「皆既日食」屋久島日記
2009年。
今世紀最長の皆既日食が日本で見られる…
そういう予定だった。
場所は鹿児島県屋久島。
「耳の中までビッショビショ」と言われるくらい雨の多い、世界自然遺産である・・・。
以下の話は当時mixiに載せた「日食が見られなかった顛末」であります。
観測地に選んだ屋久島の島民の人達のテキトーさというか、ゆるさが大変ほほえましかったので、そこんところを話したかった。
投稿当時、えらく評判が良かったので、11年経って、あらためてここに残すものであります。
P.S.
文中の「ユカさん」は著者(もりい くすお)のパートナーです。
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<まず鹿児島中央>
今年の皆既日食は、太陽が月に隠れてる長さが国内では今世紀成最長だと言うんで、それが見られる島々に人気が殺到し、あまりの人気なので当日のノーアポの入島や宿泊は無理(高額を支払えば可能)と事前に予想され、天文オタクのユカさんは3年ほど前からあれこれ準備をしていました。
「見たい」というヒトは世界中を駆け巡ってるそうで、過去には中東のアブナイ地域でわざわざ傭兵を雇ってボディガードさせて日食を見るというツアーもあったというほど、一生懸命なのです。
我々は出来るだけふつうの値段で行きたいので、日食の当日から5日も前に鹿児島入り。そこから船で島に行くプランを取りました。(いつもなら羽田から直接屋久島に行けるのに、飛行機代は高騰していた)
ちなみにロケーションを屋久島にしたのはユカさんが数年前に酔狂で土地を買って持ってたからで、当初はその更地にテントを張る予定でしたが、さいわいコテージの予約がゲットできた(<不景気でキャンセルが出たらしい)ので、テント計画は取りやめました。
夕方に新幹線で出かけ、波止場に近い鹿児島中央という駅の真ん前のビジネスホテルで一泊。
一夜明けて入島当日、携帯にかかってきた屋久島のレンタカー屋の電話で目が覚めます
「まだ仮予約ですけどどうしますか?」
数日前に、本予約をすませてるにもかかわらず、たびたび同じような電話がユカさんにかかってくるそうです。
窓から見える朝の風景は、見事な桜島が思いっきり無粋な観覧車に阻まれて、さながら「皆既桜島食」といったかんじで、なんだかこれからの思うにまかせない状況を暗示してるような不吉なものを感じました。
「だいじょうぶかなあ。島に行ってクルマが無かったらどうしよう…」
鹿児島は快晴でうだるような暑さ。街はまったく日食では盛り上がっておらず、タクシーの運転手さんは「篤姫のときはすごかったですけどねえ」と言ってました。(註:「篤姫(あつひめ)」当時の大河ドラマ)
妙にミスタードーナツの多い土地でした。
名物の豚しゃぶしゃぶやかき氷の「白熊」に舌鼓を打ち、短い鹿児島大陸の滞在を満喫したあと、高速船トッピーに乗船。いざ屋久島へ。
ちなみに、鹿児島中央のホテルでは、深夜と早朝にご当地のローカル番組をいっぱい見られて幸せでした。
「柴さとみ」という、テレビに出てる人(タレントか局アナか不明)がユカさんに似てて、あんまり似てるんで言えなかったが、ユカさんが自分で発見して「この人自分に似てる!」というので、私は「知ってたけど言えなかった」という複雑な心境を吐露しました。
わかるかなー。たとえば、義妹の旦那はお笑い芸人・麒麟の田村に似ており、関わり合いのある人みんながそう思ってるのだが、なんか、本人の前では話題に出来ないという。そういう感じ。
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<屋久島入島>
皆既日食のニュースは2週間ほど前からにわかに各局で報道しだし、あおられた視聴者が日食グラスを買いまくった。
始終携帯サイトをのぞき込んでいるユカさんによると、予約のない観光客が屋久島には人が殺到し宿を求め、あちこちで相部屋を余儀なくされてると mixiのコミュニティに情報がアップされてるという。
