うちの猫が死んだ もう十分生きた、往生だったと思う 死の瞬間を見た 青い目の美しい子だった その目を開いたまま亡くなった 複雑に光る青い宇宙が、 静かに濁っていくのをただ見ていた その次の瞬間に、恐ろしいほど大きな谷を見た その子は、物になった たった、あの一瞬で 腐るのを待つ物になった 10年以上を共にした時間の流れが、 断絶された瞬間を見た 数日後、荼毘に付した とうとう姿さえ消えた ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この文は私の弔いです 悲しみを形に残
例えばこのさみしさを集めて ちいさな砂粒のような欠けら達を集めて、 丁寧に集めて 星屑にでも、石にでも、もやにでも、 なんでもいい、何か形あるものに出来るなら できればうつくしいものに出来るなら どこにも行けないこのさみしさ達も救われるのに
夏に食べるアイスの 体に悪そうなブルーのような
人に、環境に、楽しませてもらおうと考えている人生なんてつまらないよね 自分で自分を楽しませること、わくわくさせることの大切さ
ヒールのある靴を履く、ただそれだけで魔法がかかったようにわくわくした、あのころがなつかしいなあ。
ここ2日ほど前から、どこを歩いても金木犀を感じる 桜が一斉に咲くみたいに、街のどこでも、ちがう街でもおなじく香る秋の報せをきいて、わたしよりもよっぽど正しく生きてるなぁなんて思った
私は自由な人(自由に見える人)への憧れがすごくあって、キラキラしてて、羨ましくて、なんなら妬ましくさえ思う けどそうじゃないよね、私にとってなぜその人が自由に見えるの?私がその人に対して感じている“自由”って?その憧れの“自由”のためにどう行動するの?ってのが大切だよね
完璧な程に美しいもの 美しいとはいつも閉じ込めたいある一瞬だ 美しいものを見ると、その一瞬になりたいと思う この憧れのような切ない気持ちをそっと鋭利にしていけば、わたしも静かに美しく静止して、そのものになって消えていけるのではないだろうか
暑いのと甘いのって似てると思う 少し空気の甘い夜
暖かい季節で、天候は晴れ 凪いだ海の、一本だけ伸びた桟橋の先に座っている 静かな水面にそっとつま先をつけて、水紋が出来るのを見届けたあと そのままするりと水に落ちて、私は人魚になる そしてきっと、美しい獣になるように、何もかもを忘れて泳いでいくのだ
大人になるのは楽しいらしい それを希望にしている 少し落ち込む出来事があった 昔から変わらない、私のだめなところ もっと大人になれば何か変わるだろうかと思っていたけれど、どうやらややこしい私はずっと私らしいし、そこに慣れや諦めが加わるだけのようだ 私が私に納得できるのはいつか
なんで今更お正月の話してるんやろ…w
私は郊外の住宅街に住んでいるのだけれど、お正月の街から受ける静かな賑やかさが好きです。 いわゆるベッドタウンと言われるような街。あたらしくはない街。 住宅街の中、普段ない場所に車が止まっている。あのお家の人、実家に戻ってきたのだろう。 お昼間なのに大きな道路には車があんまり走っていなくて、テレビは普段と違う番組ばかり。 人なんてほとんど歩いていない街なのに、家族連れや夫婦とちらほらすれ違う。 朝と夕方ばかり混む小さな駅まで行けば、誰かと会うために出かけるであろう、若い人が電
感情が揺さぶられるほど美しいものを見ると、こわいと思う。いつも。
てゆか適当に魚と書いたが魚でいいのか?笑
にんげんが空に憧れるのは、昔まだわたしたちが魚だったとき、青い水の中を自由に泳げた名残なんですって。と、昔どこかで読んだことをおもいだす夜。