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【心理学】得られるモノの少ない人生たちへ
大学のゼミは社会心理学でして。
社会心理学って、実験心理学とか臨床心理学に比べて地味だし、それって心理学なの?って言われることもあるんですけど、言っているコトは結構面白いです。
ゼミで学んだ中で私が常に意識しているのが、社会的交換理論。中身はとても簡単。
(報酬)−(コスト)= + or −
報酬とコストってのは、物質的なものだけでなく、精神的に満たされるとか、社会的地位を得るとか、目に見えないものも含みます。
それでね!
ある行動(これは前項の応用行動分析で扱う行動より広義です)を行うか行わないかを判断するとき、人間は、上記の式の値が「+」のときには行い、「−」の場合には行わないというのが、社会的交換理論の考え方です。
「そんなの当たり前じゃない?」
「難しく考えなくても普通そうでしょ」
その簡単さがイイんだな。簡単なんだけれど、そこから見えてくるものは恐ろしいのが社会的交換理論。
上記の式において、値の大小は考慮されません。あくまで報酬からコストを引いた値がプラスかマイナスかで人間は行動を起こすか起こさないかを決めるって話です。例えば、フットサルやるってなると、コストが大きいです。人集めたり会場用意したり。でも、そこで得られる様々な報酬があるから、人間はフットサルをやるんです。次に、スマホのパズルゲームを考えてみます。こちらは、得られる報酬はさほど大きくないと思います、主観ですけど。でも、コストが超絶に低いので、人間はパズルゲームをやるんです、んで、現代ってのは、様々な物事にかかるコストが、超絶に下がった時代です。
私の義務教育時代くらいでしょうか。友達を電話で誘おうとするときには、大きな壁がありました。「イエデン」って奴です。イエデン(家の電話)というのは非常に恐ろしくて、その家族の構成員の内、誰が電話に出るか分からないんです。本人が出たら胸を撫で下ろす。これはもう、コストを越えたリスクでした。
ですが携帯電話の登場で、イエデンからリスクとコストが大きく下がりました。その番号に掛ければ必ず本人が出る。今では当たり前ですが、それはとんでもない変化だったのです。ココであの式を思い出してみます。
(報酬)−(コスト)= + or −
あくまで理論上の話ですが、相手と連絡をとるコストが高かった時代は、報酬がそのコストよりも大きい、大事な人と会う機会が多かったハズです。そのコストが下がるということは、それほど報酬は大きくないけれども、コストがそれ以上に低いから連絡する、会う、なんてコトが起きてくるわけです。そしてこれは、先のフットサルやスマホゲーム同様、人間の様々な活動すべてに関わってくることです。
例えば、私は文章を読むのがとても遅いので、小説を読むというのはコストがとても大きいんです。でも報酬の方が大きいから読みます。でも手元にスマートフォンがあって、ゲームがあったらやってしまうんですね。報酬はとっても小さいけど、それ以上にコストが低いので。先述した通り値の大小は検討されないので、こういうことが起きるわけです。文章を書くのもコストが非常に大きい。でもそれ以上の報酬があるから書く。しかし実際、スマホゲームにハマってしまって、勉強が止まったこともありました。
様々なモノのコストが下がった。それはつまり、報酬の低いモノに流されてしまう機会が多くなったということです。油断していると、コストは低いけれども、報酬も少ないモノで人生が満たされてしまう。人間関係、仕事、趣味……いろいろとありますが、コストは大きいけど、それ以上の報酬が得られるモノに囲まれた人生の方が、豊かな気がしませんか?
これは余談であり予言ですが、「報酬は少ないけど、コストも少ないモノで囲まれた人」と「コストは大きいけれど、それ以上の報酬が得られるモノに囲まれた人」に、社会は二分化していくと私は考えます。