そのコミュニティには「東京では何秒皆既日食が見られますか?」などと言うすっとんきょうなカキコミもあるようで、そういうたぐいの人達がともかく屋久島に訳もわからず押しかけてきてるらしいのだが、それを聞いたあたしは、せっかくとれたコテージにあとから「相部屋お願いします」って知らない人が来たら面倒くさいなぁと思った。
「男はつらいよ」とかであるじゃないですか。寅さんが民宿の湯上がりに窓辺でリラックスしてるとおばさんが「相部屋お願いできませんかねえ」つって誰か来るシチュエーション。でも、寅さん映画のマドンナだったらいいか…w
とにかく屋久島は今後も未曾有の量の入島者が予想され、日食当日は屋久島開島初の交通渋滞もあるのでは!?とか食糧不足まで危惧され「備蓄に限りがあるので各自食料も持ってくるように」というおふれも出たという。
こうなると、プチ・パニックだ。
ご多分に漏れずわたしも荷物の中にさきいか、スナックなどの「乾き物」をたくさん詰め込んだ。
ともあれ高速船トッピー(満員)に乗ってあっという間に屋久島へ。
今回の日食人気に便乗した鹿児島県は「入島税」なる訳のわからない支払いをもとめて3,600円を我々に支払わせたが、トッピーを降りる際なんのチェックもしなかったので、「アレは支払わなくてもバレなかったんじゃね?」という疑問と後悔がちょっとあった。
プチ・パニックなイメージだったわりには到着してみると島(波止場)はひじょうに平穏であり、出店が出てるわけでもなく、ずいぶんと欲がないというか、この日食で一儲けなどとは考えないんだなあと、ちょっと意外だった。
だんだんわかってくるのだが、これは優しさとかのたぐいではなくて、きっと面倒くさかったんだと思う。
波止場に到着したらレンタカー屋さんがちゃんと待っててくれたのでホッとした。
真っ黒に日焼けした気のいいオッサンがフワ〜ッとお出迎え。
「この人が何度も仮予約を本予約に、の電話をしてきてたのか…。さもあろう」などと、とても客商売の最中とは思えないフランクなようすに、上目線なことを心の中でつぶやいてしまった。<すいません。
「向こうに置いてあるから。いま降ろしますから」という口調は、「おいどんは薩摩でごわす」という鹿児島のイメージ(どんなだ)とは遠い、どちらかというと沖縄訛りも連想できるような、やさしい親しみやすさを感じた。
借りる軽自動車もそれを運んできたトラックもオッサンのイメージからはほど遠い綺麗さで(<重ね重ねすいません)、ひとあんしん。
「サインをお願いします」と言って、彼の差し出した書類の返却予定日は、間違えた日時で記入されていた。
どこまでもなやつだぜ。
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<1泊目>
借りた車は軽自動車の「ekワゴン」。さっそく波止場を出て、予約したコテージへ。
山に囲まれたコテージは曲がり角(入り口)がはっきりせず、いったん猛スピードで行き過ぎて「あっ今のじゃない!?」と引き返した。
この「あ!いまのところ!」というシャウトは、表示がはっきりしない屋久島では「おはよう」よりも多く言葉にしたセリフである。
森をちょっと行くと、同じデザインのミニログハウスが長屋のように横にずらっと5~6件ならんでる広場に出た。コテージ到着~(たぶん)!
一番手前のログハウスでおねえさん方が3人バーベキューをしている。
一番手前にあるのだからたぶんこれが管理人室なのだろう。しかしだれも「いらっしゃい」と手前に出てこないのでユカさんがクルマを降りて尋ねたら、バーベキューしてる一人が管理人だった。
年齢不詳のおねえさんを、我々はコテージの名前「森のこかげ」にちなんで「こかげちゃん」と呼んだ。
こんな森の中で一人で切り盛りしてるのだろうか?ジェイソンが怖くないのだろうか?
