組織運営の技術
組織運営の技術-社会資本
最近、震度5~6の地震が頻繁に発生しています。人の被害や水道、電気、道路、新幹線などの社会資本(インフラ)の被害は広範囲に及んでいます。インフラに大きな被害が出る原因の一つには、いまだに古い耐震設計基準の下で作られた施設や設備が多いことが考えられます。
日本でインフラ整備が本格的に始まったのは、統一国家として歩み始めた奈良時代(6~7世紀ころ)ではないでしょうか。中国やローマで1~2世紀頃には道路や水道などのインフラ整備が進んでいた歴史と比べますと、日本のインフラ整備は少なくとも5~600百年は遅く始まったと言えます。国を治める手法を中国に学びながら、平安時代以降の日本文化は独自の発展を遂げました。江戸時代のインフラ整備は現代の高速道路にあたる五街道の整備や当時の新幹線ともいえる飛脚や早籠などはどれをとってもよく考えられて整備されていました。
江戸時代はヨーロッパや中近東、中国の文明や文化と比較して、違う方向に発展したかもしれませんが遜色のないものでした。日本人の精神と道徳、技術と学問の発達などの日本の文明文化の高さは優るとも劣らなかったといえます。ものつくり職人のウデや絵画や俳句、学問などに日本の文明と文化の発展を支えた庶民の民度の高さを伺うことができます。徳川幕府における江戸時代の文明と文化はインフラ整備のハードの技術も制度運営のソフトの技術も高かったのです。
18世紀半ばにイギリスで始まった産業革命のお陰で、西洋諸国は19世紀半ばには近代的なインフラ整備ができていました。日本は鎖国していたこともあって独自に発展した文化を持っていましたが、1853年の黒船来航と明治維新を経て近代的な機械文明の必要性を知るところとなったのです。
先進国が100年かけて作り上げていた機械化文明に驚いた100年遅れの日本は近代化の必要性を理解しました。明治政府はできるだけ早く欧米に追いつくことを目標にインフラの整備に取り組んだのです。西欧の進んだ近代技術が生んだ機械を導入して、先進国のハードの技術を導入すると同時に、先生役として多くの西洋人を招聘しました。近代技術の導入が始まると勤勉な日本人の特性と高い日本文化を背景に、30年で明治政府の目は外へ向かうまでになりました。
先進国となるための社会資本の整備はハードの技術とソフトの技術を車の両輪として共に発展させなければなりません。しかし、明治政府がとった新しい日本の運営は徳川時代の組織運営手法の踏襲でした。日本は欧米の植民地にはなりませんでしたから、先進国の組織の運営手法を勉強する機会はありませんでした。近代的な組織を運営する手法の導入は必要がなかったからだとも言えます。近代化を始めて50年後に不平等条約の改正をなし遂げて先進国の仲間入りをしました。50年で100年の遅れを取り戻して近代化が達成されたのです。
現在に至るまで日本の組織運営は、封建時代の絶対的な上下関係という考え方が基本になっています。官尊民卑ともいえる上下関係に基づく組織の運営手法は日本の社会に定着していますから、構成員が対等の立場で参加してすべての組織が対等に扱われる運営が行われたことは一度もありません。現在も日本の社会資本整備はハードの技術に偏ったものとなっており、社会資本としての組織を運営するソフトの技術は先進諸国と同等とは言えない状況が続いています。
確かにハードの技術に頼る発展は成功してきましたが、対等の関係を基本としない組織の運営手法は、3周遅れを招き先進国から脱落寸前の現状を招いています。心もとない交渉力や拙い組織の運営手法は日本を普通の国にしつつあります。停滞し沈み始めている日本を復活させるためには、基本に立ち返って組織運営の技術を先進国並みにする改革が求められています。
組織運営というソフトの技術の重要な基本要素は、
1 すべての構成員は対等の立場で参加しているということへの認識、と
2 すべての組織は対等の立場にあるとして応対をすることの実践、と
3 組織における出来事や行動はすべて記録に残すこと、
の3点です。今、日本の指導者層がこの3点を理解して行動を変えれば、決して遅すぎることはありません、少なくとも沈下を遅くすることはできます。
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