Kuta:配属ガチャで外したが、実力行使でやりたいことをやってきた

もうすぐ年金受け取りが始まるじじぃ。 ソフト設計志望で入った会社でまさかのハード設計部に配属。 が、与えられた環境で黙々と設計する部隊で、自分でプログラム作って改善を推し進め、半分くらいはソフト設計やってた。 そこらへんの思い出をポチポチと書いていきたい。

Kuta:配属ガチャで外したが、実力行使でやりたいことをやってきた

もうすぐ年金受け取りが始まるじじぃ。 ソフト設計志望で入った会社でまさかのハード設計部に配属。 が、与えられた環境で黙々と設計する部隊で、自分でプログラム作って改善を推し進め、半分くらいはソフト設計やってた。 そこらへんの思い出をポチポチと書いていきたい。

最近の記事

CPF生成プログラム

指定されたファイルを読み込んで、フォーマット変換して書き出すだけである 主にピン配置情報とACテスト情報 メインフレームで走る言語はそのころ、FORTRAN、COBOL、PL/IくらいでFORTRANを選んだ 単にフォーマット変換だけだとイージーだったが、DCテスト用データがM/T(magnetic tape、直径20cmくらいのセロハンテープみたいなの←適当)に書く仕様にされているので困ったような記憶がある あちこち聞きまわって、フォーマット入手し、無事M/T読み取り→フ

    • 未経験からIT業界

      未経験からIT業界って、ITエンジニアという仕事がすごく舐められてない?電気やメカのエンジニアだったら院卒じゃないと厳しいくらいだよ? この記事読んだ感想を 私はIT業界に入った1983年当時、そもそも大学でソフトウエアやってた人なんてほとんどいなかった 前に書いたと思うが私も電気工学科の中で、情報工学やっていた研究室にたまたまいただけ 会社の同期は、工学部でも化学系が多かったように思う 後は理学部 まあ趣味でパソコンいじっていて、BASIC触ったことがあるのはそこそこい

      • テストプログラム

        LSIテスタを制御するプログラムをテストプログラムと呼んでいた LSIテスタを制御する製品依存しない本体のマスタープログラムと、製品ごとの仕様を埋め込んだTSPECと呼ぶサブルーチンに分かれている 我々製品設計者はこのTSPECを製品ごとに作成する 詳細はあんまり覚えていないが、テストパターンごとに パターン名 テスト周期 ピンごとの入力タイミング、ストローブタイミング を書く感じ 元のデータはシミュレーション用のタイミング設定ファイルで、それを見ながらフォーマッ

        • 特性評価業務

          静電破壊評価みたいな実験室で行うのもあるが、多くはLSIテスタを用いた評価、特性測定である ACテスト テストパターンを用いたダイナミックテスト まずはシミュレーション通りにパターンがパスすること そして入力レベル(VIH/VIL)が規定内であること そしてタイミングマージンがあること DCテスト VOH/VOL、リーク等 出力ピンの状態をVOH測るならHighにしないといけないので、テストパターンがパスしていることが前提である またこの時のテストパターンは、ACパタ

          SAITEKI

          H立のゲートアレイの設計で(たぶん)特色があるのは、SAITEKIという工程 ネットリストを読み込んで、セル配置をする前に行う セル配置の負荷を減らすためかなんでか分からないが、一旦TTLイメージのブロックに置き換える作業、SAITEKIが入る はっきり覚えていないが、一つのブロックはRS付きのFF1個分、NANDなら8個?ラッチなら4個とかになっていた ANDとNAND、ORとNOR等をあまり混ぜちゃうと、使用率の低いブロックが増えて、ゲート数的には入っているのに、エラ

          最初はパンチカードで論理入力

          会社の事務所から、H立の大きい建屋に連れていかれ、ここで君たちは2年くらい実習だと言われる 工場なので、頑丈な建物 エレベータは貨物用なので、めちゃゆっくり動く 基本人だけ乗ったら怒られる トイレはどこも入り口が3つ並んでいて、2つが女性、1つが男性用 トランジスタガールと言われた、ワイヤボンディングを人手でやってた時代の名残だそうだ 「あの頃はもてたよ」と年寄りが言うのが鉄板 最初に与えられた仕事、というか教育用題材だったと思うが、論理図面をネットリスト(NF:Net F

          配属ガチャ なんでハード設計!?