彼女はユカさんが、移動中重くなるからと、先に宅急便で送っていた荷物を管理人室の奧から持ってきて
「すいません、なんだろうと思って間違えて開けちゃいました~」と笑っていた。
長屋の正面にある、庭とも空き地とも付かぬ広場にはひとつだけテントが張ってあり、誰かが根城にしている。
「この人は予約が取れなくて土地の隅っこを拝借してるのだな」と思った。
トイレも風呂も借りられるので(このコテージはそれらが共同)なかなか妙案だと思ったが、ユカさんに言わせると、おそらく特例だろうと言っていた。こかげちゃんの知り合いかもしれない。
鹿児島を出たのがおやつくらいの時間で、なんだかんだで夕方になっており、これからドライブでもないので、荷物をほどいて休憩し、まもなく晩飯に出かけた。
今夜の目当ては屋久島では珍しいイタリアンレストランだ。
なんか、この店のことをつぶさに書くと、あたしがイジワルだと思われるような内容になるので遠慮するが、んま、とにかく自慢はピザらしいのにマルガリータにバジルの葉っぱを乗せ忘れるような店だったとだけ言っておきます。
しつらえている大きな窓は客にナニを見せようとしてるのかわからないが、外はとにかく漆黒(しっこく)の闇で、それはそれはいろんな種類の無数のムシ君達がガラスに体当たりを挑んできていた。
コテージに帰ってお風呂に行こうと思ったが外は闇で、外のベンチでタバコ吸ってた泊まり客に「風呂はどこですかね」と、おそるおそる尋ねたら「向こうの向こうの左入ったところです」って教えてくれたが、そっちは真っ暗で、ちょっと行ってみたがあきらめ、満天の星空を仰いでから、トボトボ引き返した。
リモコンのないテレビを20年ぶりぐらいに体験。放送してる番組が意外に全国ネットのものばかりだったのとチャンネルを変えるのが(リモコンないから)めんどくさかったのとで読書に切り替え、くたびれて眠っているユカさんに気づせぬようにでかいゴキブリを抹殺し(部屋の角の隙間にそっと追い込み、ティッシュで栓をした)、想像以上に快適なハンモックに揺られながら屋久島第1日目は比較的早めに眠っちゃいました。
ちなみにインターネットはできません。
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<屋久島2日目>
一夜明けて、屋久島はカッと照りつけるように晴れ渡っていた。
屋久島はそもそも「雨の島」だ。耳の中までビッチョビチョという比喩もあるそうである。それが昨日も今日も快晴なのだ。聞けばここのところずうっと快晴で、ちょっとした水不足だという。
我々としては、いま晴れ渡ってもらってもなんにもトクがない、辞退したい快晴だ。
「今日はいいですから日食当日にお願いします」とお天道様に手を合わせた。
日中、とりあえず、やることもないし(とにかく日食当日までやることがないのだ)。ユカさんの土地に行ってみようと言うことになった。
もともとその売り地は、造成はしたもののナニも建たずに放ったらかしになっていた土地で、事情があって一般に売りに出されたもの。
ユカさんは団地育ちで、社会人になってからもずうっとビルの一室(つまり空中)に住んでおり、それが原因で過剰なまでの「地べた」への執着がはぐくまれた。その執着がこの造成地の一部である100坪を買い上げさせた。
初めは東京郊外を探していたのだが、どこに買ったとしても郊外や他府県に買うことになるなら出かけるのに時間がかかる。同じ時間がかかるならうんと遠くても同じことだ、という、理解できるようなできないようなコンセプトで屋久島に白羽の矢を立てた。もう10年以上前のことだ。
最後に訪れてからもう8年ほど経っている。東京からだとお金も時間もかかる場所なので(そりゃそうだ)ちょいちょいは見に行けない。
周りには家が建ったかしら。前に来たときに植えたちっこくてかわいい松の苗木(10本)はどうなってるだろう、とにかく現状を見たかった。コテージが取れなかったらそこにテントを張る予定だったわけだし。
ユカさんは買った土地(ただの更地)を屋久島の不動産会社に管理費を払って見てもらっている。
毎年、年賀状には「異常なし」とあるそうで「見に来るときはどうぞご一報ください」という書き添えが、なかなかあたたかい。
飛行場近くにあるその土地は、実際わかりにくいところにあるのだが、代わり映えしないゆっくりした屋久島の時の流れの中では、昔の記憶をたどれば見慣れた曲がり角を間違える気遣いもなく、さすがのわたしでもスムーズに横道に入ることが出来、「少し道が舗装されたかな?」などと小さな変化を楽しみながら徐行を続けた。
まもなく進むと、見通しのいい造成地がパーッと開けて、その向こうに見える海と種子島が、相変わらずのおなじみの風景で…いや!?ではなく、いささかサマ変わりしていた…!
