぎない。
「行け、若造ォ! 肋組の未来がかかってるんだァ!」
小鳥の群れは一瞬だけ戸惑ったような動きを見せたが、すぐに三手に分かれた。
一方はカダヴァー、もう一方は昴たち。そしてもう一方はヒッチコック本人へと向かってきた白骨死体たちである。昴たちの正体がバレた今、少しでも時間を稼ごうとしているのだ。
カダヴァーは銃を撃ちながら大声で笑った。
「ハッハッハ! やるじゃねえか、ウマノホネ!」
竜骨は背負っていた昴を腕に抱き、走り出した。小鳥たちがうねりながら降り注ぎ、竜骨の背中にぶつかってくる。小鳥の数が三分の一になったこともあり、彼の強硬な全身鎧を貫くことはなかったが、その衝撃は強烈だ。