【ホラー短編】冷蔵庫の中に何かが……(3/3)
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嘉介はスマートフォンのライトを点け、穴の中を覗いた。
冷蔵庫の中はクモの糸のようなものにすっかり覆われ、ぬるぬるとした粘液で光っていた。これが接着剤の働きをして扉が開かなかったようだ。糸は球体を形作っており、繭のように見えた。中は空っぽだ。
つまり足本の家で何かが冷蔵庫の中に入り、繭になった。嘉介はそれを知らず冷蔵庫ごと持ち帰った。そしてその何かはつい最近、底に穴を開けて出て行った。どこへ行った?
「ハァッ……! ハァッ……!」
震える手で自分の脇腹を撫でる。その中にいる何かがまたビクンと動いた。嘉介はすべて理解した。そういうことだったのだ。
財布から佐池永久の名刺を取り出し、電話をかけた。
「はい。佐池です」
「刑事さん、わかったぞ! 足本が……宿主が死んじまったもんだからさ、腹を切ってさ! だからこいつは足本の腹から出て、腹の穴から出て、それで冷蔵庫の中に入って繭になったんだ! 休眠状態になったんだよ!」
相手が出るなり、嘉介は混乱しながら口早にまくし立てた。
「それでそいつが次に見つけた宿主っつうか寄生先が、冷蔵庫を持ち帰った俺でさ! 冷蔵庫の繭から出てきて、俺の中に入ったんだ!」
「内島さん? どうしたんですか?」
「あの夢、夢じゃなかった。死んだ足本が俺の口に手を突っ込んだ夢! そうだ、あのときだ、あのときそいつは寝てる俺の口の中に入ってきたんだ! それで俺の中に住み着いて、栄養を全部奪ってやがったんだよ」
「内島さん、聞いてください。まずは深呼吸して」
永久は冷静に声をかけたが、嘉介にはもはや聞こえていなかった。
「わかったんだよ! 足本はさ、自殺するつもりじゃなかったんだ! だって自殺なら普通飛び込むとか首吊るとかだろ! あ、あいつが腹を切ったのは……今の俺と同じだ! パニクって取り出そうとしたんだ! 自分の腹からこれを! ああああ!」
嘉介の手からスマートフォンが落ちた。しばらくその場にうずくまっていたが、ふらふらと台所に行くと、包丁を手に取った。
上着を脱ぎ捨て、腹の腫れ物を撫でる。もはや嘉介は冷静な判断力を失い、恐怖と、混乱と、そして猛烈な怒りによって動いていた。
(こいつに思い知らせてやる。俺の腹から引っ張り出してやる!)
包丁の切っ先を腹に当てた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ!」
先端がちくりと腫れ物に刺さった。そのあまりの痛みに嘉介は悲鳴を上げ、包丁を取り落としてしまった。
「クソッ、やってやる! やってやる……」
包丁を拾い上げた。決心を固め、両手に持った包丁を逆手に構える。
「あああああああ!!」
叫び声を上げ、ひと息に突き刺そうとしたそのとき!