「え!?これ!?…ここ??」
だだっ広く殺風景だった更地は相変わらず家らしいものがほとんど建ってないのだが(1~2軒ふえたかな)、元気に根を張ったわけのわかんない雑草(?)がワサワサとそこらぢゅうの土地全体を覆いつくし、遠くの木々も心なしか大きくなって海を隠し、そしてなによりも、手前のほうで目立って風景を阻んでいたのはユカさんの土地と思われるその場所から、ニョキニョキ伸びてる身の丈の倍ほどある10本の松の木だった。
かつては腰くらいの高さだった苗木は「やーユカさん!僕たちこんなに育ったよー!」と野太い変声期ボイスを頭の上からかけてきそうに立派に育ち、思いっきりとなりの土地(も、やっぱり更地のままだが)に枝葉を侵攻させており、このままでは幹がどんどん太くなって境界線を越えるのは時間の問題に見えた。
そしてあろうことかどっかの残土がてんこ盛りで捨ててあり、100坪の土地をより狭く見せていた。
やるなあ!屋久島!不動産屋の「見に来るときはどうぞご一報ください」は、お越しの際は是非お立ち寄りください♥的なニュアンスではなく、片付けるから急に来ないでね、という意味だったのだ。
てっきとーーー!
芝も刈ってなきゃ松も伸び邦題の放ったらかし。しまいにゃ不法投棄にも目をつぶっているんだから「管理費」ってなんだろう?
ユカさんはまるで信じられないといったようすで絶句して、茂みに頭をつっこむようにして何回も同じところ(特にお隣さんとの間)をのぞき込んでは呆然としていた。
「10本植えても7本くらいは枯れると思ってたのに」狼狽したユカさんは、なにを言ってるのか意味がよくわからない。
東京でこのようなこと(管理費払ってるのに云々)があるとすぐ相手に掛け合うユカさんも、「まあ、屋久島だから…」というモードに無理矢理にマインドをシフト・チェンジして、とにかく苦笑いでその場をやり過ごすことにしたようだが、それからクルマを走らせて、道すがら車窓から4階建てのビルほど大きくなってる同種の松を見あげては、深くため息をつくのでした。
それから島を一周して、ちょいと観光気分を味わい、ユカさんの会社のスタッフ・のじのじを昨日の波止場に迎えに行った。今回の観測はこの3人組でおこなう。
波止場には昨日のレンタカーのおじさんが居たので挨拶すると「もう帰んの?」と、冗談なのか本気なのかわからないことを言ってきた。「いやいやいやいや、日食見ないと。いま人を迎えに来たんです」
彼は実は種子島の人だそうで、屋久島のことを少し小バカにしているようだった「退屈でしょう。2~3日居たら発狂するよ(笑)」
どうしてどうして、いまの我々には当てはまりませんな。
まもなく、のじのじがトッピーに乗ってやってきた。
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うっかりスキップしておりましたが屋久島における日食の話を少しいたします。
前にもご案内した通り、この島は雨が多く、そして島の場所によって天気が変わるという特徴を持っています。
島の東側は、飛行場があるくらいだからよほど天候に恵まれているだろうと思うとさにあらず、「そこに滑走路を作るに足りる地面があったから」という理由で設けられた、はなはだ気象状況の悪い、パイロット泣かせの場所だそうです。
ポイントは北か、南か。
北から風が吹けば中央の山に雲が阻まれ南が晴れる。南から風が吹いたらその逆で北が晴れる。
ユカさんは絶えず携帯サイトの衛星画像とにらめっこしていました。
そして有益なのがmixiのコミュニティ。シーカヤックとかやってる人が気象に詳しく、いろんな知恵を貸してくれるし、同時期に入島してる人同士で「いま、こっちは雨が降っています」などオン・タイムな実況をやりとりできる。
とにかく判断ミスが致命的な結果を生みかねないので、マメに情報収集して不退転の気持ちで取り組んでいく覚悟がいるようです。
毎日気にしている天気予報の、日食当日の降水確率はこの時点で、30%から50%に上がっていました…。
ちなみに宿泊してる場所はいまいるところが北のほうで、3泊目からは南のほうに移る。
ま、これはたまたま予約が取れたからそこにいるかんじで、気象や観測とはそれほど因果関係は無い。(ですよね、ユカさん)
<屋久島のおんなたち 前編>
さて
のじのじが乗ってくる船は、我々が前の日に到着したのと同じ時刻の定期便「トッピー」なので、彼を迎えた時点で、もう夕方時間を過ぎていた。
スーパー「ばんちゃん」で(ほんとはJAの店でAコープというのだが、ばんちゃんという屋号を掲げている)飲み物などを買い、「森のこかげ」へ戻る。
