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【B級ホラー短編】忍び寄る鶏冠(3/5)
3/5
アトリウムを出てトイレに行くと、その前の廊下に女が倒れていた。
ヴァーミンが囲っている奴隷女だ。彼がさらってきた農家の娘だろう。
女はジブロに大量の天然麻薬《オー》を食べさせられたらしく、うずくまってえずいていた。
「大丈夫?」
ナニーは彼女を抱き上げてトイレに運び、便器に突っ伏させて背中をさすった。
彼女は胃の内容物をすっかり吐き出したあと、ナニーに抱きついて泣き出した。
「もうヤダ! 帰りたいよー! お姉ちゃーん!」
ナニーより五つほど年下だろうか。まだ十代の終わりくらいだ。
ナニーは死んだ妹を思い出してひどくいたたまれない気持ちになり、彼女を抱き締めて背中を優しく叩いた。
血族化は人間がまったく別の生物に作り変えられる現象で、すさまじいショックをともなう。
その影響で多くの者は異常な残忍性や強欲さを持つようになる。
さらに振って沸いたように得られた超人的なパワーがそれに拍車をかけるのだ。あの三人や、ヴァーミンのように。
(私は違う!)
ナニーは心の中で叫んだ。
自分は望まないまま血族になってしまったが、正気だ。人間性は失っていない。その証拠に妹のことを忘れてはいないし、今も愛している。
ナニーは洗面台で女に水を飲ませた。
「水を飲んで。どんどん飲んで天然麻薬《オー》を体の外に出して」
女は水を大量に飲んだ。
その眼には天然麻薬《オー》の過剰摂取によるサイケデリックな光のカクテルが見えているだろう。
パウダールームの床に並んで座り、ナニーは優しく聞いた。
「名前は?」
「二乃《にの》です」
「お姉ちゃんがいるの?」
「……」
「大丈夫。ヴァーミンの野郎には何にも言わない。あのクソセクハラ野郎」
このひと言が女の警戒を解いたらしく、彼女も笑みを見せ、ぽつぽつと身の上を語り始めた。
ヴァーミンがある日この屍捨原にやってきて、農家の屋内栽培施設をごく低価格で改良する事業を始めた。
多くの農家は貧しかったためこれを歓迎したが、それはヴァーミンが目論む悪事への布石であった。
彼は改良した栽培施設で天然麻薬《オー》を作るよう彼らに強要したのだ。
拒否する者は虫のように殺した。ヴァーミンから金を受け取っていた地元警察は見て見ぬふりだ。
ヴァーミンは一農家ごとに月々に貢ぐ天然麻薬《オー》のノルマを決め、特に若い女がいる家にはわざと達成不可能なノルマを押し付けた。
出せなければ容赦無く女をさらった。
「お姉ちゃんは結婚してて、赤ちゃんが産まれたばっかりで、それでさらわれたら赤ちゃんとダンナさんがあまりにもかわいそうだから、私が行くって言って……ウッ」
吐き気に襲われ、彼女は手で口を押さえた。
ナニーは二乃の背を撫でた。
「ベッドで休んだほうがいいよ。部屋はどこ?」
二乃は涙を流して首を振った。
「できません。接待の席を抜けたら主に怒られます……」
「じゃあ私を寝室で〝接待〟していたと言って。大丈夫、何にもしないから」
ナニーは二乃の細い体を抱き上げ、自分に与えられた寝室に向かった。
途中、すれ違ったジブロが意外そうに二人を見た。
「どうすんだ、その女?」
「分かりきったこと聞かないでよ」
ジブロは目を白黒させた。
「あ? お前〝そっち〟だったのかよ?!」
「そういうこと。じゃあね」
* * *
給仕は天然麻薬《オー》を無尽蔵と思えるほど給し、ナニーを除く客人たちはそれを大いに楽しんだ。
常人ならば致死量をとっくに超えているが、彼らは血族であり、許容量も並外れている。
付き合わされた奴隷女がオーバードーズでショック死に至ると、ヴァーミンは他の女に命じて地下室の焼却炉に運ばせた。
血族にとって人間《血なし》など使い捨ての消耗品なのだ。
深夜を回ると、ようやくらんちき騒ぎが終わった。
蜜姫は一階のバスルームでシャワーを浴びていた。
稼ぎのほとんどを美容整形につぎ込んだ体は加工された画像じみて美しく、完璧なラインを保っている。
蜜姫は肌に手を沿わせながら、雷虎を切り捨ててヴァーミンに乗り換える算段を着々と進めていた。
ケチな犯罪で食いつないでいたが、やっと成り上がる目が出てきた。血盟会幹部の女ならばもはや市《まち》で逆らえる者はいない。
ふとシャワーの音に混じって物音が聞こえた。バスルームのドアが開いたのだ。
「誰? 雷虎?」
返事はない。もしかしてヴァーミン? だとすれば手間が省けた。
足音は一歩一歩、確実にこちらに近付いてくる。
蜜姫は艶のある笑みを浮かべ、不透明なシャワーカーテンを少し指で開いて自分の体を見せ付けた。
「そんなところにいないで入ってきたら……」
蜜姫の表情が凍りついた。
ドゴォ!
