ヒッチコック(3/4)
3/4
「大丈夫?」
竜骨の気遣わしげな眼に、リップショットは無理に微笑んだ。
「平気。だけど……」
ヒッチコックと自分たちでは年季が違う。岩壁を爪で掻いて崩そうとしているような絶望感だった。
勝てない――その言葉が脳裏をよぎりかけて、リップショットは首を振った。ブロイラーマンの信頼を裏切るわけにはいかない! 仲間のためにも、市《まち》のためにも、待っているすべての人たちのためにも!
リップショットは自分もカルシウム錠剤を取り出してかじり、竜骨に言った。
「リューちゃん、聞いて。こっちは二人。それが唯一有利なポイントだと思う」
「つまり?」
「私と一緒に戦って」
竜骨は不思議そうな顔をした。最初からずっと一緒に戦っているだろう、と。リップショットは首を振り、言い直した。
「もう前には立たないで。隣に立って! 私を守るんじゃない。私と一緒に戦って欲しいの!」
「……」
竜骨は思案げに眼を伏せた。彼とて負けるわけにはいかないのだ。昴を死なせることだけは絶対に出来ない!
「どうすればいい?」
「お互いの領分を決めて、受け持って。私はヒッチコックの右、あなたは左。おたがい自分に出来る限りのことをする!」
「わかった」
満身創痍の二人は並んで立ち、構えた。
ヒッチコックも両肩をぐるりと回して凝りを解し、構えた。
「「ヤーッ!」」
リップショット、竜骨は同時に間合いを詰めた!
最初こそその連携はチグハグであった。特に竜骨がリップショットの分まで受け持とうとし、領分を超えようとしていた。だが五手、六手と重ねるうちにそれも治まり、徐々に合ってきた。
やがて一人の熟練格闘家の右腕と左腕のように完全にシンクロした動きになった!
「むう……」
ヒッチコックはいぶかしんだ。
二人は攻撃を繰り出し、片方が攻撃を出せばその隙を埋めるように攻撃を出す。逆にヒッチコックが攻撃したならば、追撃を阻止するように反撃する。
即席のコンビかと思っていたが、これほど早く息を合わせてくるとは。お互いの呼吸を、領分を、出来ることと出来ないことを良く分かっている。まるで十年来の友人か、兄姉のようだ。
「セアアア!」
ドゴォ!
竜骨のレバーブローがヒッチコックに入った! 初めての有効打であった。
「!」
確かな手ごたえがあった。ヒッチコックは多少よろけたものの、すぐに体勢を立て直し、反撃に転じた。ヒッチコックのフードの中から数羽の小鳥が飛び出す!
ピチチチチ!
「おっと!」
リップショットはこれを大きく後ろに仰け反ってかわした。そのままサマーソルトキック!
ヒッチコックはのけぞってかわす。
リップショットは空中で宙返り状態のままドレッドノート88を抜き、飛び去った小鳥たちを順番に撃ち落した。
ドォンドォンドォンドォン!
小鳥たちが弾けて黒い煙になり、消滅する。
着地した彼女はヒッチコックにニヤリとして見せた。
「また血氣を減らしちゃったね」
だがヒッチコックは焦らない。続く攻撃を地道に、丁寧にさばき、かわし、反撃した。獲物を追跡する猛禽のように、執念深く相手側の隙を待っている。その動きには一切の油断はない。
徐々に竜骨の動きが淀み始めた。痛み止めを打ち、鎧で固定していても、折れた手足が元に戻ったわけではないのだ。
「セア!」
竜骨の正拳突き!
ここだ! ヒッチコックはそれをかわし、突いてきた竜骨の腕にチョップを落とした。
ドッ!
鎧ごと竜骨の右腕が切り落とされた。もはや防げるだけの血氣が残っていなかったのだ。
「あ……」
竜骨は眼を見開き、右腕を抱えてその場に跪いた。
リップショットが悲鳴を上げた。
「リューちゃん!」
ヒッチコックは半身になり、リップショットに対して大きく右足で踏み込んだ。上体を若干仰け反らせつつ、体の前で十字を切るようにして両腕を大きく広げ、拳をリップショットの胴体に叩き込む。奥義、十字斬り《じゅうじぎり》拳!
ドゴォオオ!
リップショットはボールめいて後ろに吹っ飛び、木の幹に叩きつけられた。
「昴――ッ!」
竜骨は悲鳴を上げ、体を引きずるようにしてそちらに走って行った。昴はぐったりして動かない。
「昴……昴!」
ヒッチコックは息を整えた。
「クソッ……思ったより手間取った」
二人のほうへ歩いて行く。
リップショットはかろうじて意識を保っており、竜骨と小声で話し合っている。どんな作戦を練っているのであれ、もはや抵抗できるだけの血氣はどちらも残ってはいまい。
竜骨が大きく深呼吸し、振り返った。決意を固めた眼をしている。
玉砕覚悟で最後の抵抗を見せるか。ヒッチコックは侮ることなく、これに全力をもって身構えた。
「九楼と同じ轍は踏まぬ。確実に殺す!」
「セェエエエイ!」
竜骨が飛びかかった。
ヒッチコックはすかさず受けの姿勢を取った。これを防ぎ、次こそチョップ突きで心臓を貫く様をイメージする。だが竜骨の攻撃は完全に予想外の方向から来た!
ドゴォ!
「!?」
空中パンチがヒッチコックの顔面を捉えた。それは先ほど確かに切断したはずの、竜骨の右腕が放ったものだった。
「グ……?!」
ヒッチコックは目を見開いた。竜骨には右腕があった。だが彼の右腕ではない。リップショットの白骨の右腕だ。それを切断面に継いでいる。
「セアアア!」
竜骨はありったけの血氣を掻き集め、咆哮した。リップショットは白骨の右腕を本体から外しても操作できる。よって今、竜骨の一部になってはいても、操作しているのはリップショットだ。
これまでと同じく二人は息を合わせ、二人で一つとなってヒッチコックに立ち向かった。
流渡は自分に言い聞かせた。己が信じるべきものは何だ。血族の力か、自分の力か。それとも昴か。すべて否。今信じるべきは、魂の絆だ。自分と昴の両者に存在する一つのものだ。人間として過ごした二人の時間だ!
彼は振り返らず昴に叫んだ。
「行こう、昴!」
昴が答える!
「うん!」
ヒッチコックの反撃! ジャブから始まるパンチの左右、そしてミドルキックへと繋げる連携攻撃だ。流れるようによどみない動きである。
竜骨はこれを一手ずつ確実にさばき、白骨の右腕でヒッチコックに正拳突きを入れた。竜骨とリップショット、二人のシャウトが重なる。
「「セェアアアア!」」
みぞおちに直撃!
ドゴォ!
ヒッチコックは目を見開き、ゲェッと肺の空気を漏らして後退した。
ここに来てとうとうヒッチコックの血氣が底を尽こうとしていた。最初に大量に小鳥を失った影響がようやく現れ始めたのだ。
対してリップショットと竜骨は、残り少ないながら二人分の血氣を一人分にして使っている。竜骨とリップショットの愚直な正拳の連打がヒッチコックを捕らえた! 右、左、右、左、右、左!
ドゴゴゴゴゴゴ!