この日の晩飯は前もって、ユカさんがこかげちゃんに注文していたバーベキュー。
昨日ここに来たときにこかげちゃん達がやってたバーベキューは、お願いすると炭と材料を用意してくれるシステムだったのだ。
実は前の晩のイタリアンレストランがそこそこだったのでなんの期待もしていなかったのだが、ログハウスの前に用意されていた材料は豊かそのもので、肉、さかな(名物のトビウオを初めていただいた)、野菜とたいへん具だくさん。材料もさることながら、こかげちゃんの握ってくれた塩むすびが、3個あつらえてあって、これが泣かせた。
量がすごかったので「まあ、あわてないでゆっくり食うさ」と呑気なことを言っていたのだが、どんどん日が暮れて手元が恐ろしく暗くなってきた。
ログハウスの窓からこぼれる、こころぼそい部屋の灯りだけがたよりで、自分の影が食べ物に落ちないように不自然な体制を取りながら、材料を焼こうにもいま自分が箸でナニをつまんでるのかがよくわからない。おのずと後半ちょっとピッチが上がる。クチにいっぱいほおばりながら
「明日から自炊できるところに泊まるから、残りはラップで包んでおこうか」
四苦八苦していると、なんとなく難渋してるように見えたのか、見かねたこかげちゃんがやってきて「あの、これどうぞ使ってください」と、ハナから玄関先のデッキに置いてあったライトを引っ張り出してくれた。
ぎゃふーん。そういう便利なものがあったの知ってたら、後半あわてて食う必要もなかったねー。
街灯の無いところではライトを使う、という概念が無い我々は、風呂に行くのも懐中電灯が用意されてることにしばらく気づかなかった。
こかげちゃんは客の荷物は開けちゃったが、ひじょうにあたたかい人だった。
明くる朝、宿の引っ越しの用意をして南のコテージに移動。さらば、こかげちゃん。
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<屋久島のおんなたち 後編>
次の宿「せせらぎの里」のチェックインは午後なのだが軽自動車に3人ぶんの荷物を積んで走るとしんどいので、とりあえず荷物だけ置かせてもらうことにした。
台所仕事もできる、住宅風コテージ。川の字で寝ます。
ここの管理人も女性だが、こかげちゃんとはうって変わって丸ぽちゃタイプのベーシック・タイプのおばさん。(おばさん、と言っても世代は我々とそう変わらないと思うが)
挨拶もそこそこに「日食ですか?どちらで見ます?」と尋ねてくるのでユカさんが
「そうですね、北と南で気象が違うようですし…」と、言いかけたところで彼女は
「当日、雨だって言ってますよ!どうしますギャハハハハ!」とかぶせてきた。大変楽しそうだったのでこっちも「そ、そうですね」とほほえみ返した。
「でもまぁ、場所によって天気が違うから!」と一言なぐさめてくれた。
いや、だからこっちはまさにそれを言おうとしてたんだけども。
それからチェック・インの時間までドライブへ。ヒッチハイクのガイジンをスルーしてのじのじに「乗せてあげればいいのに」と苦言を言われながら(<汗臭かったらイヤだなと思った非情なもりい くすお)、3人で海へ。
のじのじは日光浴をし、ユカさんは岩場に生息するカメノテという貝の一種をさかんに採取していた。味噌汁に入れるといいダシになるらしい。
あたしは岩場をうろちょろ。どう見てもオタマジャクシなのだが、海にいるわけがなく、こりゃ一体、なんです?(画像参照)
昼、クーラーボックス用に氷を買いたくて、人に聞いたら自販機が波止場にあるというので指定の場所に行ってみたが、あるのは漁協のコンクリートむき出しの色気のない建物だけ。
のじのじがクルマを降りて、建物の脇の日陰でたむろしている、真っ黒に日焼けした漁師さんたち(半裸)に聞いてみたら、この建物のウラっかわだと言うので行ってみると、自販機らしいマシンは見あたらないのだが、建物の壁からピンク色のでっかいホース(電信柱を彷彿とさせるくらいの太さ)が飛び出しており、そばに基盤があった。
「まさか」と思いながら見上げると4階建ての建物の壁にでっかく丸に「氷」としてあった。
建物全体が自販機かーい!
まあ、プロのかたの使うものだから、こういう規模なのかもだな。
「どんだけ出てくるんだろう」と不安に思いながら、わたしがしゃがんでホースの下にアイスボックスを添え、のじのじが「いきますよ」と「100円」と書いてある基盤にワンコインをチャリン。
ゴンゴンゴンゴンというなにかが始動したあやしい音がしたかと思うと、やがて
ザアアッ!!!