          入社し、1か月ちょいの新人集合教育。 この間多くの友人、北海道から鹿児島まで出身者、ができた。 5月になり、配属決定。 名前を呼ばれ、部長の人に引率されていく。 「あなたはROM設計課」と言われた。 なんそれ?ROM設計課って。 イメージ的にはソフト設計臭さが全然ない。 十数人いた同期の配属課が発表になった後、部長の人が「何か質問ある?」とおっしゃったので、勇気を振り絞って「私はソフト設計がしたいと入社したのですが、なんでROM設計課なのですか?」と聞いた。 「ゲートアレ

          就職先はソフト設計会社だと思っていた

          4回生の7月ごろ、主任教授と就職・進学の面談 成績表を見て、教授は「あちゃー」と一言 すんません、成績ボロボロです それでも院に行きたいと言ったが、「無理」の一言、撃沈 課長級になった時、学生の面談をやったけど、21世紀だとほぼみんな院卒なイメージ 新人もほぼ100%院卒 だけど、昭和は限られたもの(選ばれしもの)だけが進学する感じだった 1~2割くらいだったと思う まあ学校にもよるだろうけど そして院をあきらめて、就職先の選定 いくつか候補をもらう 成績いい人は、

          ゲートアレイの設計とは

          当時は3µm Al(配線)2層 CMOSプロセス Al2層を多層配線と呼んでいた 他の製品は、Al1層+Poly Siで配線してたみたい Al1層目と2層目の層間膜がつぶれやすく、信頼性向上が大変だった模様 今14層とか言っているのからしたら、信じられませんな ツールは全てM/F(メインフレーム:大型コンピュータ)上で動く ネットリストを入力 論理シミュレーション レイアウト GDS払い出し えっ実負荷SIMは? あの頃電源電圧5Vで、配線容量によるディレイなんて、セル

          情報処理技術者試験

          3回生の秋に第2種を受けた。 一発合格。 4回生の秋に第1種を受けた。 これも一発合格。 合格証書が来たのが、社会人になってすぐの4月中頃。 寮で人事の人たちが来て懇親会みたいのがあったので、そこで証書を見せたが「すごいね」で終わった。手当とかはなかった。 特種は25歳にならないと受けられないので、なると同時に受けたが全然だった。3回くらい受けたがだめで、どこがダメかも分からないので、あきらめた。

          TMS9900との出会い

          4回生になり、研究室に入った。 電気工学科で唯一情報工学をやる研究室だった。 教授一人に私含めた学生二人。 助教授、講師、助手そして院生もいない三人だけの研究室だった。 ほかの研究室は、10人以上の大所帯が多かったので、なんとも変わったところだったのだろう。普通が分からなかったので、そういうもんだと思ってた。 もう一人の同期は、ミニコンピュータを用いた文字認識をやることになった。Fortranを使ってたと思う。カーリングのストーンのようなサイズ/形状のハードディスクを使っ

          ド定番 PC-8001購入

          Wikiによると発売が1979年、終売が1983年と完璧に私の大学生活と被っている。 いつ購入したのかはっきり覚えていないのだが、春休み中だったような感じなので、たぶん1回生の終わりの3月終わりから4月初めに買ったのだろう。モニタ込みで20万円ちょい超えだったように思う。 で何をやったかというとゲームである。 I/O に載っていた機械語を、同じ学科の仲間と分担して入力、誰かがマージして完成させ、それを仲間全員でシェアする、というのをほぼ毎月やっていた。 Wikiによれば、ギ

          初マイコンピュータPC-1211 BASICとの出会い

          宇宙世紀0079(ダブルオーセブンティナイン)大学に入学した。 工学部電気工学科。 情報工学科なんてのは影も形もなく、電子工学科もなかった。 選択肢は、電気工学科のみ。 いつ買ったのか、どうして買ったのか覚えていないのだが、買いました。 ポケットコンピュータ PC-1211。 机の引き出しの奥から、引っ張り出してきた。 さすがに液晶はだめになっているようだ。電池入れたら動く? まっこれを使ってBASICを覚え、プログラミングにはまっていったのは間違いない。 Wikiには

          プログラミングとの出会い TK-80

          通っていた高校は、秋ごろに長居競技場で1500m走を全生徒で行う、という行事があった。 高三のとき、この行事の帰り、友人と日本橋に行った。 そこで出会ったのが TK-80 である。 と言っても私はその友人が、音を出すプログラムを打ちこみ、実際に音(というかなんかの曲)を出すのを見ていただけ。ふーん、という感じだった。 そのときはそれで終わり。