3月は獅子のように
春ももう終わろうとしている。
桜は散りゆき、花びらは風に舞い上がる。
ふわりと穏やかな風と、ビューっと荒々しい風と。春風というのはどちらのことを言うのだろう。
ともあれ、この時期に風に吹かれると、私はいつもこの作品を思い出す。
羽海野チカさんの「3月のライオン」。
このタイトルは、イギリスの天気に関することわざからきているそうだ。
「March comes in like a lion and goes out like a lamb(3月は獅子のように荒々しくやって来て、子羊のように穏やかに過ぎ去る)」
私たちとはちがう国の“春”を指しているのに、なんとなくわかる気がする。不思議でおもしろい。
主人公は、中学生で将棋のプロ棋士となった桐山零、17歳。表紙で硬い顔をしているメガネの男の子だ。
零は幼い頃に事故で家族を失い、深い孤独を抱える少年。けれどそれは家族をなくしただけが理由ではなかった。
父の友人だった将棋のプロ棋士、幸田に引き取られた零。
居場所を見つけようと懸命に努力したが、それが結果として、幸田の“本当の子どもたち”を傷つけてしまう。
家を出よう
一刻も 早く出なければ…
僕があの家の人たちを 父さんを
喰いつくす前に…
誰も悪くない。居場所を求めた零も、お父さんを求めた“本当の子どもたち”も。それでも零は家を出て、大きな川沿いの街で、一人プロ棋士として暮らし始める。
そんな彼が出会ったのは、橋を渡った先に住む川本家の三姉妹。
「ちなみに今夜はこれ
れいくん からあげは好き?」
「す…好きです」
「じゃ おいで 一緒に食べましょ」
彼女たちと接していくうちに、零はたくさんのことを知っていく。美味しいご飯のことも、将棋のことも、家族のことも、自分のことも、他の誰かのことも…。
残念ながら私はどうしても、この物語を一言で言い表すことができない。
それは、このお話が零だけが主人公ではないからかもしれない。
これは川本三姉妹の物語でもあるし、零のライバルとも言える他の棋士の物語でもある。
加えて言えば、将棋を描くだけではなくて、夢を、家族を描く物語でもあるし、努力を、優しさを、学校を描く物語でもある(そして美味しいご飯も描かれている)。
だから私はこのお話がとても好きだ。主人公以外の“誰か”をそのままにしないで、ちゃんと物語にしてくれることで、零の抱える思いがくっきり浮かび上がってくる気がする。
ーーー僕はいつだってこうだ
自分のことですぐいっぱいいっぱいで
自分以外の人の優しさとか強さとか
さみしさとか
ぜんぜん…本当にいつも 気づけなくて
くやしくてーーー情けなくて……
私もいつもそうだ。いつも自分のことで手いっぱい。でも自分を大事にもできなくて、そんなだから他の誰かにも気づけなくて。
でもそんなときは、この物語が気づかせてくれる。
自分を大事にすることを、それから自分以外の人の、優しさとか強さとかさみしさとかを。
これはきっと、そういう物語。