と大量の氷がホースの先から注がれた。いや、注がれなかった。めでたく氷は出てきたものの、ホースが氷をはき出す瞬間に身をよじって少しブレたので、氷は見事にアイスボックスの外に全部こぼれた。
我々はなんだか知らないがビックリしたあとに大笑いして、しょうがないからもう一回100円を入れ直した。
それからランチへ。
ランチは、ユカさんが事前にチェックしていたというカレーライスやさんへ。(とにかく今回の旅行はユカさんの発案なので、プログラムはユカさんがすべて組み立てている)
たいそう評判がいいらしい。
女子高生っぽい給仕は大変おとなしいかんじでかわいらしく、赤いバンダナで姉さんかぶりをして、TシャツにGパン姿にこれまたかわいい前掛け。こりゃオーナー夫婦のお嬢さんの夏休み中のバイトかな?
ここで、ヒトコト言わせていただきたいのだが、九州地方に行って、ちょいちょい思うことがある。かわいい女の子が多い。女の子がかわいい、のではない。
平均的な女子の中にすごい逸材が突如ボン!とひとりだけ混ざってるのを見かけることが多い。
森三中と中島美嘉(MICA 3 CHU)の関係を思い起こしてくれたらいいかな。
ご出張の際はみなさんも人混みを気をつけて観察することをオススメいたします。
さて、このお嬢さん、「食前に」とたのんだラッシーをカウンターの内側でていねいに作ってくれているようすなのだが、結局出てきたのは3人がカレーを食べてる真っ最中で、別にそれはいいんだけど、それならいつ飲みたいか聞いてくれなくてもよかったわな。
こういうことは日常的なことらしく特に弁解はなかった。もちろん私達も不問。
カレーをいただきながら彼女の働きを見ていると、何事においてもひじょうに、うやうやしい(?)。
たとえば客の帰ったあとのテーブルを拭いているときも、いとおしい赤ちゃんの頭をなでるようにテーブルの上でゆっ…くりとやさしくダスターを動かし、途中でなにを思ったか、フとその手を止めると、ソっと、たたんだダスターを広げて内側をジッとながめていたり、なかなかヘソがかゆくなる優雅さで、これならラッシーが出てくるタイミングも「さもあろう」と言うことであり、ほんとうに食前に飲みたいのなら、家を出る前に電話しておかないとな、と思った。
帰り際に奥さんから「日食ですか?雨だって言ってますねえ」と、ここでも傷口に塩をすり込むようなことを言われた。
往々にして彼女たちに悪気はない。
わざわざ日食を見に来た人達にも興味津々だし、その人達が全員徒労になるかも、というのも興味深いのである。
「カレーちゃん」投稿者:ユカさん(東京都)
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<皆既日食前日>
いよいよ次の日は日食!そんな、前の日の朝が来た。
朝の報道バラエティでは「エリカ様&高城氏奄美入り」をどのチャンネルもさかんに取り上げている。
そんなことより、天気予報。
あしたの屋久島。降水確率60%…。
「でも、場所によって天気が違うから。とにかくフットワークを軽く情報収集をマメにしよう」と励ますように誰とも無くコメント。
ヘンな話だが、ボンヤリ布団の中でうつろに
「東京大空襲の時って焼夷弾が空から雨のように降ってくる中、隅田川に逃げようか上野の山に逃げようかで意見が分かれ、結局どっちにするかの判断が命運を分けたんだよなぁ」と、そんなエピソードを思い出していた。
思い出すものが東京大空襲というところが、なにか自分の心の中の絶望感を表してる気がした。
で、とにかくこの日も快晴。
海に行ってシュノーケリングをした。
青いサカナ、赤いサカナ、見たことのない色のイカの群れ、ハンドボールほどあるしましまのウニ。棒みたいな白いサカナ。なんかの稚魚の大群…
