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痛みを紡ぐ女(2/7)
2/7
「あのコ、新顔ですか?」
紡は舞台で水責めされている少年を見ながら桂馬に言った。赤いドレス姿で、映画女優並みに完璧に整った髪形と爪だ。
桂馬は胸板をさらしたローブ姿で、頭に月桂樹の冠を乗せている。商品の服装の趣向も毎夜異なり、今夜は古代ローマ風だ。
「あいつ? ああ、俺とガッコが同じで。カネが全然ないって言うから連れてきたんです」
「へえ。友達なんですか?」
「いやあ、顔見知りってくらいです。ヘンなヤツなんですよ、誰かがカネを貸してくれって言えば持ってるだけやっちまう」
紡は頬を撫でた。
「席に呼んでもらえますか」
桂馬は席を立ち、ボーイに耳打ちした。
ショーが終わり、客が喝采した。拷問されていた少年は拘束を解かれると床に跪き、体をくの字に折ってゲエッと水を吐き出した。桂馬の隣の席で、中年女の客が「おお、かわいそうに」と笑いながら言った。
少年はいったん舞台袖に引き下がったあと、着替えて紡の席にやってきた。ほっそりした白い肌が水滴でなまめかしく光っている。
紡は微笑んだ。
「こんにちは。名前は?」
少年は名乗ろうとしていったん咳き込んだ。それから笑って言った。
「こんにちは。桐下《きりした》櫃児《ひつじ》です!」
何よりも眼を引くのはその雪のように真っ白な肌と髪、そして銀色の瞳だ。胎児の段階で汚染霧雨の影響を受けた、俗に〝雨の子〟と呼ばれる変異児だ。精神にも異常を抱えている場合が多い。
紡は櫃児を隣に座らせると、優しいお姉さんといった態度で続けた。
「私は稲見紡。将来の夢とか、やりたいことってありますか?」
先ほどまで拷問されていた素振りも見せず、櫃児は元気に答えた。
「えっと、いやあ。わかんないです!」
「好きなものとか」
「うーん……これといってないかな!」
「女の子のタイプは?」
「別に!」
紡は笑いをこぼした。
「何にもないんですね」
「ないですね。何にも! アハハ」
子どものように屈託のない笑いを、紡は愛しそうに眺め、ちらりと桂馬を見た。
「桂馬くん。櫃児くんを殴ってください」
桂馬は紡を見返した。それから櫃児を見た。
櫃児は桂馬に笑い返した。
「別にいいよ!」
「ですって。ほら、二人とも立って」
二人は立って向かい合った。
櫃児はにこにこしながら桂馬を見ている。桂馬は唇を結ぶと、戸惑いながらも櫃児を殴った。
バチン!
櫃児はびくんと体を竦め、頬を手で押さえた。
紡はわくわくした様子で言った。
「もっと本気で。もっと思いっきり」
桂馬は拳を振り上げ、最初よりももっと強く櫃児を殴った。
バチン!!
櫃児はしりもちをついた。キョトンとした顔をしている。
ボーイが割って入った。
「お客様。恐れながらそちらは商品ですので。あまり傷を付けられると……」
紡は虫を踏み潰して遊んでいるのを親に咎められた女の子のような顔をし、手を振った。
「いいわ、終わり。桂馬くん、お酒を注いで。櫃児くんはこっちに来てください。ひざまずいて」
「はい!」
ひざまずいた櫃児に紡は右手を差し出した。
「爪を塗ってください。できますか」
「はい。やり方を教えてもらえれば」
紡はアタッシュケースほどあるコスメケースを指差した。櫃児はそれを開け、彼女のアドバイスを聞きながらマニキュアを塗った。
桂馬がワインを注いだグラスを手にし、紡は自分の爪を眺めた。血のような赤だ。彼女は櫃児に微笑んだ。
「上手ですね」
櫃児は顔いっぱいに笑った。
「褒められて嬉しいです!」
「ご褒美をとっておいて」
紡は折り畳んだ札を二人の少年の懐に差し入れた。
それからしばらくは雑談をした。といっても紡の関心は完全に櫃児に移っていて、桂馬は相槌を打ち、酒を注ぐだけだった。
紡は礼儀正しく物静かだが、眼の奥にこの世界のすべてに対する憎悪の炎があることを桂馬は知っている。この女はその炎で焼き尽くす相手を探している。
紡が帰ったあと、バックヤードで桂馬は櫃児に詫びた。
「悪いな。あの女、ちょっとヤバんだ」
「別にいいよ!」
櫃児はいつものように笑い、それから心配そうな顔で桂馬の手を見た。
「君こそ手は大丈夫だった?」
「あ? ああ」
桂馬は面食らって答えた。
(変なヤツ……)
パーガトリウムで売春している少年には二種類いる。桂馬のようにどこにも居場所がなく、惰性で通っている少年。そして櫃児のように切実に金がない少年だ。
前者は気に入らない客やきついショーを断れるが、後者は金のために何でもやるしかない。櫃児は施設育ちの孤児だ。この市《まち》で変異児は犬猫と同じくらい簡単に捨てられる。
数日後、櫃児はパーガトリウムに姿を見せなくなった。マネージャーが言うには紡に買い取られたそうだ。
* * *
時間は現在に戻り、桂馬の家。
ドンドン! ドンドン!
桂馬はドアを叩く音で眼を覚ました。部屋の外で母親が泣き喚きながらドアを叩いている。
「桂馬! 桂馬! ちょっと! 開けなさい! 聞いて!」
桂馬は心底うんざりした。起き上がって充電器と繋がったスマートフォンを見る。学校に行く時間だ。
紡は先に起きていて、桂馬のデスクについていた。桂馬のワイシャツとジーンズを着ている。コンパクトを開いていた紡は、ドアの方を見て困ったように笑った。
母親は金切り声を上げて喚き続けている。
「何で私ばっかり! あんたも父さんと同じなんでしょ! ねえ! 私は病気なんだから! 何で私ばっかり……」
桂馬は顔をしかめて首を振り、囁いた。
「合法麻薬《エル》が切れたんですよ。すぐ終わります」
もう一度どんと強くドアが叩かれたあと、彼の言った通り、自己憐憫の滲んだ足音が階下へと降りて行くのが聞こえた。
桂馬は嫌そうなため息をつき、起き上がって服を着た。
「会社、行かなくていいんですか」
「辞めました」
桂馬は対して興味もなさそうに答えた。
「へえ」
「私のマンションへ帰ります。一緒に来てください。あなたにお礼をしなきゃ」
「いいですよ。その服もあげるし」
「桂馬くん、お願いです。一緒に来てください」
紡はコンパクトを閉じ、桂馬を見て言った。あの地獄の炎を秘めた目で。
「話したいことがあるんです。櫃児くんのことで」
「あいつがどうかしたんですか?」
「死にました」
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