ドゴォ! 部屋の玄関ドアが外から蹴破られた。呆気に取られて振り返った嘉介は、そちらにいる二人を見てさらに呆気に取られた。
一人は背の高いたくましい体つきの男だ。赤いネクタイに背広姿なのだが、驚くべきはその頭部であった。真っ赤な鶏冠を持つニワトリの頭なのである。
もう一人は黒いゴス風スーツを着込んだ少女。ドクロのフェイスマスクで口元を覆い、フードを被っている。死神のコスプレめいた格好だ。
「あー、チャイム押したんだが返事がないもんでな。ちょいと失礼」
ニワトリ男はそう言いながらずかずかと部屋の中に入ってきた。
嘉介は思わず包丁を構えて逃げ腰になった。だがニワトリ男がひょいと包丁を取り上げて捨て、嘉介を捕まえて取り押さえた。
「いいぞ、リップ」
「オッケー」
リップと呼ばれたほうが右手を持ち上げた。その右目は鬼火めいた青い光を帯びている。
リップの右手がぼうっと燃え上がると、その手は白骨となった。白骨の腕はさらに複雑に変形し、精密作業用のメカアームめいたものになった。
ニワトリ男が嘉介に言った。
「口を開けろ」
「え?!」
ニワトリ男は構わず両手で嘉介の頭を掴み、逆の手を顎にかけて強引に口を開けさせた。人間離れした力だった。
「アガッ、アガガガ!」
暴れる嘉介をニワトリ男が一喝した。
「暴れるな。内臓を傷つけるぞ」
「ごめんなさいね。ちょっと手荒いよ」
リップが詫び、白骨のメカアームを嘉介の口の中に突っ込んだ。嘉介はもうわけがわからず、じっとしているしかなかった。恐ろしいほどリアルな異物感が喉の奥へと下って行き、そしてその先端が胃に入るのがわかった。
何かが胃の中で激しく身をよじった。
目を閉じてメカアームに意識を集中させていたリップがつぶやく。
「うわっ、いるいる! これだ!」
「出せそうか」
「うん。しっかり押さえててね」
メカアームが何かを掴んだ。それは死に物狂いで暴れている。リップはその物体を一本釣りするように一気に引いた。
食道から喉を抜け、嘉介の口からずるりと引きずり出されたそれは、大きなウジ虫のような生物だった。寄生生物特有の不気味な生白い色をしている。
粘液まみれの虫はギイギイと奇怪な鳴き声を上げながら体をうねらせた。そのおぞましさに嘉介は心底震え上がった。こんなものが自分の腹の中にいたとは信じられない。
リップが気味悪そうに眉を寄せた。
「うえっ! キモ!」
ニワトリ男は嘉介を離すと、寄生虫を掴み取った。そして躊躇なく握り潰した。
グチャア!
嘉介はへなへなと床に座り込んだ。
「足本と付き合ってた女は血族っていうバケモンだったんだ。似蟲《にむし》家のエメラルドワスプってヤツ。もう殺したけどな」
ニワトリ男が腕組みしながら言った。
「だがその女は死ぬ前に足本に幼虫を産みつけていた。幼虫は成長すると宿主を同じ似蟲家の血族にしちまう。だが幼虫の段階で宿主が死んだ場合は、繭になって次の宿主が通りかかるのを待つってわけさ。あんたは運が良かった」
「あんたたちは……」
「そういう血族を殺して回ってる。だがまあそれはいい。俺らのことは忘れろ」
ニワトリ男は先に部屋を出た。
リップは嘉介に声をかけた。
「病院に行ったほうがいいですよ。救急車は自分で呼べる?」
「ああ……」
「お大事に! じゃあね」
彼女はニワトリ男を追い、部屋を出て行った。そのあと遠くで彼女の声が聞こえた。どこかに電話をかけているようだ。
「あ、永久さん? 終わりました。うん、始末しました……」
残された嘉介は腹を撫でた。そこはもう凹んでいて、他の部分と同じになっていた。
* * *
二日後、麻雀同好会の部室。
「で? 結局どうだったのよ」
そう言った武本に、嘉介は牌を取りながら答えた。
「ああ。栄養失調で丸二日入院して、ずっと点滴受けてた」
「原因不明の病気とはなあ。どこでそんなもんもらってきたんだ」
嘉介は三人に詳細を話していない。ニワトリ男の言った通り、あの一件はすべて忘れることにしたのだ。
相沢がニヤニヤした。
「どっかの女に移されたんだろ」
「そんな女いたら紹介して欲しいって」
いつも通りスマホを見つめながら金山が言った。
「まあとにかく、三人麻雀《サンマー》はイマイチ盛り上がんねえからな」
「ああ、そうだ。嘉介の退院祝いをしねえと」
「後でピザでも買って、武本んちで食いながら徹夜麻雀《テツマン》すっか」
「いいね。久々に男同士で夜を明かそうぜ」
好き勝手なことを言う三人に嘉介は笑った。
「病み上がりの歓迎が徹麻かよ」
だがそれなりに嬉しくもあった。どうしようもない連中ではあるが、仲間には違いない。
嘉介はあれからときどき足本のことを考える。あいつともう少し親しかったら助けられたのではないか。今さら考えても仕方のないことではあるが、やはり考えてしまう。
足本と初めて話したとき、二人で覚えたての麻雀を手探りでやったことを思い出す。あいつは悪いヤツではなかった。何かきっかけがあれば、今この面子の中に加わっていたかも知れない。
(そのうち墓参りでも行ってやっかな)
(冷蔵庫の中に何かが…… 終)