なんだか翌日の不運をエクスキューズするかのように、竜宮城の乙姫様が 「明日はホント、すいません」と出来るだけのサービスをしてくれているようにも思えたぐらい、30分のシュノーケリングはめちゃめちゃバラエティだった。
帰りに評判の温泉に寄った。
「前にみんなで来たことがある。番台に猫がいて。」とユカさんが言うのだが、あたしものじのじもどうしても思い出せない。猫は好きなので、そういうシチュエーションならたいがい思えていそうなもんなのに…。
それでもあたしは向かう道中でだんだんディティールを思い出したが、のじのじは到着しても半信半疑だった。
どんだけ印象の薄い温泉なんだ。
到着してみるとおばさんが建物の正面で汗だくでクルマの采配をしてて「駐車待ちです。中はすごいよ!」と言ってきた。
翌日の皆既日食を前にして、入島者の数もピークに達してることを、この銭湯の混雑に見てとった。
そんなに待たずに駐車でき、すぐ屋内に入れたが、脱衣所に行くまでの廊下がすでにもう混雑で、廊下が人で埋まっていた。
体が蒸された老若男女がひしめいているので、形容できない湿気とニオイにまみれている。
脱衣所に入っても混雑は同じ。
服を脱ぎながら「芋を洗うようだとは、まさにこのことだな」とありきたりなことを思ってたが、そこにいる人々がやっぱり口々に「中は芋を洗うようだ」「芋を洗うよう」と同じことを念仏のように言ってて、なんだか、「芋を洗うよう」と鳴く動物の飼育カゴに入れられたような気分になってきた。
ここもここで、石鹸のにおいと男の汗臭さが混ざって異様な感じだったが、普段ならこういうニオイを嫌うあたしも、ここまで来ると「いとおしいな」と思った。(観念したのだろう)
さて、洗い場への扉は、あまりに出る人と入る人がひっきりなしなので、半ば「開けっ放し」状態であり、中はもう、満州からの引き揚げ船のような密度で(って、しらないけど、浴室全体が出入り口より低いところにしつらえているので、さながら船底のようなのだ)ハダカの男でごった返していた。
ザッと見積もっても40人はいるんじゃないだろうか?小学校の教室の半分弱ぐらいの広さである。
しかしシャワーは3本しかない(!)。
あたしは石鹸とタオルを持ったままちょっと立ち尽くしかけたが、一緒に入ったのじのじは迷うことなく湯船のお湯を体や頭にかけ始めていたので、踏ん切りが付き、あたしも湯船の縁の少ないスペースを陣取り、頭に湯をかけた。
これだけおおぜいのおっさんが浸かってるってるのだから、この「ジジイ汁」はだいぶダシが出ているのだろうが、もう背に腹は替えられなかった。
頭がシャンプーの泡だらけになった時点ですぐそばのオヤジがこっちをにらんでる視線を感じた。
手が泡だらけで、つかんでる洗面器にもそれがまとわりつき、このまま湯船に洗面器をつっこめばまちがいなく湯に泡が入る。
しゃがんだまま身をひるがえし、目に泡が入るのを泡だらけの手でぬぐいながら必死にパニックになるのを押さえて、シャワーを浴びてる近くのお兄さんに
「ゴメン、次、使わせて」と申し出た。
彼は快く「いいですよ。すぐ終わりますから。ぼくも怒られました(笑)」と応えてくれた。
彼は大阪人だがいまは東京に住んでいるそうです。そういう軽いコミュニケーション有り。ちょいとイケメンでした。
無事にシャワーを使えて、やれやれと湯船に入る。
コレがふしぎなのだが、意外に湯の中に人がいない。熱いせいかな、と思いながら居心地のいいところを求めて湯の中を進み、「ふー」と内床タイルに尻を付いて洗い場のほうに向き直ると、そこには湯船のへりにいろんな体位で腰掛けて洗面器で湯をすくいあげる、おびただしい裸のオッサン達の壁が出来ており、どこにも目のやり場もなく、目をつぶって浸かっていられるほど落ち着いてもおられず、早々に湯から上がった。
帰りのクルマの中で「入場制限すればいいのにね」とユカさんがぽつりと言った。
たしかに!