シャワーカーテンの隙間から飛び込んできた鉄拳が蜜姫の顔面にめり込む!
「!?」
蜜姫は壁にまで吹っ飛ばされ、バスタブの中にずり落ちた。
何が起こったかわからないまま、潰れた自分の顔を押さえた。
噴き出す血がシャワーに流され、砕けた歯とともに渦を巻きながら排水口へと流れ込んで行く。
「あ……あ……」
彼女はその男を見上げた。その真っ赤な鶏冠を!
蜜姫の口がぱっくりと開かれ、長く尾を引く悲鳴が搾り出される!
「キャアアアアアアア!!」
ドゴッ! ドゴッ! ドゴッ!
グシャア!
* * *
雷虎は悲鳴を聞いた気がして飛び起きた。
起き上がろうとして床へと転げ落ちる。
「ぐえっ?!」
無意識に自分の寝室だと思い込んでいたが、そこは一階談話室のソファだった。
天然麻薬《オー》とワインを流し込んでいるうちにだらしなく眠り込んでいたのだ。
彼は頭を振って混濁を振り払った。
「あー……蜜姫?」
返事はない。床に落ちていたスマートフォンを拾い上げ、蜜姫に電話をかけようとしたが、〝電波を受信できません〟の表示が出ている。
ときどき吹き荒れる電磁嵐の影響だ。天外では珍しくない。
「ああクソ」
舌打ちし、尻を掻きながら廊下に出た。
バスルームのドアが開けっ放しにされ、光と水音が漏れている。
雷虎はにやりとした。
蜜姫を最初に抱いたときと同じだ。あのときもバスルームのドアが開いていて、彼女が待ち構えていた。
「へへへ。怪物の登場だぜぇ~」
雷虎は上着を脱ぎながらふらふらとバスルームに入った。
その顔からにやにや笑いがさっと消えた。
バスタブに横たわっているのは肉塊であった!
全身をすさまじい暴力で叩き潰されている。
無慈悲に降り注ぐシャワーが血を洗い流し、潰れた顔にかろうじて残った蜜姫の面影を露わにしていた。
雷虎は恥も外聞もなく悲鳴を上げた。
「うわああああああ!! あ、ああ!! ああああああ!!」
そのとき、館中の電器がいっせいに消えた。
* * *
二階の寝室にいたナニーはその悲鳴で眼を覚ました。
ベッドの隣では二乃が眠りについている。
彼女はナニーが運び込んだ夕食を食べたあと、すぐにまた眠ってしまった。
ナニーは彼女に毛布を被せ直し、ナイトテーブルのスタンドライトの紐を引いたが、点かない。
ベッドを出て部屋の電気スイッチを押しても同じだった。
(停電?)
スマートフォンは電磁嵐で通じない。
スマートフォンのライトを灯して階下へ向かう階段に差しかかったところでヴァーミン、ジブロと鉢合わせになった。
「聞こえた?」
そう聞いたナニーにジブロが頷いた。
「ああ。ありゃ雷虎だぞ」
男二人はスマートフォンのライトで階下を照らした。
雷虎の悲鳴は今ではくぐもった唸り声に変わっている。
ヴァーミンは少し思案し、言った。
「そうだな……雷虎のほうは俺とナニーが見に行こう。ジブロ、発電機を見てきてくれないか? 向こうの階段を降りていった地下だ」
「了解!」
新しい主にさっそく忠義を示すべく、ジブロは棒を投げられた犬のようにそちらに走っていった。
ナニーはヴァーミンに続いて階段を降りた。
廊下の先のバスルーム前で、雷虎が半ば放心したようにしりもちをついている。
「雷虎! どうしたの? ちょっと、雷虎?!」
ナニーは彼のかたわらにひざまずいて肩をゆすった。
雷虎はたった今気付いたようにぼんやりと彼女のほうを向き、バスルームの中を指差した。
「蜜姫が……」
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