言われるまでまったくそういう「都会的な」発想を思いつかなかった。
すっかり脳内モードがコッチに切り替わって、詰め込まれるまま従順に我が身を全裸のオッサンのるつぼに投じた自分がおもしろかった。
来るときはみんなの記憶から消え去ってた温泉だったが、もう二度と忘れられない温泉となった。(なんちて)
空は小雨模様。
ううむ。
この夜、のじのじが作ってくれた冷やし中華はたいへん美味でした。
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<皆既日食当日01>
皆既日食当日
朝、自然に目が覚める。
皆既日食ショウは昼近くだが、前の晩も早くに休んだし、誰かが起こしてくれるだろうから寝過ごすこともあるまいと、アラームなどはつけていなかった。
ナニキッカケだったのか、体内時計は私を自然に起こした。
何時頃だろう…。
夢うつつの頭の中では、なんとなくざわついた雨とも風とも無い音をとらえている。
エアコンの音なのか、目覚めて動き出した血流の音なのか、夢の続きなのか、それとも雨音なのか…
んま、どう考えても雨なのだが、必死にとぼけてる、いじらしい自分が居た。
窓辺に眠っていた私はむっくり起き上がり、閉じたブラインドを指で広げて外を見た。
雨が降っている。
降るかもしれない…くらいには思っていたが、こうガッツリ降られると、連日のバッカバカしいくらいの快晴もあって「皮肉」という言葉以外が思いつかない。
電気が付いてない薄暗い部屋の中で、まだ布団の中のふたりを振り返ると、のじのじがなんとなくこっちに視線をくれている。
ユカさんは起きてるのか眠ってるのかわからない。
なんと声を発していいか簡単に見つからないで出てきた言葉が
「RAINING(レイニング)」
だった。
のじのじが黙って頷くのを見て、「あ、知ってたか」と脱力し、また横になった。
英語で言ったのは別にすかしてたんではなく、「雨が降っているね」と明快に言うのが悔しかったのと、とにかくここにいる3人の敗北感をこれ以上あおらないために、もっとも「遠い」言い方をしようと思ったのだ。
ともかく窓辺にいる者として、報告する義務があると、とっさに思った。
「さっきまですごい土砂降りだったね」
とユカさんが続ける。すでに起きていた。
ドシャブリだったのか~…
きっと、眠ってた自分はその豪雨の音キッカケで覚醒しはじめたのかもしれない。
貧乏神に起こされたような気分だ。
無力感…
あんなに楽しみにしてたのに、と思うと少し自分たちがかわいそうすぎるな、と感じ、一瞬泣きそうな気持ちになった。
テレビをつけると、屋久島には「大雨」「雷」「波浪」「洪水」注意報が出ている。役者がそろっている。
麻雀だったら国士無双みたいな勢揃いである。
今度は、あまりのお膳立ての完璧さにだんだん可笑しくなってきた。
ともあれ、この島の天候は天気予報で一口に「あめ」とか「はれ」とか言い切れない可能性を持っている。
希望はまだ捨てない。
目が覚めてくるほどに、惨めだなという気分より「どうにかなるんじゃないか?」という楽観的な気持ちのほうがムクムクと大きくなっていった。
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…と、以上が皆既日食日記の全文。
そうなんです。
肝心な日食見物について記されないでこのオハナシは終わっている。
その後はまぁ、例の携帯アプリだかなんだかで情報を集め、とりあえず「ここだ!」と決めただだっぴろい空き地で天を仰ぎ日食を待ち、たしか、雨は上がっていたと思うが、真っ昼間の暗闇を少しの間体感しただけで、やはりお天道様は拝めず、上記の「それまでの顛末」を超えるエピソードとはならなかったんですな。
ただ皆既日食で暗くなってる時間、異常を察した?鳥たちが羽ばたいたり、妙な風が吹いたりと、異様な雰囲気に包まれた記憶がある。
エピソード的なことで今覚えてることと言えば、帰りのトッピーで、銭湯のイケメンと再会したことぐらいかなあ。
彼女さんと一緒でしたっけ。
あとで聞くところによると、たった一箇所だけ屋久島で雲が晴れた場所があったと言う。
そこは有名な宿のある海岸エリアで、以前に一度泊まったこともある場所だったが、実はそこには、今回の3人には嫌な思い出(従業員の態度が最悪だった)があって「あそこだけは二度と行きたくない」という宿だった。
とどこおりなく行き届いた、皮肉なパッケージである。
(あ、でも、上記のニョキニョキ育った松の苗は、その宿のオーナーがくださったものだ。感謝。)
その数年後も、2017年とかだったか、大きな日食があったが、マニアのユカさんは単身で出かけた。我々はもう、同行しなかった。
そしてやはり、晴天には恵まれなかったと言う。
要は、ずば抜けた雨女なのだ。
あれからだいぶ長い間屋久島には行っていない。
こかげちゃん、元気かなあ。
(2009年のmixiの記事を2021年6月1日加筆訂正)
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